僧侶としてお伝えしたいこと、お伝えできること(13)

「ほとけ」ということば遣い

お葬儀で読み上げる決まり文句の中に、「ほとけは生縁すでに尽きて」、「中有にうつる」云々という一節があります。この場合の「ほとけ」は、新円寂(しんえんじゃく)、新たに亡くなられお方を指して用いられる、婉曲的(えんきょくてき)な表現であると、辞書などでは理性的に説明されています。仏(ほとけ)を平仮名で書く「ほとけ」ということばをこのような意味で用いるのは、日本以外、仏教が伝播した国々のどこにも類例のないことなのでしょう。

現代の日本でも、このような「ほとけ」ということばづかいは意図的に使わなくなったのではないでしょうです。それは仏さまというのは、「完全に目覚めたお方」(さとりを開かれたお方)をいうのであると私たちが教育されるようになったからかも知れません。(ただ「ほとけの身元をはやく洗え」などは時々、テレビで警部補が檄(げき)をとばしています。)でもね、亡くなられたお方のお顔を「やさしく、穏やかな」という意味合いで、「ほとけさまのようだ」という表現はいまも違和感なく用いることができるようです。

お人が亡くなられたら、すぐに「仏」さまになるとは、私たち僧侶であっても納得しづらいのも、正直なところです。でもね、亡くなられたお方は、必ずお浄土にむかえられるのだと受け取る姿勢は堅持したいと思っています。亡くなられたら、すぐに「仏」さまになるのだと受けとめづらくとも、日常のご供養、お勤めを通して、だんだんと故人さまは「仏」さまになっていかれる、と考えることには、大いに賛成です。そしてご遺族、ご家族の皆さまも故人さまのご供養を通して、仏縁を結び、故人さまと同じように「仏」さまのようにやさしく穏やかになっていかれるのもしばしばあることです。生前どのような人生をおくられたお方であったとしても、ひとたび死したならば皆、平等一如(いちにょ)の、真実にして分け隔てなき、仏の世界に入らしめられるのだとの考えは、私たちの心情に深い叡知の輝きをもたらすのです。亡くなられたご先祖さまに対して、親しみをこめて、「仏さまのようなお爺さん(お父さん)」、「仏さまになられたお婆ちゃん(お婆ちゃん)」、「仏さまの子となられたわが立派な息子」と呼んでいただけますことを願ってします。「ほとけ」ということばづかいを、婉曲的(えんきょくてき)な表現に終わらせてはいけないと思います。 合掌

お写真は、インドネシアのジャワ島中部にあるボロブドゥールBorobudur(八世紀~九世紀ころ)の仏さまです。一体一体、仏塔の中にお坐りです。