子供と『インサイド・ヘッド』を観に行こうと言っていたら、嫁から
「あの手の映画は、子供が自分で徐々に学んでいけばいいことを、あたかも分かった風に思わせるような映画かもしれないから、まずはあなたが観て子供に見せるべきか判断しなさい」
と怒られた。嫁の“映画感”はいつも俺より正しい。
この自分のツイートがそれなりに反響というか「親の検閲ではないか」という指摘がちらほらあるので、なぜ我が家がそのような方針なのかをここで説明しておきたい。
「親は子供が触れるコンテンツについて一定のフィルタリングをするべき」
という考え方の持ち主です。
いや、考え方の持ち主というよりは、
「そうした文化・習慣を持つ環境で生まれ育った経験の持ち主」
という表現が一番正しいでしょうか。
自分が小学生の時はテレビで見られるアニメは週に2本(なので自分のチョイスはパタリロとサザエさんだったw)と決められていて、21時を超えるテレビ鑑賞は原則不可、映画のみがその例外だがその映画とてエログロシーンがあれば即刻寝床に追いやられるというルールでした。それこそ理由は「子供にはまだ早い」というだけで。
今でも覚えている途中から追いやられた映画はピンクパンサー(もはや何作目だったか今となっては不明)や野性の証明、金田一シリーズとかですかね。ちょっとした日本のサスペンスものは1時間ぐらいで必ずエロシーンが入るので、最後まで見れたためしはありませんでした。結構厳しめのレーティングだったと思います。
一方、両親ともに映画好きだったので私が両親と初めて映画館に行ったのはまだ未就学児の時の「スターウォーズEP4」。3、4才の話なのでさすがに正直覚えてません。
しかも両親は何をとち狂ったか、あるいは吹替え版がまだなかったのか日本語すら怪しい自分を字幕版に連れて行く暴挙に。
泣きだしたら即刻退場しようとの両親の心配をよそに、自分は最後まで嬉々として身を乗り出してスクリーンにかじりついていたそうです。
その後の映画館遍歴は下記の通り。(内は主に観たがった人)
1977年(4歳) スターウォーズ4(両親)
1978年(5歳) ルパン三世vs複製人間(父親)
1979年(6歳) Mr.Boo!(父親)
1980年(7歳) 思えば遠くに来たもんだ(母親)、11ぴきのねこ(母親)、スターウォーズ5(自分)
1982年(9歳) E.T.(父親)
1983年(10歳) スターウォーズ6(自分)、南極物語(母親)、
1984年(11歳) 銀河伝説クルール(自分)、インディージョーンズ魔球の伝説(叔父)、ゴーストバスター(叔父)、グレムリン(叔父)
1985年(12歳) ビルマの竪琴(母親)、グーニーズ(自分)、バック・トゥー・ザ・フィーチャー(叔父)
1986年(13歳) ガバリン(自分)…
テレビでは厳しいレーティングが、映画においては、特に父親は緩かったし、テレビのレーティングも主に母親が決めていたであろうことが良くわかるラインナップですね。
そして後半から登場する当時同居していた家電屋の社員だった叔父がβのビデオデッキとダビングした映画の数々を我が家に持ち込んだのが小学2年生(7、8歳)の頃、これが自分の映画体験に拍車をかけ、挙句には低学年でオーメンやらエクソシストやらサスペリアだのデモンズだのを経て、最終的に小学6年にて死霊のはらわたを観たのが自分の“映画感”を決定づけたと言ってもいいでしょう。これ以降、エルム街の悪夢だのフェノミナだのチャイルドプレイだのスペースバンパイアだの青い珊瑚礁だのビデオドロームだの、もうやりたい放題なわけです。※ホラーやエロだけ観てたわけじゃないですよw
中学になっても家での「公式な」レーティングにあまり変化はなかったので、サスペンスの濡れ場でテレビの前から強制退場させられる一方で、親の目を盗んでオネアミスの翼のレイプ未遂シーンやワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカのまんまなシーンで興奮してたりするような子供だったわけです。
スペースバンパイアに至っては両親の留守中にVHSで鑑賞中にテープがデッキ内で絡まり切断、ぐちゃぐちゃになって取り出せなくなったのを、帰宅時間になる前になんとかしなければと必死で泣きながらデッキを分解してテープを除去してさらに貼り付けてなんてやってましたね。おかげでビデオデッキの仕組みが理解できましたが。
長々と何が言いたいかというと、こうした自分の映画遍歴の数々を、今から思うと親が知らなかったわけはないんですね。小学生から中学生にかけての子供が月々500円のおこずかいでインターネットもないような環境で映画を見まくろうと思ったら、親の目を盗むのも限界があるわけです。生徒が教科書で隠しながら居眠りや落書きしてても、実は教壇に立ってしまえば教室のどこの場所だろうと100%わかる事と同じように(ちなみにこれは塾講師をして初めてわかりました)。
今から思えば両親はあたかも公式レーティング(エログロ絶対禁止)と非公式レーティング(自発的なエログロは黙認)を使いながら巧妙にフィルタリングしてたんではないかなと。
エログロだけでなく、両親は思想的に偏ったものや子供には早い「タブー」などを扱ったものもおそらくそれとなく排除していた気もします(それにしてはビルマの竪琴かいっとは思うがw)。
おそらく、親が一番警戒していたのは、まんまなポルノ作品や死体損壊ゴア映画のような類(今で言うならホーボー・ウィズ・ショットガンみたいな類か?)だったんではないかと。
そして親が公式レーティングを使うことで、間違っても小学校や中学校で「青い珊瑚礁ガー!!」とか「死霊のはらわたガーー!!」とか教師の前で公言したり、友達に観に来いと誘ったりするような行動はとらなかったわけです。
あくまでもそうした「両親が望まない」(と思っていた)映画などは隠れてコッソリ見るものだと、また、両親が積極的に提供する映画とそうでない映画があるようだと気が付くわけです。
そして、さらにどうやら両親の間でもレーティングが異なるであろうこと、教師をはじめ周りの大人でもレーティングは千差万別であることにも気が付いてくるわけです。
そもそも冷静に考えれば幼少期にルパン三世やビルマの竪琴がある時点で、両親のレーティング基準も絶対的な基準でなかったことも気が付いてしまうのです。
こうなってくれば、あとは思春期、反抗期もあいまって、もう自分の価値観で突き進んでいくようになるわけですね。
こうした遷移は、子供の世界が、親の思想や嗜好が100%の世界から徐々に自分の世界が構築されていく上で避けようのない話だと思うのです。
妻の幼少期のレーティングも私と似たようなものです。ただし、映画好きではなかったため公式レーティングしか存在せず、なおかつ、ジュラシックパークはドキドキしすぎて高校生にもかかわらず最後まで観れないといったタイプだったようです。
そんな二人が結婚をし家庭を築いたわけですから普通に考えて我が家は「幼少期はコンテンツフィルタリングありき」になるのは当然でしょう。
また、そんな妻と自分の共通している価値観の一つに「文字(本)は“妄想・空想”という無限の広がりを提供してくれる一方で、自分の経験や知識といったリミッターを持つ」という事です。
基本的に文字から入力された情報を脳内で展開する際に自分の経験や知識を基にして展開していきますので、特に幼少期においては本人のリミットを超えるような経験を文字から受けるということはまずないのではないでしょうか?
一方、「映像は自分の持つ経験や知識を一瞬で突破する力を持っている」と私たち夫婦は思っています。そしてこの映像の力は時には武器にもなり、時には凶器にもなると考えています。
なので本にくらべて映像作品は一定のフィルタリングをすることにしてます。
まあ、小学低学年の娘が万が一フランス書院でも愛読し始めたら本に関してもなんらかのフィルタリングを検討するかもしれませんが。
とにかく、私と妻がそれぞれの幼少期にした体験やその後の経験から導き出した現在のルールは「どちらかが違和感を感じるような作品は子への提供を慎重に見定める」ということです。
とは言っても現実問題として現時点でフィルタリングをしなければいけないような状況はなかなかありません。
今までも、妻からの物言いがついたのは、私が未就学児にコナン・ザ・グレートを見せようとしたとき、幼稚園児にGODZILLAを見せようとしたとき、そして今回のインサイドヘッドです。
いずれも、妻は「親が未見ならばまずは観てから判断する」という極めてまっとうな物言いです。妻は恐竜が人間を頭から丸かじりにするシーンがあるならばそれはもう少し大きくなってからで良いという価値観ですし、それに対して論理的に反論する術を自分は持ち合わせていません。
インサイドヘッドに関してはホラーやクリーチャー映画のような懸念はないと思いますが(ベイマックス=ビッグヒーロー6のように、ヒューマンドラマだと思ってたら思いっきりヒーローものだった、みたいな例もありますがw)、妻としては「本来ならば段階を踏んで学ぶべきことをたった2時間で理解したつもりになってしまうような映画ではないかどうか」という点を懸念しているわけです。しかも、シンプルな話ならともかく、心の中の様々な感情という話がテーマであり、予告だけの情報ではそもそも対象年齢すらよく分からないからその点含めて事前確認をしろと。
そして、いったんそれが自分の価値観でOKになれば子供に見せようと。
要は「夫婦いずれかの警告で事前審査、そして夫婦いずれかがOKすれば鑑賞OK」というルールです。
ここで大事なポイントは「親が積極的に見せる作品」についてのルールなわけです。
両親いずれも「見せなくてもいいかも」と思う作品を積極的に見せる必要はないという考え方なわけです。
一方、それとは別に、親のそうした身勝手な想いやフィルタリングを使うからには、子が自ら選択をして自発的に観たいといったきた作品はなるべく見せてやりたいとも、これも妻ともども思っています。もし仮に、私がインサイドヘッドを鑑賞して「これはうちの娘には早い」と判断した際に、娘が悔し涙を流して切々と観たいと訴えたならば、私は即刻娘と一緒に映画館に行くでしょう。
そして観終わった後になにをもって娘に早いと思ったかなどを伝えると思います。それが我が家の「検閲」です。
娘が望むのが「死霊のはらわた」ならば…映画館には行きませんし、今の時代はレーティングの運用が厳しいのでそもそも行けませんw私も「死霊のはらわたをレンタル」しよう!などと娘には言わないと思います。ただ、本当に観たいなら、親の目を盗んでなんとか死霊のはらわたを手に入れて鑑賞するぐらいの情熱があるのなら、こっそり応援するかもしれませんし、仮に家で死霊のはらわたを見つけてしまってもただいたずらに娘を非難したりなじったりは決してしません。せいぜい悲しそうな眼をして「うちではまだ死霊のはらわたは無理なんだ…おまえには…まだ早い…」と言って取り上げるぐらいでしょう。
ちなみにそれがマッドマックス怒りのデスロードなら、私は妻に内緒で娘をシネコンに連れ出し、マッドマックス大人二人分のチケットと同じ時間にやってる子供映画のチケットと購入してそれで受付を突破して娘にレーティング違反上等でマッドマックスを鑑賞させてしまうでしょう。
いずれにせよ、そんな親のフィルタリングが効果を発揮するのはせいぜいが小学生ぐらいまでです。そこを過ぎればもう子供は親の価値観なんてガン無視です。
GODZILLAやインサイドヘッドに疑義が上がり、死霊のはらわたはNGなのにマッドマックスはレーティング違反上等などと言う親の価値観が、ただの趣味・嗜好の話でしかないことに気が付くのは時間の問題ですし、気が付いてこそ子供は自立していくと思います。
私たちが心がけているのは、間違っていようが正しかろうが、親は子供に対して全力で責任を持たねばならないということです。
たとえそれが「映画」だとしてもそうです。子供の権利だの親の価値観の押し付けだのといろいろ批判はありますが、最終的には親は全力であらゆる判断をして、判断をしたからにはそれを子のために行使する責任があります。子が自ら親から離れていくその日までは。