ADHD=注意欠陥多動性障害

別名 インディゴチルドレンというなんだかかっこいい呼び名もあります。

ある時、なにげなく本屋で心理学の本を立ち読みしていたとき、このADHDのことを知りました。


落ち着きがない、集団行動が苦手、忘れ物が多い、じっとできない、

ひとつの事をやっているときに別の行動を始める、片づけができない

人にちょっかいいを出すetc....



わたしは間違いなくこの症状を持っていました。

保育園も脱走したり、お友達にいたずらしたり、砂場でひとり遊んでたり

あまりに集団行動ができないので、退園させられました。

小学校に入っても問題を起こしては、親は何度も学校に呼び出され

家庭に問題がある、と注意されてました。

思春期の頃、家を出てフラフラしてたら

家庭裁判所から強制的に精神鑑定を受けたことがあります。

当時はADHDなんていう病名がなかったので

「情緒異常児」と診断され

3才の頃の親の虐待が原因、とされ

このままでは犯罪を犯す可能性もあると

栃木県の山奥のお寺に入れられたことももあります。

わたしはずっとそんな自分の事がいやでした。

目立たないようにしても目だってしまい、いじめの標的にされる

ふつうの人になりたいとずっと思っていました。

そしてトラウマ(心因的外傷)と向き合うようになったのは、出産してからでした。

子供にとっていいお母さんでいたい、でもどうしていいのかわからない。

どうやって愛されたのか、覚えてませんでした。

愛する娘に、わたしのような人間にはなってほしくなかった。

そのためにも父を許し、母を許していこう

それには長い時間がかかりました。

気がつくと、自分がトラウマを癒すカウンセラーになっていました?!


それでもまだ母親のことで最後の課題を持ち続けてました。

母は今でも、わたしが小さい頃のアルバムを見ると必ず涙をこばしながらこう言います。

「どこで育て方を間違えたのか」

それはあなたのせいでしょう、と心でつぶやく

言うことを聞かないからと、叩いたり、ののったりしたあなたが悪いんだ


インナーチャイルド、胎内期、中間性、幼児期、思春期、、

もちろん今までも何度も何年もかけて癒してきました。

そして父親のことも解放してきました。


あとは、そんな母親を許さなければと思っていました。



母はわたしと似ているけど、輪をかけてすごい人でした。

口が悪い、頑固、否定的、プライドが高い、負けず嫌い

ヤクザでも警察でもケンカを売るほど気は強いのに

情も深く涙もろく、根はやさしい人でした。


今年3番目の義父が亡くなって、がっくりと元気がなくなった母。

病気も抱え、家に引きこもる母が心配でした。


マインドブロックバスターを学んでるときに、母親のことを解放しました。

「わたしは母を許している」

そうすると頑固だった母親が変わったのです!

正直にいうと何年もかけてきたものがたったこれだけで変わるわけないと思ってたのに。

(またいつかお話しますが、それでインストラクター受講を決意したのです。)

そしてわたしにも解放が来ました。

たまたま行った本屋でADHDの本が、また目に飛び込んできたのです。

ああ、そうか、わたしは生まれつき変わった子だったんだ

お母さんはわたしを育てるのに、どんなに苦労したか?!


その視点で初めて観ることができた時、心から感謝が湧いてきました。

心の傷を親のせいにしていたけど、

本当に赦すべきは自分自身だったのです!




世界で1番愛してるお母さん

苦労をかけてごめんなさい、

今もあなたのことが大好きです。


ADHDの特徴を生かして、今では仕事に役立てています。

あふれる才能を授けてくれた両親に心から感謝を!