最近私の周りのJWには、iPhone,iPad,ipod touchなどのios搭載機器を使用している人が多くいます。
その方たちの中には、今まで使用していたWindowsパソコンからMacに変えようとしている人。すでにMacに変えた人がいることと思います。
しかしWatchtower Libraryがインストールできない?と思っている人もいるのではないでしょうか。
結論をいうと、出来ますので安心してください。でも少し費用がかかります。
詳しくは説明しませんが、3つほど紹介します。
・MacにBoot campでWindowsを入れる
bootcamp
・Mac上でWindowsを動かす
parallels
vmware fusion
・MacでWindowsのアプリを動かす
CrossOver Mac
各リンク先でどんなものなのか確認できます。下二つに関しては同じ機能を持つ他のアプリもあることでしょう。
リンク先の説明で、もしわからなかったらWindwsパソコンで我慢しましょう。
先日、iPad Airを買ってきました。(写真の右側にあるのは、妻のiPad mini)
以前は第3世代のiPadを使用していて、軽く、薄くなったのであれば買わねばと思い。
第3世代iPadを売り、Airを買った次第であります。
王国会館のステージ上での使用が解禁になったとはいえ、
iPad Airをもってステージにあがるのは、なんかカッコ悪い気がしてなりません。
ですので、朗読するときなどは、これまでどおり、実際の出版物を使おうと思いました。
私の会衆において、姉妹たちもタブレットを持っている人が増えています。
今まで妻がわりあての際は、タブレットで原稿をつくり、それを印刷した物を使用していました。
何気に印刷をするのは面倒ということがありますので、ステージ上での解禁で益を受けるのは
姉妹たちなのではないかな?と思っています。
最近私は集会にタブレットしか持って行っていません。
出版物はほぼこの中に入っていたり、(協会のPDFやEPUB、自炊した出版物のPDFなど)
王国会館のwi-fiを使って、公式サイトのオンラインライブラリーやHTMLの記事を閲覧するためです。
なので、「今日は持ってくるものが多くてバッグが重い。」といったことがなくなりました。
使うことができるのであれば、年配の方や、その方を援助する人にとっても有用だと思います。
まとまりのない文になってしまってしまいましたが、言いたかったことは
最近はWi-Fiが備わっている王国会館が増えたよ!ってことにしといてください。
今年の開拓者の集まりに、はじめて参加された方がいました。
その方に今回の感想をきいたところ、(実際は聞き耳をたてていただけですけど)
「目新しい内容ではないけれど、何かが違う。」とのことでした。
それを耳にしたわたしは、人数は少なく、赤ちゃん子供がいないという点だけの違いですよ 。と思いました。
別の方は、開拓者の集まりでは話を聴こうという意欲のある人だけだから、そういったところが違いを感じたのであろうとおっしゃっていました。
わたしにとってそれは、とても耳が痛くなるお言葉です。
わたしも始めて開拓者の集まりに出席し終わったときに、同じ会衆の開拓の姉妹に、
「どうだった?緊張した?」ときかれたことがあります。
えっ?緊張?どこに緊張する要素があるの?と思ったものです。
今となって思うのですが、その姉妹は、開拓者は特別に優れた人であって、
開拓者の集まりは優れた人たちのより取り分けられた特別な集まりなので、そんなところにはじめてきたのだから緊張したんじゃないの?という、開拓至上主義のあらわれだったのかなと思います。
しかし、一つ前のわたしの記事 をみるとわかるのですが、開拓者の集まりで話される内容は何も特別なものではなく、基本的なことが語られます。そのことからも初めて出席した人は、基本が大切であるという思いを抱きます。開拓至上主義になっていると、この集まりに出席することが優越感を得られる機会となってしまっているのかもしれません。
非常に残念なことですね。
その方に今回の感想をきいたところ、(実際は聞き耳をたてていただけですけど)
「目新しい内容ではないけれど、何かが違う。」とのことでした。
それを耳にしたわたしは、人数は少なく、赤ちゃん子供がいないという点だけの違いですよ 。と思いました。
別の方は、開拓者の集まりでは話を聴こうという意欲のある人だけだから、そういったところが違いを感じたのであろうとおっしゃっていました。
わたしにとってそれは、とても耳が痛くなるお言葉です。
わたしも始めて開拓者の集まりに出席し終わったときに、同じ会衆の開拓の姉妹に、
「どうだった?緊張した?」ときかれたことがあります。
えっ?緊張?どこに緊張する要素があるの?と思ったものです。
今となって思うのですが、その姉妹は、開拓者は特別に優れた人であって、
開拓者の集まりは優れた人たちのより取り分けられた特別な集まりなので、そんなところにはじめてきたのだから緊張したんじゃないの?という、開拓至上主義のあらわれだったのかなと思います。
しかし、一つ前のわたしの記事 をみるとわかるのですが、開拓者の集まりで話される内容は何も特別なものではなく、基本的なことが語られます。そのことからも初めて出席した人は、基本が大切であるという思いを抱きます。開拓至上主義になっていると、この集まりに出席することが優越感を得られる機会となってしまっているのかもしれません。
非常に残念なことですね。
