ご無沙汰しまくりでございます。
ブログ書く気になれなくて…少し落ち着いてきたのでやっとやってまいりました。
現状…近況のご報告と、…心の整理、かな。
まず、
仕事は続けています。
非常にめまぐるしい毎日を送っています。
ばたばたばたっといろんなことが起こった3月の末。
三月末、母の危篤に自分の鬱、
四月初めにありがたくも唐突に決まってくれた就職。
母は、
一命は取りとめたものの、介護やらなんやらと考え話し合わなきゃならんことが出来て、縁切り状態に近いものにあった実家や姉妹との話し合い。
介護にまつわる状況の変化…実家の引越しや介護に沿った部分リフォームなど、それにかかる費用などにも頭を悩ませ、更には不仲の母とガチンコしたりお粥あびたりとリアルがちょいと恐ろしいことになっていました。
その四月、派遣仕事にバイトを掛け持ちしたり、という始まりでしたが、
五月中に激変しました。
まず。
仕事は腰を落ち着けて一本で出来ることになり、それは良かった。
まあ…勤務時間がちょっとアレだけどもw
そして、母は一命を取りとめただけでなく、危篤で呼び出しかかったことを考えるとかなり快方に向かいました。
麻痺は残って介護は必要だけどもね。
退院のメドまでつきましたところでまさかの激変。
大好きな父が。
それまでなんともなくて、元気にしていた父は、4月の終わりに急に体の不調を感じ…
検査のために5月の頭に入院。
5月半ばに出た結果、余命二ヶ月と言う宣告つきの手遅れも手遅れな癌だと判明し、
余命宣告後3週間という速さで他界してしまいました…
それまで自覚症状もなくて、本人が驚いてがっくりきていた…
目ん玉溶けるんじゃないかってくらい泣いた3週間でした。
父を前にして、お前もっと言うことあるだろって感じですが、
親不孝ばかりでごめんなさいとかより、
「お父さん大好きだよ」
そう言って泣いた。
立派なファザコンである私は、冷たいようだが母の危篤に覚悟はできても父の余命宣告には覚悟できなかった。
あまりにも急で。
旦那子供の協力ゆえに、自分の家族後回しで通える限り通った三週間。
正に仕事と病院の往復で明け暮れた三週間でした。
父は父で母との不仲を知っているので「お母さんは姉ちゃんに頼んだ。だから益々お前にはキツく辛くなるだろう…後に残すお前が心配でな…どうか、仲良く、仲良く堪えてうまくやっていってほしい。これはわしの遺言だ」と泣きながら訴えてきて。
……日に日に憔悴していく父を見守るしか出来ない、辛い一ヶ月でした。
それでも、ごめんよりありがとうと大好きを伝えられた。
最後の朝、明け方に病院からの召集がかかり駆けつけた病院で。
母は一時的に姉の家に外泊で病院に居なかったその早朝、
近所に住む姉一家と母は15分で駆けつけ、
私は私一家で片道一時間半近くかかる距離を40分で到着。
もうモルヒネも効かなくて苦しみながらも私の到着を待っていてくれた父。
父の声はもう数日前から出なくて、意識も朦朧としていた時間もあったけれど。
「お父さん、わかる?来たよ…」という私に、苦しみながらも頷いてくれて。
「さ よ な ら だ… 」
と口が動き、そのあと襲ってきた痛みに血圧が急上昇し、ぷつり、と逝ってしまった…
その後の残された家族は、悲しんでいられる暇がない。
葬式出す家は忙しい。
田舎だと、親戚や隣近所の人が多数で飯の支度やら準備やらやってちゃったり手伝ってくれちゃったりあるんだけどね。
田舎にいた頃の記憶はそうだった。
実際田舎の親戚の葬式には何度も手伝いに行ってるからある程度はわかる。
それはそれでお付き合いが大変だったりする。
けど、都会っちゃ都会の、そういうことのない地域に住んでるから全部自分たちでやんなきゃならん。
通夜に来てくれる親戚のために、母の手足となり自治会館借りて掃除して布団運んで、お寺行って、通夜の日の夕方まで買出し料理作りにばったばた。
そうしてよれよれで料理のしみつけたまま葬祭場に駆け込み、家族で納棺式。
全員でわあわあ泣いて、涙鼻水拭きながら喪服の着付け。
お通夜の間のことは…あまり覚えていない。
泣いて洟かんで子供たしなめて頭下げてるうちに終わってた……
母と姉は自分ちから葬式出すのは初めてだ。
私は実は今回自分の父で三回目だったりする。←嫁ぎ先で経験あり
まあ、物事決める時に悩むとするでしょ?
それについて、こんな感じだったよ、と言えば母にお前は仕切らなくていいと即言われた始末w
おとん、ごめん。
一事が万事そんな感じで、くそばばあ―――――!と何度言いそうになったことか。
面と向かっては言わないから勘弁してくれ。
通夜の晩、お線香番するのは大抵親戚のおっちゃんだったりするのが通例らしいけれど。
その役は誰にも譲らなかった。
母には譲るつもりでいたから、
「お母さんがやりたければ付き添いで行かせてほしい、
でも誰かに頼むなら、是非私にやらせてほしい。お父さんにしてあげられる最後のことだから」
そう言って。
譲るもんかよ。
独り占めしたかったんだぜ本当は。
まあ、結局身体が不自由な母は、通夜に来てくれた親戚の相手をするには無理だし、一番静かなのはお線香番の控え室w
前の晩もほとんど眠れずにいた私たち女三人、
姉がここにいたら恐らくは少しも眠れないと電話してきて、親戚連中から離れそっと母と二人葬祭場にやってきた午前2時。
へとへとだった姉と母は、線香番の私が仮眠できるようにと葬祭場が用意してくれた布団に二人でもぐりこんでぐっすり眠ってたwお疲れ様。
※姉と私の子供たちは夫たちにまかせましたw
私は寝ないで一晩中おとんの傍に陣取って線香灯しておとん相手にくっちゃべって、愚痴ってお礼言って文句言ってた。
…いや、一度だけ船こいで、おとんの黒枠の写真に激突した…スマン…
朝6時半に起こせと言われていたので二人を起こし、一旦家に帰るから戻るまでおまえも寝ろという二人を送り出して7時半。
…布団に入ったら起きない絶対。そんくらい疲れてるし寝てないし。
おとんの棺の横に椅子並べて、ちょっとごめんよ寝るよおとん、と蝋燭を新しいのに替えて並べた椅子に横になったら、
受付を頼んでいた姉の友達に揺り起こされたのがその一時間後。
来るの早すぎるだろ………
寝かせてくれよ少しは……
父の葬儀があった一週間は、平均睡眠時間が2時間半w
本当に寝た気がしたのは……葬儀も終えて家に帰宅し、そのあと一週間後くらいかな。
私は私で新入社員だったりするし、葬儀の三日後には仕事に戻って頭下げてた。
実際に大変なのは、葬儀の後から。
決めなきゃならないこと、
やらなきゃならないことがてんこ盛り。
母は、姉と同居が決まり、姉の家は引越しする事になった。
つまりは父のいた実家も引き上げて、実家も引越し。
母は出来ないからそれをやるのが私。
どうすんだよこの物の多さ。
その前に、引越しで一悶着、母の我が儘炸裂。
ひとりでこの家で暮らすから毎日姉に通って来てほしいと言った母に、姉もブチキレたw
これまで父が止めていた母の我儘は、とめるものがいなくなり炸裂してる感じ…娘たちもその夫たちもげんなりぐったりしている葬儀の翌日。
言い出したら聞かない小話なんて数え切れない。
葬儀後の自宅に弔問客が来て、出前取る。
自分で頼んだラーメンは見向きもせずに、私が子供と分け合って食べるのに頼んだチャーハンを自分のだと言い張り食べる。
その場に居た弔問客も頼んだのはラーメンでしょ??と説得したがだめだったそうだ。
その時お使いに出ていた私に残されていた、汁を吸いきって伸び伸びになったラーメン。
戻ってきた私に何やってたんだと叱りつけ自分で頼んだんだから責任もって食えとか言う。
私頼んでないよ、頼んだのはチャーハン。ちゃんとくんと三人で一人前で足りるって言って頼んだでしょ、と言い返してやりましたがシカトされましたw
食べましたよもったいない。
当分ラーメンは見たくなくなったけどw
挙げだしたらきりがないからもう諦めるしかない。
ボケてはいないんだよ。
実際、しっかりしてると思う。
ただ、なにか失敗したりすると常に私が悪いと言う話になる。
親戚のために料理してる時もね、中学生の姪っ子が一緒に手伝ってくれたの。
その姪っ子ちゃん、ちょっと、野菜の切り方がザッパに大きかったもんでね、母が文句を言ったの。
私に。
はい?
何故私?
はいはいと流そうとしたんだけど、さいの目の切り方も知らないのかと小言が始まって。
包丁取り上げて(あぶねえよ)しっかり覚えろと自分でやりだしたのね。
…おかん、さいの目って……言うけどさ、
これは短冊だろうがよ……←これは揚げ足とり
黙ってましたよ、わしゃ。
常に認めてはくれなくて、いつまで経っても料理の一つも満足に作れないって思われてるのはもう知ってるけどさ、初めて包丁持つかのように叱咤しなくてもいいだろうがよ……
非常に切なくなりましたね。
後でゴミ箱に向かってくそばばあ×3言いました。
そう、ボケてはいないけれど、
忘れっぽくはなってて、確実にどこかの回線は切れてると思う。
姉に対してはまだましで、賞賛するし言うことも聞く。
だけど何かしら揉めると、揉め事の原因は自分が作ってるとは思いもしないで人を責めだす。
責められる役はほぼ100パーセント、私。
あまりのひどさに旦那が間に入り、しばらく距離をおいたほうがいいということになりました。
だから実家の引越し作業も、母が来ない時に実家に行って進めrることになりました。
まだまだ仕事にも慣れきらない毎日、
休みの度に実家に通う訳で、じじばば二人暮らしのわりには物が多すぎる家で、荷物仕分けに埋もれて昨日もおとんの写真に文句言って来ましたw
おとん。
おかんと仲良くなれることはないけど、協力できることはするし堪えるさぁ…
少なくとも、この現状目の当たりにしたお姉は中立したくれたからね。
それだけでも違うからさ。
私は私の目標持っておかんに接する。
辛いこと多かったしこれからもそうかもだけど、
おかんはわしの反面教師ということにしないとわし持たない。
もう、諦めるよ。
おかんに認めて欲しかったこと。
認めてくれなくていい。
それは、無理なことだってわかったから。
わかっちゃった。
おかんがなんであんなにわしにひどいか、辛く当たるか。
そっくりなんだよ、私という娘がおかんの弱く嫌いなところそのものなの。
おかんは、自分の弱さや悪いところ、自分で認めたくない自分の一部分、
それが全てわしに出てるんだ。
だから、情けなくて嫌いなんだわしのこと。
やっと、わかった。
悲しいことに、ちゃんやくんにまで影響してしまってて、
それで気づけたの。
厳しく厳しくして、子育てうまくいかなくて。
悩んで相談して、学校側から話があった。
「おかあさんからもっとほめてほしい」
そういう子供たちの思いを知ってやっと気づけたの。
わしがそうだったから。
おかあさんにほめてほしい、おかあさんにみとめてほしい
おかあさんに、私をすきになってほしい
そう思い続けてきたから。
負の連鎖、ここで切らなきゃちゃんとくんまで不幸にしてしまう。
だから私は、母を慕うのはやめる。
救ってくれたのは、ちゃんとくん。
「大丈夫、おかあさん、ちゃんのこともくんのことも、ちゃんとすきってわかるから。おかあさんが間違えた時は悪かった、ごめんねってぎゅうってしてくれるし心配してるのもすきなのも伝わってるよ。
ただ、もっとほめてほしいの。いつも忙しいからいっしょにいたいの。いっしょにいれる少しの時間で怒られてばっかりだから…ほめてくれたら嬉しくなるから、もっとがんばれる。だいすきだよ、おかあさん」
あほうな母さんで、ごめん……
ありがとう……母さんこそ、あなたたちがだいすきだよ
ごめんね、おとん。
わし、子供たちを自分が味わったような不幸にしたくない。
お互い、だいすきだよって想い合える親子でいたい。
おかんと仲良く、の部分だけは一線引かせてくれ。
残りの遺言は、守れるよう努力は続けていくよ
お姉と口きくようになっただけ、マシかな、
お姉も中立守ってくれてるから、おとんが逝ってから。
おとん大好きだよ。
まだ逝かないでほしかったし、せめてもう一度、
おとんと二人で富士山ドライブしたかったよ。
私が免許を取って、初めてのドライブで、父と二人富士山周遊ドライブデートしたときのように。
あまりにも早すぎた進行に、あっという間に逝ってしまった
親はいてくれるだけでありがたいって本当だ……
おとん、いなくて寂しい。
今頃、あちらで愛犬一号、ヴィーちゃんと散歩してることを祈るよ。
まーのことも頼むよ、わしがそこに辿り着くまで。
だいすきだよ
