去る3月26日に行った、名作に対する議題トークの第2弾について、遅ればせながら記録に残しておく。
題材は予告通り「舞姫」で行った。
双方から持ち寄った議題は以下の通り。
①主人公(太田豊太郎)と自分の共通点はあるか(共感したところ)
②主人公の好きなところ
③主人公の嫌いなところ
④主人公はどこで本来の自分へ引き返すべきだったか(自分だったらどこで引き返すか)
⑤首席の頭脳を持った主人公が、何故このような自体になってしまったのか
⑥最後の段落の意味について
⑦エリスは主人公にとってどういう存在か
⑧エリスは何故壊れたか
⑨なぜこの作品が後世に残ったか
(作品のどんなところが評価されたのか。ドロドロの男女関係?それとも?)
⑩自分が森鴎外だったらこうする。舞姫の結末!
そして、それに対する私の回答が以下である。
①主人公(太田豊太郎)と自分の共通点はあるか(共感したところ)
“余所に心の乱れざりしは、外物を棄てて顧みぬ程の勇気ありしにあらず、唯外物に恐れて自らわが手足を縛せしのみ。”
私が面白いお金の使い方を知らない理由に通じるところがある。
②主人公の好きなところ
“我が隠しには二三「マルク」の銀貨あれど、それにて足るべくもあらねば、余は時計をはづして机の上に置きぬ。「これにて一時の急を凌ぎ玉へ。」”
換金できるような高価なものを所有している。返済されない可能性も視野に入れていたはずである。
③主人公の嫌いなところ
エリスとともに生きる道を取るか、社会復帰するかどうか、エリスにも相沢にも大臣にも相手が望む回答をする、流されたような性格。ただし、そのすべてにおいて行動が伴わないだけで、主人公の本心に嘘はなかったように感じられる。
④主人公はどこで本来の自分へ引き返すべきだったか(自分だったらどこで引き返すか)
主人公が免官されたのは、次の誤解をされたことが原因である。
“余と少女との交漸く繁くなりもて行きて、同郷人にさへ知られぬれば、彼等は速了にも、余を以て色を舞姫の群に漁するものとしたり。われ等二人の間にはまだ痴騃なる歓楽のみ存じたりしを。”
上記の誤解を解消するすべがないのであれば、誤解を生じる状況そのものを作るべきではなかった。
a)エリスと出会った日、エリスを家まで送り届けるが、家に上がるべきではなかった。
b)エリスにエリスの父の葬式の工面をしたところで終わりにするべきだった。
⑤首席の頭脳を持った主人公が、何故このような自体になってしまったのか
“余は一週日の猶予を請ひて、とやかうと思ひ煩ふうち、我生涯にて尤もつとも悲痛を覚えさせたる二通の書状に接しぬ。この二通は殆ど同時にいだしゝものなれど、一は母の自筆、一は親族なる某なにがしが、母の死を、我がまたなく慕ふ母の死を報じたる書ふみなりき。余は母の書中の言をこゝに反覆するに堪へず、涙の迫り来て筆の運はこびを妨ぐればなり。”
→主人公の母親は自殺したのではないかという説があるらしい。母親と親戚からの手紙がほぼ同時に書かれたものであることから、母親からの手紙の内容は主人公を諌めるものであったと考察されている。母親は自らの死をもって、主人公に元のまっとうな道を歩んで欲しい(実際はこの時点で主人公は道を踏み外しておらず、すべては誤解が招いたことだった)ことを訴えた。主人公が母親からの手紙の内容を明かさない(思い出すと辛くて記すことができない)ことも前記の内容に矛盾しない。親戚からの手紙は、本文に書かれている通り母親の死を伝えるものだった。
上記の仮説を受けて、以下のように考える。
故郷日本で、自分の活躍を一番に喜んでくれていた母親の死。誤解を解くにも時すでに遅く、自分は異国の地で仕事を失った。何もかも失くした主人公に、唯一人自分を求めてくれるエリスに流れていくのは、仕方のないことだったように思う。挫折を知らないエリートだからこそ、打たれ弱く落ちるときは一気に落ちていった…。主人公にとってエリスは恰好の逃げ場であったのではなかろうか。
⑥最後の段落の意味について
“嗚呼、相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我脳裡に一点の彼を憎むこころ今日までも残れりけり”
この物語が主人公の手記であることを感じられる一文である。
その言葉の通り、主人公が社会復帰できるよう取り計らってくれたことも、エリスが病に罹ったのちの世話をしてくれたことも、主人公は相沢に対して大いに感謝している。しかし、ドイツで起こった出来事がどうしようもなく過去になっていったとしても、エリスを置いて日本へ帰国すること、その状況をああいった形で作った友人を、その一点にかけて“憎む”心が残ること、すべて納得した帰国でないことを書き記している。
始めにある文にも通じるところである。
“げに東ひんがしに還かへる今の我は、西に航せし昔の我ならず、学問こそ猶なほ心に飽き足らぬところも多かれ、浮世のうきふしをも知りたり、人の心の頼みがたきは言ふも更なり、われとわが心さへ変り易きをも悟り得たり。”
物語はすべて過去の出来事となったのちに書き始められたものである。小説を最後まで読んだのちに、この手記の書き出しを再読すると面白い。
⑦エリスは主人公にとってどういう存在か
“我足音に驚かされてかへりみたる面、余に詩人の筆なければこれを写すべくもあらず。この青く清らにて物問ひたげに愁を含める目の、半ば露を宿せる長き睫毛に掩はれたるは、何故に一顧したるのみにて、用心深き我心の底までは徹したるか。”
“この行ありしをあやしみ、又た誹る人もあるべけれど、余がエリスを愛する情は、始めて相見し時よりあさくはあらぬに、いま我数奇を憐み、又別離を悲みて伏し沈みたる面に、鬢の毛の解けてかかりたる、その美しき、いぢらしき姿は、余が悲痛感慨の刺激によりて常ならずなりたる脳髄を射て、恍惚の間にここに及びしを奈何にせむ。”
主人公によると、エリスはたいそう美しいらしい。薄幸なイメージはあるが、主人公にとって輝かしい存在であることがわかる。
⑧エリスは何故壊れたか
“彼が相沢に逢ひしとき、余が相沢に与へし約束を聞き、またかの夕べ大臣に聞え上げし一諾を知り、俄に座より躍り上がり、面色さながら土の如く、「我豊太郎ぬし、かくまでに我をば欺き玉ひしか」と叫び、その場に僵れぬ”
主人公の心変わりを、相沢が都合のよいように解釈した想像ではなく、主人公の実際の言葉としてエリスに告げている。エリスは嘘だと疑う余地がない。主人公に裏切られたと思い発狂した。もともと精神不安定になりやすい気質があったのかもしれない。
⑨なぜこの作品が後世に残ったか
(作品のどんなところが評価されたのか。ドロドロの男女関係?それとも?)
文学者がどう評価するかわからないが、個人的な意見を以下に述べる。
a)森鴎外の処女作であること。
b)森鴎外のドイツ留学を元に書かれていること(現実と創造の境を読者が想像できる)。
c)主人公がドイツで数年間を過ごしたことを一貫して感じられ、一つの物語としてリアリティがありまとまっている。どの場面も脳裏に映像として起こすことができ、当時のドイツの空気を感じる気がする。この雰囲気を出せるということは、情景描写が優れているということなのだろうか。
d)この物語が文語体で書かれたことを魅力的に感じる。もし口語文で書かれていたとしたら、普通の日記のような感覚になってしまっただろう。
e)物語が主人公の手記として書かれていることで、主人公が自らの感情や記したいことの取捨選択を行っている。全体的にクールに事実だけを書いているように思われるが、ところどころ感情が差し込む箇所があり、主人公にとって重要な部分であることを読み取れる。
⑩自分が森鴎外だったらこうする。舞姫の結末!
ほかの結末を考えようとしたが、議題に取り組んだことで『舞姫』はこれで一つの世界だと感じるようになってから、別の結末は考えられなくなった。
文語体で書かれた文章が特徴的で、今回は本文の抜出が多い。まるで現代文の試験のようだが、楽しく抜き出しているのだから不思議なことだ。
私は今回もあえてこの「舞姫」についての専門的な評価や位置づけを取り入れずに、自ら感じたままに考察した(⑤以外)。ちなみにSTK会長は、この作品が書かれた時代背景から調査し、この時代の作品の特徴として「自我の確立」を挙げ、すべての回答に対してその前提を元に考察していた。さすがである。
次回は中島敦の「山月記」。今のところ現代文の教科書掲載作品を渡り歩いている。「山月記」はたいそう短く話も単純明快なので、現時点でお互いすでに読み終えているのだが、何しろ議題が思いつかず滞っているところである。まあ、近々行われることでしょう。楽しみだ。