笑顔は宝です
例えば、コンビニの店員さんの笑顔を見るだけで幸せになれる単純な私です。
飾らない素直な笑顔は最大の宝です。
例えば暗い気持ちや、いらついていても、笑顔を見たらふっと気持ちが明るく楽になれたりする。
ありませんか??
人の笑顔が大好きです。
飾らない素直な笑顔は最大の宝です。
例えば暗い気持ちや、いらついていても、笑顔を見たらふっと気持ちが明るく楽になれたりする。
ありませんか??
人の笑顔が大好きです。
続・独り言
通信制の高校を出てから、バイトをぽつぽつとしてます。
病的ともいえる神経質ですんで、薬はいくつか飲みます。
私と同じように、人といると色々考えてしまって辛い、という方は沢山いると思います。
抱えこまないでいてほしいです。そういう人は、心が優し過ぎるのだと思います。
詰め込み過ぎると胸は苦しくなって、楽しい気持ちなんかも奪ってしまうので、どこでもいいから発散して欲しい。
何も考えなくて済むような事を一心不乱にすると、以外と楽になります。
私にとっては、それが絵でした。
沢山の人が、悩みや苦しみから開放されて、幸せになったらいいなと思います。
こんなちっぽけな日記のメッセージですが、誰かに届いたらいいな。
病的ともいえる神経質ですんで、薬はいくつか飲みます。
私と同じように、人といると色々考えてしまって辛い、という方は沢山いると思います。
抱えこまないでいてほしいです。そういう人は、心が優し過ぎるのだと思います。
詰め込み過ぎると胸は苦しくなって、楽しい気持ちなんかも奪ってしまうので、どこでもいいから発散して欲しい。
何も考えなくて済むような事を一心不乱にすると、以外と楽になります。
私にとっては、それが絵でした。
沢山の人が、悩みや苦しみから開放されて、幸せになったらいいなと思います。
こんなちっぽけな日記のメッセージですが、誰かに届いたらいいな。
暗くて長い独り言です。
小学生時代が一番楽しかったです。
なぜかというと、何も考えず、楽しい事は楽しいと、悲しい時は泣いたりと、全てを自然体で出来てたと思えるからです。
年を重ねるにつれて、人は思うことを胸に隠します。
「こいつむかつくな」と思っても顔では笑っていたり。
そういうのが次第にしんどくなっていったんです。怖いな、と思いました。
相手は笑っているけど、本当はどう思っているんだろう?と、考え出しては疲れました。
そんな私は学校という場が苦手でした。
いつの間にか、教室の休憩時間、一人でいる事が怖くなりました。誰かと一緒にいて、群れてないといけない気がしました。
私が色々と考え過ぎるんだと思います。
不登校気味になったのは中学の一年の頃だと思います。
元からずる休みはよくする方でした。仮病を使って何日も欠席するような子供でした。
学校に行く事が気が重くて仕方なかったのですが、中学になってからはそれが顕著になりました。
先述しましたが…人の心に潜むものに怯えたんです。
私の家は、小さな頃から冷めきっていて、でもそれを補うように不自然に会話をしたり、休日のたびに出掛けたりするような家庭でした。
小学4年の時に離婚して母と兄と暮らし始めました。
母はストレスを溜め込んで、家の事に手が回らなくなりました。
あまりあれこれと詮索が無いのをいい事に、私は毎朝、寝続けるフリをしました。
たまに学校に行くものの、当然、居場所はどんどん無くなっていきました。
一日、家族を含め誰とも会話を交わさないことが一ヶ月も二ヶ月も…長い間ありました。
互いの存在が無いもののように話もしない沈黙だけの家庭内別居の状態は、思い返してみてもゾッとします。
今は母とは友達のように仲良しです。腹を割って話をするようにして、話し合いも何度もして、和解しました。
家族のコミュニケーションというのは大切だなぁと思います。
でもそれは前の話でもあり、ずっと先の話なのでいいんです。
今も相変わらず、色んな事に敏感です。
しかし、思った事や気持ちを出来るだけ周りに伝えるようにしようとは思っています。
相手に、何を考えているのかと不安に思われるのはいやですし、相手にも出来るだけ伝えてもらいたいという気持ちの表れでもあります。
→
なぜかというと、何も考えず、楽しい事は楽しいと、悲しい時は泣いたりと、全てを自然体で出来てたと思えるからです。
年を重ねるにつれて、人は思うことを胸に隠します。
「こいつむかつくな」と思っても顔では笑っていたり。
そういうのが次第にしんどくなっていったんです。怖いな、と思いました。
相手は笑っているけど、本当はどう思っているんだろう?と、考え出しては疲れました。
そんな私は学校という場が苦手でした。
いつの間にか、教室の休憩時間、一人でいる事が怖くなりました。誰かと一緒にいて、群れてないといけない気がしました。
私が色々と考え過ぎるんだと思います。
不登校気味になったのは中学の一年の頃だと思います。
元からずる休みはよくする方でした。仮病を使って何日も欠席するような子供でした。
学校に行く事が気が重くて仕方なかったのですが、中学になってからはそれが顕著になりました。
先述しましたが…人の心に潜むものに怯えたんです。
私の家は、小さな頃から冷めきっていて、でもそれを補うように不自然に会話をしたり、休日のたびに出掛けたりするような家庭でした。
小学4年の時に離婚して母と兄と暮らし始めました。
母はストレスを溜め込んで、家の事に手が回らなくなりました。
あまりあれこれと詮索が無いのをいい事に、私は毎朝、寝続けるフリをしました。
たまに学校に行くものの、当然、居場所はどんどん無くなっていきました。
一日、家族を含め誰とも会話を交わさないことが一ヶ月も二ヶ月も…長い間ありました。
互いの存在が無いもののように話もしない沈黙だけの家庭内別居の状態は、思い返してみてもゾッとします。
今は母とは友達のように仲良しです。腹を割って話をするようにして、話し合いも何度もして、和解しました。
家族のコミュニケーションというのは大切だなぁと思います。
でもそれは前の話でもあり、ずっと先の話なのでいいんです。
今も相変わらず、色んな事に敏感です。
しかし、思った事や気持ちを出来るだけ周りに伝えるようにしようとは思っています。
相手に、何を考えているのかと不安に思われるのはいやですし、相手にも出来るだけ伝えてもらいたいという気持ちの表れでもあります。
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