崩すということ
本来の自分は宇宙のリズムのような法則のあるものでできていてそこから外れると心や体が不調を訴えてくるのではないかなと思います。軌道修正を促すように。そこから離れていってもいい自由意思を許されていてそれによってリズムから離れて新しく体験することができます。規則正しい生活から離れて、体調を崩して規則正しい生活のありがたみや意味を知るとか…喧嘩して、相手と連絡とらなくなってみて初めてそばにいてくれたありがたさを知るとか…あたたた…耳がいたい…でもそうして離れて崩していくことも意味があること。離れて、戻ってくるときに磨かれて帰ってくる。まるで反抗期のようだなと思ったり 笑感情を作り出すということはエネルギーを創り出すということ。そしてその想いから何かを作ることも。あまり詳しくはないですが宗教で神様の分け御霊、と表現したり神様の子供と表現したりするのはきっとこの自由に創り(作り)出すことから。真理を知りたいならまず気の感覚が大切だと言われたことがあります。このことを分かってる方が教えてくださったんだろうなぁと思います。スピリチュアルなお仕事をされてる人はこの感覚が飛びぬけてらっしゃるんでしょうか。感情作り出だしている自覚がなかった私は状況に振り回されて感情を湧かせられてる、ように感じることも今でもあります。これが被害者意識なんですよね(;'∀')アチャーそして今も抜けるのが苦手です。そんな当たり前のことをいったん小難しく理解しないと受け入れられないのも、それを体験したい(面白いなーと感じる)という気持ちを握っている私の体験です (*´∀`*)でも、その元々のリズムがあるところが帰る場所だと分かっていればそして帰り方が分かっていれば、安心してこの世界を体験することができるのかと思います。それを教えてくれるのが瞑想だったり、武道とか華道どうとか書道とかなんというのか…空間だったり何かと一つになる感覚があるものなんだろうな。今、私は体験しにきているのだ、という体験、認識があると苦しいことに飲み込まれている時にも俯瞰でみられるようになれるのかもしれません。精進いたします…(;^_^A