断捨離って、離れたり捨てたりすることではないと思っている。新しい世界へ移りたいと思い、そのような心を具体化する過程ではないだろうか。それは意識の焦点(注目して自分の意識を向ける面も時空間も含めて)を変えようとすること。だからいまどこにいて、どこに行きたいかがはっきりしていないと、断捨離は難しくって当たり前だし、そんなに難しくない場合は掃除しているだけだからだろう。断捨離は断じて普通の掃除ではなく、特別な掃除だといえそうだ。1~2年も意識の光が当たっていないモノは実存していないので、掃除してしまうことになる。断捨離、掃除の方法は非新品販売、寄付などいろいろある。

人間関係の断捨離は、もっと考えないといけない。相手にも血が通っており、意識パワーがある。特に共同生活をしている場合は、モノの実存化地図の現状も共同生活者の間で同じではない。お互いの心に映っているお互いの姿の一体化は鏡効果(mirror effect)と呼ばれるが、これも大きな要因となるだろう。その辺の相性が悪い時は、断捨離は離(別れ)に発展する可能性を含んでいる。反対にいえば、離があればそのれ伴う断捨がある。ワクワクするような別々の新しい世界があるなれば、「ボクは左へ、君は右へ、柿食いながら丘の上」とできれば辛苦も少ないのだが。

永遠なしに一瞬はなく、一瞬なしに永遠はない。至る所なしに一か所はなく、一か所なしに至る所はない。命なしに死はなく、死がなければ命はない。といわれてもやっぱり死ぬのは気味が悪い。無の意識なしに全の意識はなく、全の意識なしに無の意識はない。といわれると瞑想への興味が少し湧く。

611日に堀井真吾さんの物語シアターで朗読劇を見た。二つの出し物ともに喜劇だったのに最後の所で涙が出て困った。音読は名調子だったが、舞台の役者は大げさに見せようとして演じ、筋も半ば位で終わりまで読めてしまっていた。にも係わらず、最後で涙が出るほど感激している自分を発見してびっくりした。それはどうしようもない悲しみや愛など人の本質的な気持ちを、役者は演じないで、むしろそれは観客が心の中で想像し演じていたからだと気がついた。いい喜劇って何だということが分った気がした。