震災から1カ月以上がたちました。

ブラジル人彼も、そろそろボランティアから戻ってきます。ラブラブ!
被災地の皆様のお役に立ち、またこれを機に、更にいい男になって帰ってくることと思って楽しみに待っている私ですクローバー


さて、職場では、ひとつの学びがありました。

私のいるセールスに近い部署と、テクニカルな部署は横のつながりにあたります。
まあ、どの会社でも言えると思いますが、サッカーに例えると、セールスがフォワードだとすれば、テクニカルな部署はディフェンスとか?

その部署には、私といつもぶつかる日本人年下男性がいます。

かなり皆とぶつかるような人ではあるのですが、私もどちらかというと、人にも自分にも厳しくなりがちなので、どちらかが100%悪いということはないはず。今でも私は、50%は私も正しい!と思っています。

一時期私は彼のこと、「キャパシティ狭いオトコ」「まだまだ子供で生意気言ってる人」とレッテルを貼って見ていました。言い方も上からだし、その部署をまとめきれてないし、全然ダメだな、みたいな。
そう心の中で思っていたので、無意識に彼の下のメンバーに対しても思い切り「使えない」扱いをしてました。

そしてある日、ブチ切れされたのです。「うちの部下を舐めるな」的な。それまで、話に聞いてはいましたが、彼のブチ切れを見たことがなかったので、かなり驚きましたね。ただその時点ではまだ、「はー、だからキャパシティ狭いんだよこの人は」くらいにしか思っていませんでした。

しかし、その後私に対する態度は本当にひどいものに変っていきました。
自分の非はますます認めず、一方的に私へ「ここを直せ」「この仕事向いてないんじゃ?」などひどい上から目線で真顔できついことをいうようになったのです。それどころか、私の上司にまで私の苦情を言うようになりました。

私は最初、自分の仕事には自信があるし、絶対に私は正しいけど、プライドの高いこの人の言うなりにでもなって
あげようかしら・・・という妙な余裕がありましたが、さすがに皆にも上司にもわかるような、あからさまな私への態度の豹変に対し、私もだんだん心労が溜まるようになりました・・・。
おまけに上司も、絵に描いたようないい人なのですが、2人は男同士ということもあり、話のわかりそうな私の方に妥協を求めてくるようになりました。

中でも決定的だったのは、地震の後の自宅待機中の大ゲンカ。
お互いの対応について、どこが足りないの言い合い。はたからみている人にとっては、どっちもどっちだろうな。

その時を境に上司には長いメールを打ち、泣きそうな顔で、「私は彼の態度のせいで心労を患っています。そのことをもっと分かってください。だいいち彼の苦情は一方的すぎます。もう彼から私への苦情を受けても、私へは伝えないでむしろ言い返してください。」とか言っちゃいました。上司もびびって、「わ、わかりました。すんません。」みたいになってました。。。

・・・その後、私はすっきりしない日々を過ごしていました。

やっぱり、人のせいにすることで完結してしまうやり方や、自分へのフィードバックをシャットアウトしてしまうというやり方は、私にとって、それはそれで違和感を感じたのだと思います。そのため、少しずつではありますが、物事を良い方向に考えるようにしました。

「自分が蒔いた種は、必ず自分に戻ってくるんだ。そのことを自覚しなきゃ。」そう思えたのです。

要は、私は最初彼のことを見下していたのでしょうね、そのことが相手に伝わってしまったせいで、こうなったのでしょう。もっと温かい目で人を見るようになりたい。。。それが私の今後の進む道であることがわかりました。

だからといって、まだ彼との関係は変わっていません。時間かかるだろうな。。と思います。
これを早く乗り越えるには、チームの力も少なからず必要になってくるかと思っていて、皆に赤裸々に相談しようと思っているところです。相談の仕方も考えるべきところですが、やっぱりポジティブにクローズできるように話したい。

で、今に至っています。

まだ続きます(笑)
後日。

第一回目のブログから、大分間が空いてしまいました。

理由は色々ありますが、もちろん地震関連がその大部分を占めています。

直接被災していない私もまだ気分が暗いです。
最初の一週間は、なんとか非常事態という気持ちで頑張れたのですが、その後だんだんストレスがたまってしまい、先週爆発。ブラジル人の彼に当たってしまい、反省。。。今は少し良くなりました。あまり真剣にニュースを見ないようにしたためでしょうかシラー 
もちろん、被災者の方々のことを忘れたということではないのです。むしろ、その他の地区にはびころうとしている風評。私はこのことが出てきてから参ってしまったので、水のことや農作物のことは、ある程度真剣に聞かないことにしました!えいっ!


さて。今回の地震の時、私はたまたま実家の方におり会社にいなかったので、帰宅難民などの2時災害には全く巻き込まれずにすみましたが、ほとんどの同僚は帰宅難民になり、とても怖い思い、大変な思いをしたようでした。

翌週から福島原発の事故のため、会社が1週間限定で閉鎖してしまったので、その期間を利用して遠くへ行ってしまった人もたくさんいました。

周りのブラジル人は、3つくらいに分かれました。

1、東京に残る人。
2、地方または海外へ行く人。
3、ブラジルへ帰ってしまう人。

彼は2を希望しましたが、私が説得して1で決着。
2を選択した人は、翌週までには大半が戻りました。
ごく少数ですが、3もいました。

彼が東京に残ってくれて、ほっとしました。
しかしそれだけではないのです。
驚いたことに、いまでは、彼は被災地に派遣するNPO団体のボランティアへ参加することを決めました。
あの時に東京で溜めておいたエネルギーが元で(と信じていますドキドキ)。

そんな彼を心から尊敬します。

最初私は、昔の阪神大震災で一部の「自分探し」ボランティアが迷惑だったという話を聞いて、中途半端な気持ちで行ってほしくないなと思ってしまいました。でも、よく聞いたら、ちゃんと「日本を助けたい」という強い意志があることがわかったんですアップ

考えてみてください。
原発の騒ぎも逃げずに東京へ残り、買い占めもせず、節電には協力し、普段通り仕事をして過ごしているうえに、被災地へ行って助けたいなんていって実際に行動しちゃう外国人のこと。。。いとおしくなってきませんか?(私の贔屓目のせい??笑)

実は私自身もリーマンショック後、在日ブラジル人の不況・解雇が続いた2008年の冬に、彼らのデモ行進に参加したことがありました。ブラジル人達の気持ちに寄り添いたくてグー その後も、在日ブラジル人の子供たちを救おうと、チャリティライブを行い、NPO団体に寄付をしたこともありました。
そういうことを、彼は思い出していたみたいです。

だからとてもうれしく、心配はあるけれども、笑顔で送り出してあげたい。
また、笑顔で迎えてあげたいのです。


ブラジルと日本の絆は、深いのです。。。それも、彼ら日系人の存在のおかげかもしれません。
そんなことを思っています。

Obrigada, gente nikkeis no Brasil !

先週、CDを売ったと初記事で書きました。
その結果を発表します!!

34枚中28枚に値段がつきました。
合計、6,768円ですアップ

なかなかやるじゃん!!
わ~、これはハマりそう。


Fundo de Quintal の廃盤なんかは1000円以上で、廃盤じゃなくても定番なら540円かー音譜
やっぱり、パゴージファンにとってはいつの時代も需要はあるものなのね。

Paulinho da Violaの曲ばかりを集めたクラシカルなギター音楽のCDは、無名の女性?にもかかわらず540円。
これ実はタワーレコードで800円とか1000円くらいで買ったやつなのにえっ
やっぱりディスクユニオンでは価値をわかっていたようね。。。

意外にも安かったのは、カーニバルのCD。
60円ずつにしかならなかった。それだけ出回っているということでしょうかDASH!

値段がつかなかったCDがどれだったのか、気になるけど、あとでiTunesに落とした内容と比べてみよう!!


ついでに、私はいまだ無くしてしまった Leny Andrade & Romelo Lubamboの "Coisa Fina"を探しています。。
廃盤の良品だけに、どえらい額で買い取られていそう。
でも、いくら積んでも絶対に買い戻したい、貴重なCDなんです!!


思えば私も、地球の裏側へ旅行に行くたびに、ジャケ買いやら何やらを繰り返してきたなぁ。
最近は、めったに買わなくなったダウン しかもその買い漁ったCDを売ってしまうとは。。

灌漑深いけど、おかげでこういう世界を知った。
そして、ついた値段をみながら、現在のブラジル音楽の人気や需要を想像することができる。

その流れに、私もささやかながら還元できますように。
そして、一人でも多くのブラジル音楽ファンの手元へ渡り、聴いてハッピーになれますようにドキドキ