ヒプノでは本人の意思とは別に、必要な場面に行かされることがよくあります

宇宙のビジョンから胎内記憶に入る方が多いこと

そしてそれは男性に多く、もしや子宮を肉体に内在していない男性だから、

子宮回帰することが宇宙につながることに関係しているのかなと感じたことがあります



わたしがヒプノセラピーのスクール受講生のころの体験談です

その日は胎内期というテーマで、

退行催眠のグループ誘導を受けました


10人くらいのクラスでしたが

輪になり椅子に座りました


クッションが足りなかったので

わたしはクッションのない固い木の椅子に座りました

何だか落ち着かず腰が痛くて痛くて

先生の誘導がどうしても入って来なくて

集中できずソワソワイライラして

怒りさえ感じました


終了後のシェアリングでみなさん「気持ちよかった」

「あたたかかった」

「お母さんの声が聞こえた」


など感想を言い合う中、

わたしは何も感じなくて集中できず

不快だったと

正直に言いました


隣の隣に座っていたAさんも

クッションがなくてわたしと同じだと 意見したとき


先生が「あ、いけない先に聞き忘れてましたが

この中で妊娠中に何かあった方、手をあげてください」

と聞いたところ


わたしとそのAさんが手を上げたのです。



わたしは妊娠5~6ヶ月の頃、

母が階段から落ちて

お腹の痛みから病院に行ったところ

心音がなく

「もう亡くなられてますね」

と手術をする寸前


老先生の診断でまだ生きていると

九死に一生を得たそうです



そのせいか高い所が苦手で


幼い頃はよく、高い所から落ちる夢を見て飛び起きていました


Aさんは妊娠中にお父さんが亡くなられたそうで


お母さんは大きなお腹を抱えずいぶん動揺されたと思います。

Aさんはおなかの中でどう感じていたのでしょうか。


わたしはきっと母の子宮で居心地の悪い思いをしたのかもしれません


(階段から落ちたのも自分からそう決めたということをあとで思い出しました。)


それにしても

その2人がたまたまクッションのない2つの椅子をそれぞれ選んだこと


偶然の一致にしては できすぎだと思いませんか?


そんなふうに

潜在意識は必然的に自分で選んでそうするのです


わたしはその出来事で

自分の奥深いところにある

不安や罪悪感や無価値感の原因が

そこから来てるのではないかと

思うようになりました


母も父も20歳とまだ若く

予定外の妊娠に戸惑っていたのではないか



もしかしたらいらない子供だったのかも?

生まれてきてはいけなかったのではないか?


そんなふうにどこかで考えていたことが、ようやく浮上しました


その後にわたしは沖縄に来るようになり

ある時

ある神人さんに北部の山の中にある洞窟に連れて行ってもらいました


そこはアダムとイブの村と言われる

伊武岳という山の近くでした


大きな洞窟の奥の奥に湧き水があり

そこは子宮の中なのだと


わたしは目をつぶり

子宮の中を感じていました


すると誰かが頭をなでるのです


きっと神さまが来たんですよと神人さんは言いましたが


わたしは直感しました


あれは母の手だっただと!



母はごめんなさいごめんなさいと

お腹をさすりながら泣いている、、

時空を超えて わたしを呼ぶ声がする


「生きていてちょうだい」


だからこうして生まれてきたのだと思い出したのです


その後(2005年)に行った

アダの海

山根麻以さんのボイスワークの最終日でした


浜辺で唄ったあと

瞑想をしていると

突然、光とともに

大きな円に矢がささるビジョンが来ました

それは精子と卵子の結合シーンでした




「あなたは愛の中から生まれたよ」


○○万分の1という確率で

わたしは着床したのです


大好きなお父さんとお母さんを選んで...


自分で選んだいのち、それは愛と光そのものでした


そして沖縄でそれを思い出したこと


沖縄の自然神さま、ありがとう


沖縄は地球の子宮なのでは思うことがよくあります


子宮が癒されることは地球が癒されることだとある方が言っていました

沖縄での再誕の儀式は何度か体験しましたが

「生まれ変わる」は

「新しく選択する」ということ


大自然のエネルギーの力をお借りして、

自分なりのワークがいつかできたらいいなと思ってます。


2010年6月のエッセイより