中村 崇のマガッタブログ -2ページ目

『2011年、青天の霹靂ってお話』

2011。

ドタバタとした一年だった。
ドタバタな一年だったんで。
2011の出来事を頭から並べてみれば、まあ、そうそうたる出来事がズラーっと並ぶ。
いいも悪いも粒揃い、である。
今日はその中でも特に印象的だった出来事を一つ、新年のご挨拶に変えて。


2011年のドタバタの上位にはもちろん、地元宮城が襲われた3.11が含まれる。
しかし今日は
それから半年が過ぎた11月の話。
新年一発目のお話は、去年11月のお話。
そんなお話なんである。


震災で半壊した実家がいよいよもたなくなった11月のとある日、「家、壊すから」と親父から電話が入った。
僕は荷物をまとめると長距離バスに揺られて、仙台へと向かった。

仙台につくと、僕らはファミレスへと向かった。
珍しいことだ。
中村家がファミレスで食事をしたことなどほとんどない。
いや、そんな話はどうでもいい。
とにかく僕らはびっくりドンキーで飯を食った。
一通りの食事が終わると、甥がキャッキャッキャッキャッと遊び始めた。
妹夫婦は「コウタっ」と笑顔で叱っている。
親父や母親はその姿を優しく眺めている。
団らんだった。
見事なる団らんだった。
ただ、この団らんの中で一人だけ目が笑ってない男がいた。
僕、である。
僕だけはひきつった顔で笑っている。
いや、笑っていない。
口が臭い。
緊張してるんである。
さあ言え、早く言えと自分が自分を責め立ててるんである。
でも口が開かない。
喉が乾いて張り付いている。
舌で湿らす。
そのそばから乾く。
ビールを飲む。
そのそばからまた乾いていく。
言葉を発しようとしても、喉が張り付いて剥がれないのだ。

「…………。」

僕は立ち上がると、一人外に出て、煙草に火をつけた。
落ち着け、落ち着くんだ。
そういい聞かせ、煙と酸素を大量に吸い込んだ。

落ち着いたか。
よし、落ち着いたな。
落ち着いたら、言え。
さあ、言え。
さあ、言うんだ。

再び強迫観念に襲われながら、僕はファミレスへと戻った。
そこにあるのは変わらない団らんだった。
その団らんに紛れ込むように「あのさ」と口を開く。

「あのさ…」

キャッキャッキャッキャッ。

「あのさ…」

キャッキャッキャッキャッ。

「あのさ!!」

少し大きな声を出すと、しばしの沈黙が流れた。

「……あのさ、びっくりドンキーだけにびっくりすること言うねアッハッハ…」

しばしの沈黙。

「突然だけど、俺さ」


しばしの沈黙。



「結婚するわ」

空気がピタッと止まった。

「え?なんて?」
「俺、結婚するわ。突然だけど明日、嫁さん連れてくっから。よろしく」


しばしの沈黙。
誰もが理解できずに口を開いている。
それはそうかもしれない。
僕は自分の恋愛事情を、人に話したことがない。
僕を知る人達にとっては青天の霹靂、というやつだ。
家族は「結婚?」といつまでも理解できずにいる。
オヤジにいたっては「冗談だべ?」と信じていない。
もっと喜び泣いてくれよ、というのは無理な話かも知れない。
ただ、「おめでとうございます、
たかしさん、おめでとうございます!!」
と義理の弟だけが泣いている。
何故か義理の弟だけが泣いていた。
嬉しそうに泣いている義弟を見て、皆がこの状況を少しずつ理解していく。
ああ、こいつ本当に結婚すんだ、と理解されていく。


「弟よ…お前、本当いいやつだよな」

僕はビールを飲み干した。

とかなんとか。
2011年、12月9日。

突然のご報告ですが、わたくし中村崇、入籍いたしました。
色々あった2011年でしたが、笑顔で終わらせることが出来ました。
皆々様。
まだまだ未熟なふたりですので、色々なご迷惑、ご心配、不義理などおかけいたしますが、今後とも変わらぬお付き合いをよろしくお願いいたします。


とか言いつつ。
近々もう一つ大きなご報告がございます。
子供が出来ただの、実はもう産まれてるだのではございません。
まあまた近々書きますので、楽しみにしといて下さい。

ということで、2012年、一発目。
中村崇が結婚したらしーよ、
ということと、
中村崇の義弟はいいやつらしーよ、
ということを新年のご挨拶に変えて、のご報告。


本年もどうぞよろしくお願いいたします。



<↑青天の霹靂2011↓>



中村崇

『路上3.11の話』

ゆってもまあ、今年の話で。

2011年3月11日。

まあまだ大して月日は経っていない。
でもいい感じに忘れてきている。
いい感じに忘れられてる。
この“いい感じ”、いい感じ、ってのが難しい。

で、今僕は「3.11」にかかわる芝居の稽古をしている。
あの呆然としつつ、シャカシャカ動き続けた日々を、今ならどう思うか?
きつい?
哀しい?
心苦しい?
いや。

面白い。
答えは面白い、である。

「路上3.11」は面白いんである。
2011年の芝居納め、どうぞ新宿にお越しください。
0でも100でもないあやふやな被災地東京に村上(小林勝也)が立っています。
まあたまに中村崇もそこを通行いたします。

とかなんとか。
ゆってもまあ、もう明日からの話なんで。






『路上4(路上3.11)』

新宿雑遊にて


作演出/川村毅
出演/小林勝也、山崎美貴、井上裕朗(箱庭円舞曲)、柊アリス、伊澤勉、森耕平(チャリカルキ)、中村崇


2011年
12/20  19:30
12/21  15:00
     19:30
12/22   15:00
     19:30
12/23  14:00
     17:00

料金/3,500円
当日/3,800円
全席自由

開場は開演の20分前。



で、実生活。
2011年末、中村崇は引っ越しました。
もうドタバタ、ドタバタです。
宮城の両親を巻き込んでのドタバタです。
もうしばし落ち着いたら、あなたに連絡差し上げます。
もうしばしお待ちを。


中村崇

『少年期、炭の話』

ある日、タバコを覚えた。



赤のマルボロソフトケース。
いつも、僕は周りに自慢するように煙を吐き出していた。
童顔が童顔を描いたような童顔のくせに、得意になってタバコをふかしていた。
ああやって一生懸命タバコを吸っているあの頃の僕を、大人になった僕が見たら「可愛いなあ」と鼻で笑うだろう。

で、今。
大人になった僕は実家に向かっている。
せっかく取り壊されるので実家のことを思い返していたら、たとえば炭の話を思い出した。

とかいうことで。
今日は炭の話。
今日は炭のお話。


************

男は皆、親父にいくつか謝らなきゃいけないことがある。
その中でも特に、一番、どうでもいいのが炭の話で。


10数年経った今初めて告白するのだが、親父、あの木を燃やしてたのは僕である。

もう覚えてないだろうか。
我が家に放火騒ぎがあったのを。
親父は覚えていないだろうか。
ある乾いた冬の日、我が家の庭に小さな角材が落ちていたのを。
角材は手のひらをいっぱいに広げたくらいの大きさだ。
そして角材の一部は黒く焼かれていた。
え。
何者かによって焼かれた跡だった。
そんなものが何故か我が家の庭に落ちていた。

親父はそれを拾うと、語気強く僕に訊いた。

「たかし!これお前のか!?」

僕は一瞬もたじろぐことなく、涼しい顔で答えたと思う。

「はあ?なにそれ?」

それから親父は放火魔が出たかと少し焦りだした。
それから警察を呼ぶかどうかとちょっとした騒ぎになったと思う。
胸中おだやかではなかった。
僕の胸中である。
だってそれ、僕の角材だったから。
実はそれ、僕の角材だったんである。


あの頃の僕はタバコを覚えたばかりでライターを使うのがとにかく楽しかった。
それで毎晩部屋で角材を焼くのが習慣になっていたのだ。
焼き続ければ炭が出来ると思っていた。
ライターで黒く焼き目をつければ、炭になると思っていたのだ。
部屋で炭が作れる男ってなんて素敵だ。
そう思ってその冬の日も、せっせせっせと窓をあけて焼いていたのだ。
そしたら、手元が滑ってしまった。
角材は庭に落っこちていった。

あ、どうしよう。

数秒悩んでから、放っておくことにした。
だって外は寒かったから。


で、翌日親父がそれを見つけ、「たかし!これお前のか!?」という流れになった。
僕は涼しい顔して「はあ?なにそれ?」と言った。


親父よ。
男には皆、親父にいくつか謝らなきゃいけないことがある。
そうだろう。
その中でも特に、一番、どうでもいいのが炭の話だ。

だから、今、謝ります。

すいません、
実家まるごと炭にするところでした!



で、そんな実家もいよいよ取り壊される。
地震のせいで取り壊される。
でも親父はきっと言う。

「お前に焼かれるよりましだったべや」


炭の話。






中村崇