前回ブログで、「これから読む本は、たとえ明日死んでも悔いない本、最も読みたい(というより読まなければ後悔するであろう)本から読んでいくことにしよう。悔いを残さないために!」と書いた。
それからはや2週間が過ぎた。そして私の行動は明らかに変わった。
そう、(大げさに言えば)時間を過ごすのではなく、人生を過ごすことにシフトしてきているのだ!具体的に言えば、まず抱えていた仕事を片づけることに全力を傾けた。残業、徹夜も何度もした。そして2月になり目に見える形で成果が出てきた。振り返れば今年度になり新たな評価基準の元で人員体制も変わり、確かに業務量はアップしていたが、それに気づき適切に対処していく余裕がなかった。ただ日々の仕事に追われ現在に至ってしまった。ようやくそれも一段落させ、振り返る余裕を作ることができつつあると思っている(まだまだ自分の思う理想には達していない、私って結構ヨクバリ...)。
そして肝心の読書に関しては...
極力あちこち読み散らかすことはやめ、たとえ明日死ぬとしたら、又は世界が終わるとしたら、読んでおかなければ後悔するであろうと思った本に絞って(私にしては珍しく浮気せず?)読み進めた。その本とは
なぜ古事記なのか。
それは
日本人のルーツだから。
自分の生まれた場所、国の起源を知らずして現在は語れない、自分を語れないと思ったのだ。
昔はその村の長老が、自分たちのコミュニティにまつわる伝承を語り継いでいき、伝統行事を取り仕切り、それが若い人たちのアイデンティティになっていったと聞く。文明が拓けてきてそのようなつながりが薄れ、同時に物語も消えていった。現代の若者が ‘自分探し’ をするのも時代の必然である気がする。
その傾向は、第二次大戦までの時代、戦争に勝つための国民意識の統一のため、皇国日本の伝統の素晴らしさ語りが行き過ぎたことも原因なのだろう、戦後は(アメリカの意図的な操作がもちろんあるのだろうが)全くといっていいほどそのような日本のルーツを探り、誇りを持てるような話がなくなっていったのだと思う。自分の学生時代を振り返っても、国語や歴史、好きではあったが学校の授業は面白くなかった。血湧き肉踊る話などは親から教えてもらったり、自ら探さざるを得なかった。
そこでこの本である。
古事記に関しては、もちろん知ってはいた。アマテラスオオミノカミやスサノヲ、八岐大蛇、ヤマトタケルetc...登場人物も聞いてはいる。内容も部分的には知っている。ただ、全編通して読み切ったことが恥ずかしながら今までなかった。そんな自分を恥じていて、講談社学術文庫の『古事記』上中下で書き下し文、現代語訳、注、解説を読んでいこうとしたのがまた(今考えると)悪かった。ただでさえ読むのは大変なのに、書き下し文から現代語訳を読み、注で確認し、解説をひも解いていては肝心の ‘物語’ を読む流れが切れてしまうのだ。古事記はもともとは口誦で伝わった祖先の物語である。一番良いのは語り部に語ってもらうのを聞くのがベスト。ただし現代にそんな語り部がいるわけがない。そこで(最良に対する)次良として、物語風に書かれており、かつ真意をねじ曲げず伝えようとしている口語訳を読むのが良いということになる。
実はそんな本はなかなかない!のだ。岩波文庫版であれ、講談社学術文庫版であれ、他の優しい本であれ、一方は学術的正確さを求めるあまりにストーリー性が失われ、一方はストーリーに力をいれるあまりに学術的正確さが失われる。さらに学者間でも解釈は分かれる。中には未だに古事記偽書説まであるくらいだ。こうして本来ならば日本人のルールとして、日本人全員が知っているべき物語は、ベールに包まれたままとなる(こうしたことを考えると、キリスト教徒にとっての聖書の存在、は大きいのだろうな、と改めて感じる。宗教的とはいえ、自分の寄って立つバックボーンがはっきり示されているのだから)。
そこで今回の『口語訳 古事記[完全版]』一冊である。佐藤優氏は文庫版を挙げられているが、本が二冊に分かれてしまっては、上巻だけ購入して下巻はまたおカネのあるときに...では全体像がつかめない。なので私は単行本ではあるが、この一冊ぽっきり完全版を薦めたい。
この本の良いところは何といっても著者の ‘古事記をより親しみやすく、昔の人々が聞いたように現代の人々にも知ってもらおう’ という姿勢だ。著者は古事記が成立した元が口誦にあることに注目し、この壮大な物語を一人の翁が語るという設定で、語り・音声表現を強く意識して書き上げている。そのため非常に読みやすい。もちろん著者は一方で、学術的正確さも意識しており、最新の学術的成果等はあまねく注解や解説、付録で示してくれている。なのでこれ一冊でひとまずは古事記の全貌が分かるといってよい。
ちなみに最初に読む際のポイントは、とにかく ‘注解を読まないこと’ だ。これを読み出すととたんに読むスピードが落ちる。そして挫折する。なので最初はとにかく本文を突っ切ること。その後にゆっくりと気になる部分を注解等を頼りに味わえば良い。
そしてもう一つ、大体話の最初に出てくる限りない人物列挙も飛ばすこと。この人物関連ひも解きを行っているとまたそのうち挫折する。この点も著者は親切で、巻末に神・人物系図を載せてくれているため、最初は私もそれを頼りに読み進めたが、いかんせん読書スピードが落ち、物語として面白くなくなってきてしまっていたので、途中からはそれも飛ばして、最後まで読み切ることに専念した。
それでも全体を通して見えてくる世界がある。それは壮大な世界だ。そして自分の部分的な知識がいかにあやふやなかじり知識だったかも分かった。スサノヲの純真性、ヤマトタケルの残虐性をどれだけの人が知っているだろうか。激しい王権争い、血みどろのサバイバルの末に今の天皇家が成り立っていることも。逆に兄妹愛、義、愛と嫉妬などなど、どこまでいってもヒューマンな、人間味あふれる物語がそこにはある。
この物語は今から1301年前の712年に朝廷に献上されたという。だが1300年前とはとても言えない、ついこの間の話のような錯覚さえ覚えてしまう。なにせ天地創造の時代からの時間が語られているのだから!
やはり、日本人なら全員にこの物語は知っておいてほしいなと思う(知らなかったのはお前だけ?そうですね、そうだきっと)。日本人のルーツの一つが分かり、きっと誇りが持てると思う。そして私も、これでちょっとホッとしている(まだまだ命が尽きる前に知りたいことは沢山あるが)。
ようやく通読を終えた今、次は注解と解説とを参照しながら、他の本に載せてある書き下し文も参照しながら、もう少しこの世界に浸ってみたいと思っている。この物語を世に知らしめた本居宣長の古事記伝も合わせて読み切りたいとも(これについても良い本が刊行され出しているので)。たぶん次回は古事記続編レポートになるでしょう(もう多少の浮気読書も解禁にしようと思います、あくまでセネカ先生の ‘時間は有限’ 教訓は忘れないように!)。