今、バリ島ツアーを企画中です。
40回近く通ったバリ、一時は真剣に移住を考えてましたが
沖縄に来たころから足が遠のき
ようやく今年は5年ぶりに行けそうです。
(沖縄からの参加者があれば、お連れできます)
むかし買い付けをしてたころは
「ニュピはミシンが止まる」というイメージで避けてきたけど
今回はそのニュピに計画を立てました。
3月9日~13日 新月★ミラローズ
3月23日~27日 満月★佐々木恵美子
沖縄と同じく月の暦で生活してるバリニーズ、
なぜかバリの満月は1日早いらしい(26日)
今、急いでまとめ中なので、気になった方はぜひチェックしていてくださいね。
ミラローズバリ島リトリート
昨日アップしました♪
http://bluelotasmagic.ti-da.net/e4206861.html
バリ島での20年来の友人直子さんが
今ではYOGAの先生になってると聞いて、
当時をなつかしくふりかえりました。
バリ島に始めて行ったのが1989の7月
その頃わたしは主に韓国、台湾、香港など、
海外で雑貨や衣料品の買い付けをしては、
数台のワゴン車と数人の売り子を使って
渋谷や新宿の路上で販売させていたバリバリの商人でした。
ストリートだけでなく、お祭りやイベント、キヨスクやデパートの催事まで
都内のほとんどを仕事で廻り派手に活躍していました。
世の中はバブルの時代
物価は高くてもモノがほんとうによく売れました。
20代でベンツやBMWを乗り回し、ブランド品を身につけ
当時はまだ珍しかった、IDOのでかい形の携帯電話を持ち歩いてました。
仕入先の韓国ソウルで知り合ったイワンさんというインドネシア人と
同じ仕事&中野区に住んでいたことから仲良くなり
弟のアクさんがわたしの仕事を手伝うようになったのです。
「リラックスの方法はインドネシア人に学べ」
とどこかで読んだことがあるけど
いつもぼーっとしてるようでいて、よく観ている。
「ガムテープがない!」と、わたしがパニックになっていると
ニコニコしながら、ガムテープを持って後ろに立っているような、よく気がつく働き者でした。
彼らはバンドゥンというジャカルタの近くの出身で、イスラム教徒でしたが
バリ島がインドネシアという国にあることも、よくわからないまま
あることがきっかけで
初めてバリ島に行くことになったのです。
そのきっかけとはパルコの地下で受けた占星術。
「○月○日までの期間に仕事替えをしなさい」
といわれ、ハッとしました。
当時はまだ規制もゆるかった、類似ヴィトンとかも売っていたので
もしやそのことではないかと、得意の直感が働きました。
もちろん、だましたりして売ったりはしないし
ほかで手に入らないのでよく売れましたが
こうした仕事はギャンブルと同じく引き際が大切、
バリ島に行かないか、というイワンさんのお誘いに乗りました。
なにかが見つかるはず、そう直感したのです。
当時のバリは、空港も田舎っぽくて南国情緒がありました。
電気もしょっちゅう止まるし、電話もない。
だけど、そこで人生観がひっくり返るようなカルチャーショックを受けました。
当時流行のボディコンシャスのスーツを着て、
厚化粧に金ピカののアクセをじゃらじゃら着飾っていたバブリーなファッション感覚が
自然体の自分に戻ったのです。
着心地のいい自然素材によく映える、小麦色に日焼けした肌を見て、
なぜか、これが ほんとうの自分の姿だ、と思いました。
イワンさんの友人として知り合った日本人とインドネシア人の夫妻、ダス&直子。
このすてきな夫婦との出会いが、また大きくバリとつないでくれました。
直子さんは妊娠中でしたが、お店を始めたばかりというので
そこで、お店をほとんど買い占めるほど買い付けしました。
「ひろみちゃんは、たぶんすぐに戻ってくるね」
バリ島に呼ばれるタイプがあるらしい。
その言葉の通り、
1週間後には買った商品をすべて売りつくして
バリに再び戻ってきたのでした。(早っ!)
今、考えるとバリに呼び戻されたのかもしれません。
そういえば、わたしが行ってる間に
類似品販売の同業者たちが総摘発されてました←命拾い
つづく
使用前(歌舞伎町にて)
使用後(麻布十番祭り)
渋谷公園通り
なぜか稲川淳二さんと(笑)