ニコンの現在の業績についての考察は機関投資家にゆずるとして、私は、ニコンの歴史(とくに戦前)について書きたいと思います。

 ニコンの創立時の社名は「日本光学工業株式会社」です。自国内で光学兵器の生産を望んでいた海軍の指導の下、岩崎小弥太(三菱の創業者岩崎弥太郎の弟岩崎弥之助の長男)の仲介で、東京計器 岩城硝子 藤井レンズの三社が合併して大正6年、日本光学は設立されました。創立時の筆頭株主は岩崎小弥太。そして現在においても、ニコンは三菱グループの一角であり、もちろんメインバンクは東京三菱です。

 

 ニコン88年の歴史の中でニコンを現在のニコンたらしめたもの、それは大正15年の指揮装置開発への参入だと思います。

 

 指揮装置とはなにか?

指揮装置とは軍用航空機などの目標位置の測定データを解析し、砲や魚雷を発射するために必要なデータを算出するアナログコンピュータシステムの総称なのです。具体的に説明すると、九四式高射指揮装置の場合、

1 目標機を捉えて追尾することにより、艦首を基準とする目標機に対する方向角と距離が発信され、

2 その情報をもとに、目標機の未来位置、砲弾が届くまでの時間が計算され、

3 その計算をもとに、高射砲の旋回角、射角が決定され、

4 その過程が連続的に行われる結果、高射機に取り付けられた引き金を引くことにより砲弾は発射され、目標機の未来位置で炸裂する。

 

 時代は大正15年。電卓すらない時代に、ハンドルと歯車とシャフトで構成された指揮装置は、さくら大戦もびっくりの、機械式スーパーコンピュータなのです。


指揮装置は昭和8年初号機が完成。そして昭和20年まで生産が維持されました。


 

株をやる人ならご存知だと思いますが、株式市場においてニコンとは単なるカメラメーカーではなく「ステッパーのニコン」であるのです。昭和40年代、半導体製造装置にニコンが参入するさい、指揮装置開発で蓄えた技術が生かされているのです