無題 -64ページ目

無題

いろいろと


生理の終わりの時期になると一週間頭痛がとまらない。しんどい。頭痛薬飲みすぎて胃が痛いし、横になってもめまいがする。地球儀の上に乗せられてぐるぐる回されてるみたい。またメニエルかなと思ったけどたぶんこれは貧血だなー。頭も一回検査したいけどCT受けたくないよー。
体調が悪いだけで全ての楽しみが奪われるよね。
あと前は夜中まで余裕で起きられたのに、今は眠気を我慢すると吐きそうになる。昨日も限界まで我慢してあとは死ぬように寝た。活動時間を強制的に短くされているようで嫌だ。
そういう状態になると物事を順序よく書いたり話したりできなくなるし、今自分がなにをやっているのか、なにをしなければいけないのか、今時計は何時をさしているのかについてもうまく考えられなくなる。仕事中にこうなるとかなり痛いわけで、人との会話も億劫になる。

人の不具合ってやっぱり実際に体験してみないとどれぐらい辛いのか、どれくらい生活に支障をきたすのかなんて理解できないと思う。自分もそうかもしれないので気をつけなければならないけど、不具合を感じたときにそれが理解されないと本当にしんどいということはわかる。
ただ前述した通り、自分以外の他者が、自分と同じ「痛み」を感じることができないのは当然で仕方ないことだから、「理解してくれ、考慮してくれ」と懇願することは難しい。
例えば「生理痛」というものは男の人にとってはまったくの未経験でこれから未来永劫体験することのない痛みのひとつだけれど、「生理痛がひどいから仕事を減らす」「生理痛だから休暇をとる」というのが当然の権利になるにはあと何万年かかっても無理なような気がするし、その権利を気兼ねなく主張できる時代なんて来ないようにも思う。生理痛を上回る痛みでもある「出産」でさえ、完全に理解されて考慮されているとは言えないのだから。

今挙げたのは女性の場合だけだけれど、世の中には男女や年齢問わず一般的に理解されにくい痛みを抱えている人は多いだろう。
彼らは必然的に健康な人より多くの我慢を強いられる。

小学生のときによく教師から言われたのが「みんなも我慢しているのだからあなたも我慢しなさい」「あなたより辛い人もいるのだから頑張りなさい」という言葉だ。
こうした善かれと思って発せられる言葉は時に凶器にもなる。こどもにとっては尚更だ。
たとえ同じ行動でも他人が自分と同じ辛さや苦しさを味わっているとは限らない。それを教師は知らなかった。
「みんなちがってみんないい」と教科書を朗読させた大人たちには、許して良い「ちがい」と許してはいけない「ちがい」があったのだ。

人にはそれぞれ違う痛みの感じ方があり、我慢できる限度もまた違うことを、私は心に留めておきたい。
苦痛は苦痛であって、成長や強さに昇華できるものとは限らないことを知っていたい。
全ての弱者は救われるべきだとまでは言い切れないけれど、痛みを感じる人たちの我慢が今よりもっと軽減される社会になってほしい。
「理解する」ということは不可能でも、「理解しようと努める」
ことは可能だと思うから。