そうか、こんな手があったのか
囲碁とか将棋なので、ときどき耳にしますが、語源や、その用例はいつ頃からかなど、とても興味があります。さて仏さまにも、こんな手があったのかというお話しです。
仏像の表現には、立っていらっしゃる、坐っていらっしゃる、また来迎(らいごう)といいますが、こちらに向おうとしていらっしゃる、また普通に歩いていらっしゃる(waking buddha)、そして、臥しておられる涅槃のお姿など、さまざまです。手の表現もまた、さまざまにあるのです。
代表的なもの四つをご紹介いたします。まずその呼び名から。「定印(じょういん)」(手の表現のことを印といます)、「施無畏(せむい)」、「与願(よがん)」、「説法(せっぽう)印」。さて皆さまは、どんな手を思い浮かべますでしょうか。
「定印」は坐禅(dhyana 静慮・じょうりょ、とも訳されます)のお姿で、組んだ足の上に両手を仰のげて置くことをいいます。
「説法印」は、人差し指、もしくは中指と親指とを捻(ち)して外に向って示す、もしくは左手は内に、右手は外になる場合など、いくつかバリエーションがあります。
「施無畏」と「与願印」はよくセットで示されます。
「施無畏」の「無畏」とは、安心なる心の状態をいいます。どんなことがある、あったとしても大丈夫ですよと、指をのばして(詳しくは、中指を少し倒し)、手掌を外に向けて、私たちにエール・メッセージ(施無畏のことを、エール・メッセージとしましたが、カーミング(calming心を落ちさせる)・メッセージと表現するほうが適切なようです。訂正させていただきます。10/20)を送っています。それは、いま心に抱えている辛さを解消し、これから生じるかも知れない不安を取り除く、という仏さまの願いを表わすのです。
「与願印」とは、願いをかなえるよ、というプレゼント・メッセージです。ドラエもんのようです。どんな願いでもですか、と質問されれば困ってしまうのですが、私たちがよりよく生きる、身安楽にして心浄らか、そして無礙(むげ。自由自在)なる状態になれるよう、仏さまは常にご配慮してくださっているのです。
もみじは、赤ちゃんの手だけなく、仏さまの手にも例えられます。また機会があればお話しいたします。 合掌
貼付したお写真は、タイ国バンコクの、ブッダ・モントン寺院のお釈迦さまです。家内のご実家の近くにあります。