Tさんち 20160106 | ヨネダ設計舎のブログ

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出来事 日常 建築 


20160106 松阪市 中心に光と水たまりを湛えるいえ puddle Tさんち.


正午過ぎ、現場にひとり.1時間くらい空間に身をしずめる.



建物の中、独立したそれぞれの居場所が、他の場所ともつながっている体感.

室にいながら他ともつながっているような空間体系.




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最近思う.


設計は『意図的』に、空間をつくること、そのものである.


間取りから立ち上がった立体が、たまたま空間として起き上がる事が設計ではない.


デザインすること.設計すること.


恣意性(ワザトラシサ)の嫌いを言う方もいるけれど、その行い自体も、恣意性をワザと上手に消した恣意そのものではないのかとも思うようになった.


すべては思い描いた空間をいかに立ち上げるか、をコントロールする力.


全体、細部を調整する力.


(はじめにそのおおもと、源、とっかかりを思い描く力から始まり.)



それがあっての偶然のプラスα(若しくはその逆).


当たり前、だけどものすごく大事なこと、と最近よく考えています.


そうするための検討、確認の繰り返しの重要性.


(現場に入ってからも、建物をよりよくするために粘ることの大切さ.)


僕は『人が感じること』体感と体験を意図して設計したい.


そう考えています.








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住宅地のポケット(空き地)からみたTさんちの裏側.こちらからの眺めも好きです。。。



追記ー

気になって『恣意的』を再度調べたら、
どうやら僕は恣意的、と作為的を混同してしまっていたようです。


以下引用


「恣意的」はしばしば「意図的」と混同され誤用されることの多い語である。「恣意的」であるとは一貫した思想に基づかずその場限りの考えに基づいている点で、明確な目的をもった「意図的」とは区別されるべきである。



なのでこのブログの恣意的、は作為的、と読み替えていただくと幸いです。

だけれども、全ての意図は、瞬間の恣意の積み重ねとも思います。
その瞬間のひらめきをキャッチするための準備、心構え.

あしからず…。












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米田雅樹 三重県 建築設計事務所