実家の草抜きついでに80半ばの母親と久しぶりに話をした。
私の爺さん、曾祖父さんの話など、色々なことを。
母親は幼少期岡山に住んでいて、1945年7月4日の岡山高松大空襲の前後だろうか、岡山市内から身寄りのいる香川に疎開を開始した。
母親の父、私の爺さんは戦争にかりだされていて(のちに長崎で被曝。奇跡的に助かっている。) 私の婆さんは母親を含む幼い3人兄弟を連れて岡山駅から列車に乗ったが、大元駅付近で米軍の機銃操作に遭った。
ほとんどの人が列車から飛び出し逃げまとい、大勢の人が撃たれた。母親はピンクの服を着ていたため目立ち、標的にされてしまう恐れがあるためか、一人の軍人さんが覆い伏してくれた。
機銃操作が終わってもなかなか軍人さんが退いてくれないので、手足をバタバタもがいていると、その軍人さんを何人かが抱えてどこかに運んで行ったらしい。
その軍人さんがいなかったらこの世に私は存在しなかった。
近くの神社に避難し、トラックに沢山の遺体を乗せてどこかに運んでいき、そのトラックでおにぎりを乗せて帰ってきたそうだが、子供ながら、怖くて気持ち悪くて、食べられなかったそうである。
空襲に原爆。民間人を巻き込んだまさに無差別大量殺人。
マスコミは日本礼賛し若者を駆り立てる役目を担った。
アメリカは正義の顔をして、悪事を謀る。
話は大きく変わって東日本大震災の原発事故について。
2011年3月11日東日本は未曾有の大震災で多くの尊い命を失った。
改めて亡くなった方のご冥福をお祈りいたします。
震災後数日して、NHKは、なぜ原発へと進んでいったかのNHKスペシャルを放映したが、私は知らなかったことだらけで、衝撃を受けた。
高度成長時代、一般家庭にも家電がどんどん普及し、さまざまな電力の需要も増し、さらに強力な電源が必要だと考えられていた。
当時の読売新聞社主 正力松太郎も全国のテレビ網を通し巨人戦ナイター放送などを含めテレビメディアを大きく普及させたいと考えていた。
ちなみにWikipediaには正力松太郎は「CIAの協力者」とある。
そこで自身、代議士となりアメリカではすでに確立していた原子力発電所を建設しようと動いた。
日本はノーベル物理学賞をとった湯川秀樹博士を委員長に原子力委員会を発足し原子力発電所開発の一歩を進めた。
湯川博士は「日本が原子炉を持つためには日本人として一から基礎研究を始めるべきである」と説いたが、そんな時間を待てない正力松太郎側との意見の食い違いから、委員長から降りてしまう。
https://www2.yukawa.kyoto-u.ac.jp/~yhal.oj/index_files/GenshiryokuIin.pdf
その後は着実にアメリカGE社製の原子炉を導入するこに話が進んでいき、契約になるのだが。
その契約の内容は、「金は出すけど口は出さない」と言った内容だったらしい。
それでも契約を締結し福島第一号機工事に入っていくのだが、当時の海岸線はは太古から何度も大津波に襲われたのだろう、30メートルもの絶壁の高さにあった。
ところが、、当時のアメリカ製のポンプでは冷却水を30mの高さまで運べない。日本製ポンプは30mの位置まで運べるので使って欲しいが契約で口は出せない。
とった対策は「ポンプが海水を運べる位置まで掘り下げる。」という衝撃の内容だった。
歴史に”たられば”は無いが、日本人が開発した原発なら開発に時間はかかったかもしれないが、津波による悲劇は起きなかったかもしれない。
イソコン(非常用復水器で全電力を喪失してもある程度、冷却水を循環させることができる装置)のバルブが閉か開のことにも触れていたが、これは東京電力の根本的体質の問題なのでまた別の機会があれば紹介します。
日本は原爆を落とされ、原子力に拒否反応があったはずだが、マスコミの「原子力は夢のエネルギー」という一大キャンペーンで国民は原子力発電所設置の推進に大きく傾いていった。
そして大震災。安全かに見えた原子力は東京電力の体質とともに何世代後にも残す大きな負の遺産になってしまった。
アメリカは欠陥品を優良誤認させる。
マスコミは正誤判定を怠り感情で煽る。
さて今回のコロナ騒動。
ビルゲイツはTED Talkで6年前から「人類は核攻撃に対しての備えはあるけど、未知のウィルスに対してはなんの対策もできていない。無防備である。」とこんなようなことを言っていた。
この発言が元になりコロナウィルスはビルゲイツが開発したという陰謀論まででているが、少なくとも謎の研究を杜撰な研究施設で行なっているという情報を持っていたかもしれない。
この予想は的中し、今日に至っているが、
ワクチンはアメリカ製。
マスコミは日々ワクチン接種を煽っている。
過去の事例をみてどうでしょうか?
歴史は繰り返すとよく言います。