十一月・霜月となりました。いまお札の記入の準備を進めています。そこで、本日は、筆をめぐる大師にかかわる慣用句を二つ紹介して、その意味するところを考えてみます。

 

弘法、筆を選ばず 意味は、弘法大師のような書道の達人は、筆の良し悪しを問題にしない、が転じて、仕事の出来不出来は、それを行う人の腕前によるものであって、道具の良し悪しとはかかわれないものだということ。弘法大師は唐において筆の製法を学んでいました。大師が嵯峨天皇に狸毛筆四管を献じられたときの表(主君や役所に申し出る文書)には、次のようにあります。

 

その中、大小長短・強柔・斉尖なるものあり。字勢の麁細に随って惣べて取捨するのみ。毛を簡ぶの法、紙を纏うの要、墨を染め蔵め用うること、ならびにみな伝え授け訖んぬ。(『遍照発揮性霊集』巻第四)

 

春宮(後の淳和天皇)には「能書は必ず好筆を用う」と述べ、次にようにも示されています。

 

臨池(書道のこと)、字に逐って筆を変ず。字に篆・隷・八分の異、真行草藁の別あり。臨写、規に殊にし、大小一にあらず。(『同』)

 

大師の指南によれば、書くべき字体・字勢によって筆を選ぶべきなのです。ただし大師のような能書家であれば、どのような筆であっても、その筆に適した文字が書けるのであって、「弘法、筆を選ばず」といわれるのです。すなわち適材適所、その素材、その人物がもっている素質を充分に活かしきる、上手に伸ばしてあげることが求められているのです。

 

弘法にも筆の誤り 意味は、弘法大師のような書道の名人でも書き損じをすることがあるように、その道に秀でた人でも、ときには失敗することがあるということをたとえる慣用句です。おさるも木から落ちる、に同じ。

 

大師の書き損じの例として、平安城内の大内裏の正門である応天門の額字の「応」の字の第一画・円点を書き忘れてしまい、地面より筆を投げ上げて加えたという逸話(尊円親王『入木抄』)が指摘されます。「応」の字の第一画・円点は宝珠の形をしています。また梵字では第一画を命点といって、とても大切にします。梵字にも通じている大師が、第一画を書き忘れることなどありえるでしょうか。したがって「弘法にも筆の誤り」の実例とされる、投げ筆の故事には何か裏があるようです。

 

額字は完成の後、門の上部に掲げられます。門に掲げられた額字は、下から見上げたとき、どのように見えるのかを考慮して書かねばなりません。大師は第一画を残し、一端所定の高さに額字を掲げ、文字の配置を確かめた後、仕上げられたのではないでしょうか。弘法大師には筆の誤りはありません。

 

「応天門」の書体についての解説を中田勇次郎『書聖空海』から引用しておきます。ご鑑賞ください。  合掌

 

応天門 京都 陽明文庫 弘仁九年(818)

模本・紙本 185.0×84.5センチ

 

書体は隷を基本にしているが、応自の円点は宝珠と見てよく、「応」の字の心字の部分に鳥書の点がある。「心」字の書法は常法どおりの正しい筆法で、しかもその上にひねりや波磔などの変化をよくあらわしている。「天」字も隷書がよくあらわれている。第二の横画の下からの打ち込みと、右の収筆は美しく意匠化されている。左右に開く左拂と右の波磔の雄大さは、玄宗の孝経碑を想わせる。門字の左右の開きはよく全体をまとめて、力強い威圧を感ぜしめる