先日「三帰礼文」という記事を掲載いたしました。法話としてお話しできるように、少し書き換えてみました。

 

三宝に帰依する「三帰礼文(さんきらいもん)」という、私たちが朝夕の勤行のはじまりにお唱えする偈文(げもん)についてお話しいたします。まず、次のようにお唱えいたします。

自(みずか)ら佛(ぶつ)に帰依(きえ)したてまつる 当(さま)に願わくは衆生(しゅじょう)とともに 大道(だいどう)を体解(たいげ)して 無上意(むじょうい)を発(おこ)さん 

自ら法(ほう)に帰依したてまつる 当に願わくは衆生とともに 深く経蔵(きょうぞう)に入りて 智慧(ちえ)、海の如くならん

自ら僧(そう)に帰依したてまつる 当に願わくは衆生とともに 大衆(だいしゅう)を統理(とうり)して 一切(いっさい)無礙(むげ)ならん

読み方は各宗派ほぼ共通で、とてもお唱えしやすい訓読文になっているのですが、いまとなっては、少し意味が分かりづらいです。その意味するところは、次のようです。

私はいま、まさに仏さまに帰依しいたします。心より願うところは、すべての生きとし生けるものが、私とともに、私が行うそのように、仏さまのさとりの本質、そのさとりへと至る道をよく理解して、菩提を求める心、菩提のような浄らかな心を発こすことができますように。

私はいま、まさに仏さまがお説きになられた教えに帰依しいたします。心より願うところは、すべての生きとし生けるものが、私とともに、私が行うそのように、教法(きょうほう)の蔵に深く学び入り、般若(はんにゃ)の智が慈悲(じひ)の心をともなって、大海のようにひろく豊かに、深く鋭くなりますように。

私はいま、まさに仏さまの教えに学び、人生を正しく歩まんとするこの良き仲間に帰依しいたします。心より願うところは、すべての生きとし生けるものが、私とともに、私が行うそのように、この大切な仲間たちと仲良く、お互いを尊敬しあって、どんなことがらにも自他の心を苦しませ、悩ませることなく、ともに仏道の歩みを進めることができますように。

「仏弟子となること、必ずこの三宝に依る」といわれますが、三帰礼文は、三宝に帰依する礼拝のことばであるとともに、仏教を学ぶものにとっての願い、誓いを表明する形式をとっているところに特徴があります。日々お唱えして、自らの生き方を正し、謙虚に反省する機会としたいものです。

画像について
仏さまは、人としてのお姿で表現される以前には、法輪や菩提樹た仏足でその存在を示していた時代があります。写真では、法輪が三つ見えます。それぞれ仏・法・僧を意味しているのでしょうか。
合掌
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