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無題

いろいろと

今日はいつになく優雅に通勤したい気分だった。
いつもならiPodでR&Bやらhiphopやらアニソンやら西野カナやらレイ・チャールズやらを無秩序に爆音で聞いて行くのだけれど、今日は先述の通りいつになく品のある高貴な通勤がしてみたかったので、とりあえずクラシックかな、と思い、ラジオをつけるとレナード・バーンスタインが指揮するミュージカル「キャンディード」の序曲とやらが流れており、「まあ、クラシックとは違う気もするけど、なんとなく高貴だな。ふんふんふん」といった具合に、音楽を聴きながらちょっと気取って運転していたら、あまりの心地よさに目をつむりそのまま天に召されそうになりましたですぅ。

運転中はやはり雑多な音楽を聴いて耳から体を起こしておく必要があるね。
以前からもっと品のある音楽を聴きたい、ジャズバンドとかクラシックとか・・・・・・というふうに思ってきたけど、周囲にそういった音楽に詳しい人がいなかったから、自分だけではどういう風に手をつけていいかわからない。
父はピアノを弾くけど、もっぱらショパンしか聴かないし弾かないというショパンフリークだし、
ショパンって、好きだけど、好きだけどさ、なんかメジャーすぎるじゃん。

はああ。

そういうマイナーなものへの無意味な憧れというか、マイナーを知って悦に入るのがいけないのかもね。
だからなにもかも中途半端なのよね。
わたし、いろんな物事に興味を持つけど、そこまで深く知りたい!うん!好き!全て知りたいって思うほどハマらない。
ある程度知って、手を出してみて、アバウトの段階からもっと細々した段階に入ろうとしたときに、
「あーもういいやっ!めんどくせ!飽きた!」ってなふうになってしまうのです。
うん。

もしそこでそうならずに何かに没頭し続けていたら、わたしにはもっと違う人生があったのかもしれないね。

秋という季節そのものが切ないからかもしれないけれど、最近よく「もしかしたら有り得たかもしれない別の人生」とやらに思いを馳せたりしているよ。
悲観的にではなくて、可能性について。

小さい頃毎日のように遊んでいたのに、思春期を迎えるあたりでどちらともなく喋らなくなって、今ではもうすっかり疎遠になってしまった人がいるんだけど、その人は今、わたしとは比べようのない異世界に住んでいるんだ。
同じ日本にいながら、「小さい頃は仲が良かった」という事実がなければ、かすりもしないような人生を歩み、たぶん二人並んでみても共通点を見出すには苦労するだろう。

そこでわたしは疑問に思っていたの。
「あの人と私の人生の分岐点はどこだったんだろうか」って。

長い間、ぼんやりとそんな疑問を抱えていたけど、この前ふと分かった気がした。

私と彼(もしくは彼女)の歩いていた道は、途中で分かれてしまったのではなくて、はじめから別だったのかもしれない。私たちに分岐点などなく、知り合ったという過去、仲良く遊んだという一瞬の過去が、偶然発生した「交差する点」だったのかもしれない、と。

そう考えたら、なんだかおそろしいくて切ないような気もしたけれど、縄が解かれたような安心感を覚えた。
「なんだ、最初から別々の道なんだから、なにもわたしが落ちこぼれたわけじゃないんだ」って(笑)
そんなの気の持ちようといってしまえば終わりなんだけどね。

すべての人間にはそれぞれ別の道が用意されていて、その道はどこかで交差したり、平行していたりする。
常に前だけ見て歩く人もいれば、蛇行しながら走っていく人もいる。たまに誰かの道に入っては寄り添って同じ道を歩いたりする。
そんなイメージが、理由もなくわたしの心を落ち着かせたりするんです。