ちょっと前に落語に行って、そのときにちょっと思ったんですが。
それは知っている噺で、師匠がうまい人だから、もちろん、引き込まれるんだけど。
でも嫌い噺なんだった。
初めて聞いたときも同じだった。今回は2回目だから、聞きながらその理由を考える余裕があったんですね。
で、理由は落語の夢落ちというものに気がついてしまったからなんだな、と。
落語は夢落ちって結構ある。それは大体、噺が不幸になっていって、そして最後は夢だった、よかった、で終わるんだけど。
落語というものがただ噺を聞くだけではなくて、笑いを必要とするのなら。
夢だった、よかった、は不幸な噺に必須となるわけで。
ということは、本来の噺は不幸で終わるはずなのだ。
それを無理やり、夢だった、よかった、で捻じ曲げている。
だから、今、夢だった、よかった、で終わったこの噺も、本当は不幸で救いがなく終わるんだ。
と思ったら、もうダメだったんですね。
夢落ちは私には鬼門かもしれません。
