今回はテーマ別にブログを書くことに。
第一回は「なかなか良い」と「ふるさと」だ。




まず「なかなか良い」だ。
なかなか良いという言葉はかなり曖昧な形容詞を伴った存在だ。
感じで書けば、中々と書くのだろうが、これはつまり「ど真ん中のド真ん中」という意味になるのではないか。



上下、左右、遠近、深浅、良い悪い、、、ど真ん中から発信して、物事を修飾する形容詞は数あれど、「中々」ほどに真ん中を意識させる言葉は多くはないと感じる。


しかし、普段我々は「なかなか良い」と口から出る時、それはちょうど「吉よりも中吉の方が御利益がありそうだ」くらい、微量の良さを付加して言葉を発しているように思う。


では何故「良い」という言葉よりも「なかなか良い」という言葉が不意に口を突き、それは微量の良さを付加してるように錯覚するのか。ここには、ど真ん中という概念は人によってズレていて、しかもそれは個々の都合の良いように解釈されているのではないかという意図が含まれているように思うのだ。


一例に、「普通が一番」という言葉がある。
普通というのも、良い>普通>悪いという風にど真ん中に構築されているが、何故この中で普通が一番なのかが私にはわからない。それほどにど真ん中という考え方は神格化され、「良い」をはるかに超えた位置に存在されるようになっているのではないか。



また、私が思う一つの解として、「なかなか良い」という表現は自分を守るために生まれた一種の
あなぬけのひものようなものだと考えている。現実に「良い」とされるものは、自分の想像を超えてしまい、ギャップが生まれ、脳の容量を超えてストレスがかかるために、自分にとってのど真ん中(ここでは想像の範囲内)に引き戻すことによって負荷を抑えることにしているのだ。または上記のようにはるかに凌駕したものに昇華することで、現実を受け入れないで逃避することにも成功しているように思う。


とまあ、「なかなか良い」については終わり。



次は「ふるさと」




ふるさとって、ぶっちゃけ田園風景のことなんじゃないかなって思う(笑)だってこの前、瀬戸内海の小豆島に行った時、懐かしみ覚えたもんね。


逆に、生まれ育った東京の立川に帰ってもふるさとなんて全然感じない。だからふるさとって田園風景のことでしかないと思う。まあ故郷≠ふるさとだね。故郷は生まれ育った町、ふるさとは田園風景だよ。



しかしまあ最近はミニマリストだったり、オーガニックだったり、服の布面積が減っていたりして、人間は本当原点回帰したいんだなと思う。その一方で、AIやロボットが生まれていて、たぶん今まで人間がやってきたことって何か違う存在がやるべきだった義務を請け負ってきただけにすぎなかったのかなとも思う。


恐竜とかが闊歩していた時代、人間の時代、次はロボットの時代?人間は完全に淘汰されたり、見世物扱いになってしまうのかなーと思うと悲しいな。



話が逸れてるけど、せっかくなのでもう一歩そらすと、最近VR技術が発達しまくってるけど、そのうち超絶リアルなAVが作られて、性欲は全てそこで発散されてしまうから出生率ダダ下がりするらしいですよ。ま、全てそうなるわけじゃないから一種のシナリオだと思ってくれると嬉しい。



とりあえず今回はここまで。
書くという行為は自分の考えを研ぎ澄ます作業だからなかなかいいね。