孫二郎のここだけ話 【天誅組始末記】 | キャンプ場ナイショの話、ホントの話

孫二郎のここだけ話 【天誅組始末記】

孫二郎です lele



天誅組 は 幕末の奈良を舞台に

尊皇攘夷と倒幕を目的に

公卿中山忠光らが起した

武闘派集団です


なぜ孫二郎のブログに この天誅組が

登場するのかといえば

奈良県でも 南部

五条市や十津川村を舞台に起きた

謂わば 「事件」だからです

この辺りは 

世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道

の中 吉野大峰から高野山への

主要ルートとなっているところなのです


さて時の孝明天皇(明治天皇のお父さんです)は

攘夷祈願のため 神武天皇稜に 行幸することになり

その先達を務めるという名目で

明治天皇のいとこにあたる

公卿中山忠光を主将に

藤本鉄石 吉村寅太郎 松本奎堂(けいどう)

ら 総裁を中心に 

手始めに 五条代官所を襲撃します


ところが京都では 後に言う

八月十八日の変が勃発し

公武合体派である 薩摩・会津の連合軍が

尊皇攘夷派の 長州軍を 京都から追い払う

という事態になり

孝明天皇の行幸は 急遽取りやめとなります


名目を失ってしまった天誅組は

幕府軍の追撃を受け 戦いを繰り広げますが

一時は 十津川郷士を動員し

高取城を攻め落としたりしますが

元来 指揮能力が低い首脳部のため

ついには 解散に追い込まれ

伊勢へ遁れんとする途上

鷲家口で 最期を迎えます


明治維新に先立つこと 3年前の

文化年間の わずか3ヶ月ほどの出来事でしたが

明治維新の魁とされ

五条市代官所跡には 「明治維新発祥の地」 の

看板が 今も天誅組の熱き思いを

物語っています