<第六段の意図>アーナンダガルバ註より
以上のように、慳貪(ser sna)の対治分として宝部(の教説)を説明して、いまは、一切の如来の身・語・心金剛が一つとなれる、本性光浄の成就者(rang bzhin gyis ‘od gsal bar sgrub poたること)は、精進波羅蜜多を特徴とする金剛拳(あるいは、一切の如来の身・語・心金剛が一つとなれる、精進波羅蜜多を特徴とする、本性光浄の達成者たることは)金剛拳を修することで達成されるという(その)意味を示すために、「ときに」等と本文が説かれている。
時薄伽梵 得一切如来智印如来 復説一切如来智印加持般若理趣
時に薄伽梵、一切の如来の智印(= 一切の如来の身口意金剛)を得たまう如来は、復た一切の如来の智印の加持なる般若理趣を説きたまう。
『理趣釈』
所謂 持一切如来身印 即爲一切如来身
いわゆる、一切の如来の身印を持すれば、すなわち一切の如来の身と爲る。
四種の印を説く。所謂持一切如來身印則爲一切如來身とは、是れ金剛業菩薩の三摩地身なり(筆者補:「身」は衍字か)。眞言者、身の加持を得るに由て、無礙の身を得て、無邊(= 無盡無余)の世界に於いて廣大の供養を作す。(ゆえに、金剛業菩薩の三摩地である)
持一切如来語印 即得一切如来法
一切の如来の語印を持すれば、すなわち一切の如来の法を得。
持一切如來語印則得一切如來法とは、此れ金剛護菩薩の三摩地と名づく。此の三摩地(を修するを得る)に由て、能く普く無邊の有情界を護し、常に大慈の甲冑を以て而も自ら莊嚴して、金剛の如き(堅固な)不壞なる法身を獲得す。
『理趣釈』は、「一切の如来の法(Cf. sarvadharma)」を「教法」の集まりとしての法身と表現します。それは、一切法の理解から得られる教説、ことば(vāc)となれる法(sarvadharma)を意味します。なお「甲冑」に「大慈」の形容詞がつく用例は、護身法の観想にもあります。
持一切如来心印 即證一切如来三摩地
一切の如来の心印を持すれば、すなわち一切の如来の三摩地を証す。
持一切如來心印則證一切如來三摩地とは、眞言者、金剛藥叉の三摩地を得るに由て、能く藏識(= 阿頼耶識)中の心雜染(およびその)種子を殺害し盡し、大方便・大悲三摩地を得しむ。調伏の爲に(/調伏せんが爲に)威猛忿怒の金剛藥叉菩薩の身を示現す。
持一切如来金剛印 即成就一切如来身口意業最勝悉地
一切の如来の金剛印を持すれば、すなわち一切の如来の身口意業、最勝の悉地を成就す。
持一切如來金剛印即成就一切如來身口意業最勝悉地とは、修瑜伽者、金剛拳菩薩の三摩地を得るに由て、能く一切の眞言教中の三密の門を成就す。是の故に、廣瑜伽の中に説く、「身口意金剛合成名爲拳。一切如來縛(*sarvatathāgatakāyavākcittavajra-bandha)是爲金剛拳」と。
同種の解釈は、Trailokyavijana-mahākalparājaに認められます。川嶋 健「Trailokyavijana-mahākalparājaの研究」印仏研37-2)。アーナンダガルバは『金剛頂タントラ』の一節を引用します。髙橋尚夫・第二部p.193は『初会金剛頂経』『略出念誦経』の一節を指摘しています。
金剛手 若有聞此理趣 受持讀誦作意思惟 得一切自在 一切智智 一切事業 一切成就 得一切身口意金剛性一切悉地 疾證無上正等菩提
金剛手よ、若し此の理趣を聞いて、受持し、読誦し、作意思惟すること有らば、2)一切の自在、3)一切の智智、4)一切の事業、1)一切の成就とを得、一切の身口意金剛性の一切の悉地を得て、疾く無上正等菩提を証するなり。
是の故に佛、(金剛手に)告げて(いわく)、金剛手若有聞此理趣受持讀誦作意思惟とは、1)身印を持するに由て、一切の成就を得<此の句、梵本には初の功能、漢本には第四に在り>。2)語印を持するに由て、一切の口の自在を得、3)心印を持するに由て、一切の智智を得、4)金剛印を持するに由て、一切の事業を得。皆な悉く成就するをもって、疾く無上正等菩提を証すべし。」
以下、マンダラの造成とその成就法が明かされます。
修行者欲成(613b05)就般若理趣瑜伽者。應建立金剛拳曼*茶羅。中央畫一切如來拳菩薩。前畫金剛業。右畫金剛護。左畫金剛藥叉。後畫金剛拳。内外四隅各安内外四供養。於四門安四菩薩。東門染金剛。南門金剛髻4梨吉羅。西門愛金剛。北門金剛慢。或時瑜伽者住曼茶羅中。自作本尊瑜伽。想諸眷屬各住本位。以四字明召請一切聖衆。則誦一字眞言。則誦四種金剛拳般若理趣。印運心一一理趣門。量同法界周而復始。一切三摩地皆得現前。惡字是涅(613b15)槃義。四種涅槃攝一字中。四種者如前所釋。4梨=<明>
時薄伽梵 為欲重顯明此義故 凞怡微笑 持金剛拳大三摩耶印 説此一切堅固 金剛印悉地三摩耶自眞實心 噁
ときに薄伽梵(= 金剛拳)、かさねて、この義を顕明せんと欲するがためのゆえに、凞怡微笑して、金剛拳の大三摩耶の印を持して、この一切の堅固金剛の印の悉地の三摩耶なる自の真実の心を説きたまう。aḥ
時婆伽梵爲欲[重]顯明此義故熙怡微笑持金剛拳大三昧耶印説此一切堅固金剛印悉地三昧耶自眞實心とは、如上の句義は、本(筆者補:本文のまま)菩薩(= 金剛拳菩薩)の大智印の威儀を表し、兼ねて語密の功能を讃す。此れは是れ、金剛拳菩薩の儀軌なり。<已上、金剛拳理趣會品>