翌日現金を渡した後で一緒に昼飯を食べながら、こんな話もした。
「デンさん(彼の愛称)、あなたは腕は確かなんだが見た所、営業ができてないんです。
もし踏ん切りをつけられるなら、ウチに入りませんか。
事業部を作って、営業マンを付けます。必要な知識は教えてやって下さい。
それで作業場は今のご自分の所でもいいし、家賃が大変ならウチで借りて提供しますよ。」
「なんで私なんかに、そんなにしてくれるんですか…」
「友達ですから。それに今はウチも仕事が減ってきています。
商売の間口も広げられるから、ウチの為にもなります。ま、よかったら考えてみて下さい。
差し当たり今の年収を年俸として12等分して毎月保証しましょう。
儲けがあがれば、後は歩合でどうです。そのほうが安定もするでしょう」
「本当に何から何まですみません」
頭を下げ下げ、懐に100万の現金を忍ばせ、彼は帰って行った。
それから毎月2万円ずつの返済が始まり、ちょうど一年が経っていた。
月の返済が2ヶ月遅れたタイミングでの、アポだった。
あれから1年。用件のほどの察しがついた私は、少し気が重かった。
あれから、1年。私の会社とて既に危ない領域に入っていたのである。
翌日、やってきた彼の風貌を見るなり、私はかなりげんなりした。
痩身は以前からであるが、肩よりも下がった長髪、薄汚れた服、何日風呂に入って無いのか、大量のフケ。
遊び仲間ならいざ知らず、仕事感覚で対面すれば、とても一緒には組めないと思えた。
数か月前に覚えた女装の味が忘れられず、それで髪を伸ばしているそうである。
私は頭を掻きながら応接セットに彼を迎えた。彼は対面するやいなや切り出した。
「以前にお話し頂いた件ですが・・」何の事か分からずにいる私に、彼は続けた。
「いや去年伺った時に、良かったら働かないかと誘って頂いたので・・」1年前の話しを蒸し返した訳だ。
昨年渡した金で買った新しいソフトのおかげか分からないが、しばらくは順調だったようだ。
誘った直後に電話した時には「おかげさまで仕事も入ってきましたので・・」と断っていた彼である。
私はその話をすっかり忘れていた。
「今日は履歴書を書いてきましたので・・」少しシワが寄った封筒を差し出した。
私は履歴書を開いて目を走らせながら、違う事を考えていた。
しばし逡巡の後、私は履歴書をテーブルに置いて口を開いた。
「デンさん、本当に申し訳ないがウチは去年と違って経営が苦しくなっています。
人を増やすどころか、正直言って減らしている所なんです」
「はぁ」やはりのろのろと、相槌ともつかぬ声を出した。
「もちろん売上に直結する仕事をお持ちなら歓迎します。今の月商はどの位ですか」
「いえ、月商と呼べるようなものは何も・・」口ごもった。
「では年商は?」「はぁ、400万位はありましたが・・」
「年収ではなく、年間の売上ですが」
「はい、大体同じくらいです」
売上年間で400万では、利益はどの位なのであろう。
しかし私は、続けて質問する気力を失っていた。
元々営業向きではないとは言え、それにしてもこのいでたちでは余計受注など覚束ないだろう。
それどころか今まで仕事を出していた顧客ですら、発注意欲を失うに違いない。
簡単に言えば雇って欲しいと言いに来た訳であるが、その言葉は口にしない。
姿形も面接向きのそれとは対極だ。
履歴書もいつ書いたのか、シワがより記入年月日は空白だ。丁寧に書いた字とも、言い難い。
考え込んでいる私に彼は再び口を開いた。
「あのう、こちらの仕事も教えて頂ければやるようにしますので・・」
私は腹が立つ気持ちを懸命に抑えた。
そんなに簡単な仕事に見えるのだろうか、と思った。(続く)