皆さん、こんにちは兼こんばんは。。。
少し更新が止まってしまって
申し訳ありません。。。
本日は3.11東日本大震災の
ことを本当は当日更新すれば
良かったのですがお話ししたいと思います。
2011.3.11私は中学校を卒業した次の日でした。
卒業したばかりで、中学の友達と近くの
ショッピングモールで遊んでいた時に
今までにない揺れを感じました。
私は、関東に住んでいるので東北の揺れとは
比べてはいけないのですが私の人生で
1番の揺れで外に逃げた後も揺れているのか
止まっているのか分からない錯覚状態で
いったん家に帰ることにしました。
家に帰ると姉が避難の準備をして家の前に
いたのですが少しして寒さと状況が知りたく
家に戻りテレビをつけました。
久しぶりにというか声を失いました。
この時点では津波などといった情報はなく
ただ東北の放送局がぐちゃぐちゃになっているのと
余震の情報が絶え間なく流れている状態でした。
私はまず近くに住んでいる祖父母の家に
電話をかけ始めましたが当然回線がパンクしているので
なかなか繋がりませんでした。
姉も母親に連絡を取ろうと
ケータイを握りしめていたのを覚えています。
その後関東では大きな被害は少なく
いつもの生活が戻ってきたように感じていました。
でも、東北は全くそうではありませんでした。
津波が襲ってきてしまったからです。
きっと今回の地震は津波がなければ
ここまでの被害はなく亡くなる方も少なく
すんでいたのかもしれません。
それからというもの、ニュースでは
絶えることなく津波、余震、救出、行方不明
といったことを発信していきます。
6年前はそんなことが数か月日常のように
起こっていたのです。
そして私は今年6年後の3.11に
東京タワーで行われた復興マルシェという
イベントに行きました。
東北の宮城、岩手、福島そして北海道から
今旬な食材のグルメカーがきており
ステージでは震災の語りべ会の講演や
チーム8のステージなどがありました。
6年でいったい何が変わったのでしょう?
私たちが外から見ている世界はきっと
現地の方とは全く違う景色で
何もわかってはいないんだと思います。
岩手県代表の佐藤七海が言っていた
「AKBが復興支援で来たステージを見てメンバーになって
こうして自分も復興支援に行けることが皆さんの力に
少しでもなれていることが嬉しい」
と言っていました。
あの日、多くの人の人生は一変しました。
忘れるこのないあの時間、あの光景、あの気持ち
少しづつ復興は進んでいます。
形を取り戻そうと日本は全力で
今日も前に前に進んでいっているんです。
私が言葉にできることなんて0に等しいかも
しれないのですが、私のこのブログも
誰かが何かを感じてくれるそんなことも
私にとって東北にとって何かを起こせるのではないか
そんな時間を見つけていきたいです。
被害に遭われた東北の皆さん
心よりご冥福をお祈りいたします。
株式会社 磁気研究所一同