「昨日のあれ、事故死だったんだってな」

「だよな。誰かが殺すはずもない」

 次の日、クラスではニックやその仲間たちがアンナの死について、やけに小声でボソボソと話していた。

「でも、照明のロープにはナイフで切った跡があったって……!」

 思わずその輪に入って口を挟んだ。すると、みんな驚いた顔をして振り向いた。そして、私だと確認すると急にみんな笑顔になって「アイリス、おはよう」とか「こんな話題はキミには似合わない」などと言い始める。

「私はあの子と最後に話したの。気になって当然でしょう?」

「……あの舞台の天井には誰でも入れるキャットウォークがある。だから、誰かがあの照明を落とそうと細工したかもしれないが、その下にあの子がいることを想定できる人はいなかったと結論付けたようだ」

 ニックがやけに淡々と説明した。確かに、そうかもしれないとも思う。

「だけど、アンナの弟はここの学校の人に殺されたんですって。アンナはたまたま昨日来ただけかもしれないけど、誰かに狙われていると怯えていたんじゃないかしら。誰かがいる気がすると言って、頭上を気にしていたの」

「だとしても、一緒にいたキミは誰かを見たわけじゃ無いんだろう?」

「そうだよ。あのキャットウォークに誰かいたら、下からは丸見えだからね」

 確かに私は誰も見ていない。だけど……。

「ねえ、みんなはアンナの弟のジョージを知っている? 彼は殺された可能性はないの?」

 男の子たちはみんな黙って、何か目配せしているように見える。

「私は彼の死もアンナの死も、もう少し探ってみたいわ!」

 いつもなら私の言葉に賛同してくれるのに、今日は誰も乗り気ではないみたい。

「……ねえ、アイリス。そんな話題を君の耳に入れたくなくてさ。キミと関わりのなかった彼の死なんて、キミにはただの不快なことでしかない。だから、俺たちはその話題をすべて排除してきたんだ」

「ニックの言う通りだよ。アイリスには何の関係もないだろう?」

「そうだよ。ジョージの姉貴だって、たまたま直前に会ってしまったとはいえ、アイリスの大事な人ではないんだ」

 彼らの気遣いは私を想ってのことだと分かっている。だけど、どうしても納得が出来なかった。

「ジョージがどうして亡くなったのか、それを知っていたら教えて欲しいの」

 みんながまた顔を見合わせている。そして、ニックが仕方なさそうに口を開いた。

「彼は誰に殺されたわけでもない。自殺だよ 家で首を吊ったんだ」

「自殺……? どうして? いじめとか?」

「さあ。そこまでは知らない。クラスも違ったし、特に接点があったわけじゃ無いからな」

 アンナが言った「この学校の人に殺された」という言葉と、あの刑事さんの「そういう側面もあったのかもしれない」という言葉を思い出す。だとしたら、やはりいじめがあったんじゃないかしら……?

 

 私はジョージのいたというクラスへ行ってみた。そこに友達のリサを見つけて呼び出した。

「ねえ、一ヶ月前に亡くなったジョージって、どうして自殺したの? もしかして、いじめとかあった?」

「いじめっていうか。彼は有色人種だったから、そういう人種差別的なことは日常的にあったんじゃないかしら。ジョージは繊細なタイプだったから、苦痛そうにしているのを何度も見たことがあるわ」

「人種差別⁉」

 確かにそういう人たちは街には溢れている。白人は特に黒人を嫌っていることも知っている。だけど、このハイスクールでそんな下劣な事をする人がいるなんて、私は見たことが無かった。

「……アイリスは混血でもない生粋の白人ですもの、経験ないでしょうね。私はプエリトリカンだから、少なからずあるのよ。だから、あなたがそういう意識が無いこともわかるわ」

「プエルトリカンだったら、どうして差別されるの?」

「肌が浅黒いからよ」

 ハッキリとそう言うと、リサは教室へ戻って行った。

 ショックだった。私が天国だと思うほど幸せな時を過ごしていた、このハイスクールでそんなことが起こっていたなんて。

 そして、さっきのニックの言葉を思い出す。同じ高校に通う少年の自殺が耳に入らないくらい、恐らく私は彼らによって守られてきたのだろう。

 私に必要ではない情報が遮断されていれば幸せでいられる。そんな世界を創ってくれている彼らには感謝しかないけれど……。

 

 どこかしっくりこない想いを胸に抱えたまま、私は授業を受けるために自分のクラスへ戻った。ニック達はまだ教室の隅で固まってボソボソと何かを話している。

 私はそこには入らずに自分の席に着くと、前の席のキャシーに話しかけようとした。その時、ニック達の方から衝撃的な言葉が耳に飛び込んできた。

「あの黒人のサルが」

 私はキャシーの背中を叩こうとしていた手を止めて、思わず彼らの会話に聞き耳を立てた。

「だけど、あれってやっぱり俺たちへの当てつけだろう?」

「ジョージのことか? あの日、徹底的に笑ってやったからな。だろうな」

「けど、殺したわけじゃ無い。勝手に死んだんだ」

「シッ!」

 ニックがその会話を止めた。そして、もっとボソボソとした声で言った。

「アイリスに聞こえるだろ? ここではやめろよ」

「私に聞こえたら、なんなの⁉」

 我慢できずに立ち上がって振り向いた。ニック達だけじゃない。クラスの全員が私を見ている。

「なんでもないよ」

「ごめん、ちょっと下ネタ話していたんだ」

「そうそう、キミにはそんな話を聞かせたくない」

 いつもの爽やかな笑顔で誤魔化すニック達。

 そうだったのね。こうやって、私は騙されてきたんだわ。

「私はこのハイスクールに肌の色で人を差別したり、笑いものにしたりするような人がいるなんて思わなかったわ!」

「違うんだよ、アイリス。誤解だよ」

「そういう人たちがいるって聞いたのは、ついさっきよ。ジョージがそういう人たちに追い詰められていたって。だけど、それをあなた達が私の耳に入れずに来てくれたんだって、感謝していたところだったのよ!」

 突然、クラスの中から吹き出したり、くすくすと笑ったりする声が聞こえてきた。

「……なにが可笑しいの?」

「ごめんなさい、アイリスが悪いんじゃないわ」

「でも、キミの彼氏たちはキミが思っているような人じゃないことは、誰もが知っているよ」

 それは、アジア系の女子とアフリカ系の男子だった。名前は……なんだったかしら?

 そういえば、私はこの人たちと話したこともなかった。

 だって、友達はみんな寄って来てくれるし、他の人たちのことを知らなくても何の問題もなかった。もしかしたら、ニック達が彼らを寄せ付けなかったの……?

「私は別にチヤホヤされたかったわけじゃない。少なくとも、人種差別をするあなた達を軽蔑するわ」

 そう言い残して、私は鞄を持って教室から出て行った。

「おい、アイリス、どこへ行くんだ! 授業が始まるぞ‼」

 廊下ですれ違った先生に怒鳴られたけど、私は戻る気なんて無かった。だけど、立ち止まって振り返った。

「ニューヨークへ行きます」

 だって、もうカリフォルニアにいる意味なんて無いじゃない。

 私の未来はニックがいることで成り立っていたなんて、思い返してもバカみたいだわ。

 それにね、あの素敵な音色を奏でていたアンナと、ジャズをバイオリンで弾くジョージが夢を見ていたニューヨーク。その世界を覗いてみたいと思ってしまったの。

 

 

 これが、ジャズに魅せられた私がニューヨークへ行くきっかけになったお話し。

 そこからニューヨークで大成功するのは、また別のお話しね。

 アンナに出会ったことで、私の人生は大きく変わった。

 たとえ作られたものであっても、それまでが幸せだったのは事実だったけれど。それでも、そんなマヤカシはいつかきちんと目醒めた時にわかるものなんだわ。

 それが高校生のころで本当に良かった。あのニックと結婚した後だったりしたら、なんて思うとゾッとするもの。

 えっ? アンナの死について?

 彼女の死に事件性は無かった。誰かが照明器具に悪戯しただけというのが、警察の見解だった。たまたま、運悪く彼女が下にいたのだと。

 私も事件性はないのだと思ったわ。だけど、彼女が下にいることを知っていた人がそれを仕掛けたの。

 それは、アンナ自身ね。

 彼女はきっと、ジョージの死に絶望したんだわ。そして、自殺するほど苦痛だったジョージを追い詰めていた、彼の学校を怨んでいたのね。だから、アンナはまるで学校に犯人がいるかのように、あの場所であんな無惨な死を遂げた。

 彼女にとって、それが成功したのかは知らないわ。

 だけど、私には目が醒めるきっかけをもらえた。

 とはいえ、アンナには生きていて欲しかったわ。そしたら、きっとニューヨークで一緒に色んな素晴らしい体験ができたのに……。

                                     【了】