おはようございます。暦の上では節分を過ぎ、立春となっていますが、まだまだ寒い日が続きますね。

節分といえば最近は「恵方巻き」が発祥の地の関西を飛び越え、コンビニエンスストアの発信力で全国へ普及してからというもの、この日は縁起を担ぐこともさることながら、大人も子供もお年寄りも、口いっぱいに海苔巻きを頬張る耐久戦の様相を呈してきましたね。そうなると当然問題になってくるのは大量廃棄の問題です。一部は畜産業の餌として再利用されているようですが、その多くは生ゴミとして処分されているようです。

この風習を昭和初期に始めた大阪の海苔問屋組合も(この話には諸説ありますが)、まさか後世に余るほど作ったものがゴミ問題になるとは、感じていなかったでしょうね。以前「mottainai」が世界の合言葉のようにもてはやされた時期もありましたが、こういう行事の後始末のたびに、「もったいない」の発祥地である日本でこそ、その気持ちを大切にしたいものだなあと、感じます。

さて、もともと節分は平安時代に「追儺(ついな)の儀」、つまり目に見えない難を逃れるために聖なる食べ物であった五穀を持って祓いをすることが起源となっています。この「目に見えないもの」は時代の変遷が続いても日本人を悩ませてきたもので、怨霊や幽霊と言ったものも、日本文化に深く根付いているものです。そして最近の日本人を悩ます「目に見えないもの」といえば、やはりネット社会ではないでしょうか。

先日ある会議に参加させていただき、今の子どもたちを取り囲むものの中で、インターネットとりわけスマートフォンとの関わりをどのように考えていくかという議題がありました。スマートフォンは確かに便利なものでありますが、その便利さゆえ見ず知らずの悪意ある大人が簡単に悪用したり、あるいは子供同士の中でも特定の人をなじったり悪口を言ったりと、いじめの温床や入り口になっている現状があります。なかでも特定のアプリを利用することによって起こっている問題は、決して都会だけの問題ではなく、インターネットというその影響下を等しく平均化するという性質により、こんな田舎にまで広がっています。そこでも「目に見えないもの」が人々の心をざわつかせているのです。

これだけ情報化の進んだ社会において、すべてを捨て去って、「目に見えないもの」から距離をおくことなんて、もはや不可能です。そうであるならば一歩踏み込んでどうやって「目に見えないもの」を認識し、区分けし、選別するのか、僕たち大人が率先して考えていかなければならない時代になってきているのでしょうね。

例えて言うなら、「包丁は便利ですが、人だって傷つけてしまうんだよってことを、人を傷つける経験をさせないようにして教えていく」ことでしょうか。う〜ん、なかなかに難しいですね。