真理とは何か  | 一国民からの発信

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政治を国民の手に取り戻そう。

 歴史や医学、政治など嘘だらけですが、まともな世の中に

するには、やはり、真実や真理を追究する姿勢が大切と思い

ます。

 

以前にも書きましたが 身近な小宇宙の中心は太陽であり 

太陽の熱と光の恵みで総ての物は生かされています。

 

また、 太陽は愛と言えると思います。 

よって宇宙は太陽という愛を中心にして成りたっているの

ではと。

 

聖書には、愛は真理である と書いてあります。

 

 

また 人はなぜ 大自然の風景を見て美しいと思うのか??

自然の美しさは調和だと思いますが、

 

人間の本質(良心)も自然と同じ調和なので、共鳴するの

ではと 

 

 また 人には良心が生まれつきあり 宗教に頼らず己の

良心を頼ればいいのではと書きました。

 

実は色々な宗教関係を読み ある本の内容が大変参

考になりました。 真理だと思うので抜粋します。

 

一時期、白装束としてマスコミに叩かれていたグループで

半信半疑のスカラー波攻撃されていると言っていた組織

です。その組織の原点であった 天国の扉 という本です。

 

 

         ある日の高校生クラスの討議より

司会者  神様とはどういうものか、人間とどう違うのか。神様と人間の関係についてお話して下さい。皆それについて知らなかったことだからーー実際に目で見えているものしか解らないのですし。目に見えない神様とはどういうものか。人間とどうつながっているのかを知りたいと思います。

ミカエル  宗教についてお話をいたしましょう。

司会者  あ、神と人間とはまた、別の存在の、特に全然次元が違って、どこかからパッと現れて人間というものを作ったとか、宇宙のあらゆるものを作ったとか、考えている人が多いいでしょう?そういうふうに説く宗教家も多くありますから・・・。だから、本当の神様はどういう方であらせるのか。それから、あのー、自然や宇宙と、どういう関係があるのか、それを解り易く説明して頂きたいのです。

 

ミカエル 宗教と科学は全く一致するものでなくてはいけません。何度も申しますように、今まで多くの人が説いてきたいろいろな宗教は、すべてそれが出来ませんでした。ですから、今生において、あなた方が知ろうとしていることは、その科学と宗教が一致した、新しいものであると言うことを理解しておいてください。今から説明しましょう。この漠然とした存在のものを、あなた方は、如何なるものだとお考えですか?  一人づづ聞いてまいりましょう。

 

高校生A  この世を良くするために、いろいろご指導くださるかた。

ミカエル あなたは?

高校生B  あまり漠然とし過ぎて、解りません。

ミカエル そうでしょう。

高校生C  私は、神様がいらっしゃるのを見たことがないので、自分で信じられないし、もし居られるとしたら、今まで皆さんが言われてきたようなものだと思います。

司会者  言われてきたようなーということは?

高校生C  だから、良い行い、善そのもの、という感じ。

高校生D 私も同じ!光り輝く人。

司会者  人ということは?

高校生D  つまり、人ではなくて、自然が神様そのものでーー人格ではないと思う。

司会者  人格じゃないと思うわけね。自然が神様そのものとであると思うわけね。神様は全能の神で、”神”と皆が崇めてきて、良い行いをする人、良い行いをするように、人間に求めていらっしゃる人とか思ってきた方がーー方というのは語弊があるかも知れないけどーーそういう方が、自然そのもであって、人間とは何の係わりもない、三次元の人間を象徴するものでない、と考えるの?

 

高校生D  象徴って言うのじゃなくって、人間は・・・

司会者  自然そのもの。科学的に言えば、自然とは人間の元である。自然から、人間が進化してきて生まれてきたのでしょう?

高校生D  だから人間は神様の子供っていう・・・。

司会者  ということは、自然イコール神様ということね。  

高校生D うん。

司会者 漠然として、抽象的であるけれども、物質的でもあるような・・・。

高校生D 具体的!

司会者 具体的でもあるような。けれども、私たちが崇める対象としての人格を持った神、とは言わないわけね。人格というか、神格というか。自然というのは、ただ在るがままのものでしょう?  

高校生D  うん。

司会者 それが善の行いをするとか、それが私たちに善いことをするように求めるとか。そういう対象ではないわけね。  

高校生D  うん。

 

司会者  ただ、存在する。意見が二つになりましたね。

ミカエル  そうですね。例えば、旧約聖書においては、神様は全能なる方で、そして、その方がすべての宇宙を作り、すべてのものを作り、人間を作られた方というふうに書かれています。それは全く非科学的なことであると、あなた方は思いませんか?大体この宇宙を作り、地球を作り、そして人間を作ったことなどという話は、あなた方は素直に信じることが出来ますか?信じられないでしょう?そうでしょう。人類は、宇宙は、いえ、地球、すなわち、このすべての存在するものは、徐々に進化してきたものなのです。例えば、人間を取ってみても、初めに地球は混沌とした、熱い星が生まれたばかりであって、それが次第に冷えて行って、そしてやっと生物と呼べるようなものが発生してきて、そしてそれが徐々に進化して行き、やがては無脊椎動物から脊椎動物へと、そして爬虫類とか哺乳類に進化して行って、そしてその哺乳類のうちの猿というものが次第に発達して行き、人間になった、というふうに科学で教えられていますね。それはその通りで正しいのです。ですから一方の考え方で言えば、大宇宙のこういう生物を発生できる力こそが”神”という考え方がございます。ですから、”神”という言葉については、そういうふうに漠然としたもので、感覚として掴んでいても良いのです。こういうふうにはっきりと定義づけては、説明することは不必要なのです。

ですから、人格として崇めると仰言いましたね?人格として崇める対象に、こういう大自然の力に一番近い方に、エル・ランティー様という方がいらっしゃいます。そうですね、そして、”神の教え”ということがございますね。”神の教え”というのは、すべて”善”というものについて説かれているでしょう?その”善”は誰が望んでいるかというと、外でもない地球に住んでいる全人類が望んでいるのでしょう?それを勝手に、自分自身の心で、自己保存の心で行動しているから、地球がこんなに汚れてしまったことになっているのです。ですから”善の心”というのは、すなわち、”自然を愛する心”ということにもなるのです。

”自然”というのは、いろいろな意味がございまして、例えば、木、草、山、海の自然もございますし、それから”人間の心においての自然”というものもあるのです。

”人の心の自然”というのはどういうことかと申しますと、人間の心は九層の層に分かれています。この心の真ん中には、神様の心というのがございます。後から説明いたしますが、自然のままに行動するということは、自分の善に沿って行動する、ということなのです。

ですから、悪い行動がありますね。例えば、人のことを考えないで、自分のためだけに何かを

 

 

して、その結果、他の人が傷つくとか、そういうことがあるでしょう?そういうのは悪なのです。

つまり善の行動とは、自然の成り行きのことなのです。そうですねー、この自然の心というのと、善の心の結びつきが、あなたには解り難いのですか?

 

高校生D そうです。

ミカエル  人間の心というのは、だいたい、善がなる心でしかないのです。だから、例えば、あなたが良いことをした時には、自分の気持ちがよいでしょう。そして、良いことばかり続けていけば、ずーっと、満足が得られますね。満足な状態が続くということは、自然な状態、理想的な状態であるわけです。

 

司会者  なぜ悪いことをすると、満足しないのですか?

ミカエル  悪いことをすると、自分の”善なる心”が許さないからです。つまり、もしあなたが授業をサボって、何処かへ行ったとしますね。そうすると後ろめたい気持ちになるでしょう?それは”善の心”がそういうふうに思わせているのですよと。

あなた方には、今そういうふうに、漠然としか解らなくても、別に構わないのです。いろいろこういう話を聞いているうちに、あなた方には、次第に分かってくると思います。ですから今は、漠然としたもので掴んでおいて下さい。

 

司会者   神様ということを漠然とした存在で掴んでおくわけですか?

ミカエル  そうです。そのうちに解って頂けますから。ですから、この”善の行為”というものは、自分が、理想的な心でいられることでしょう。理想ということは、自然、草や木の自然ありましたね。あれが例えば、日照りなどで害を受けないで青々と茂っていれば、果物なども順調に収穫があれば、それは理想の状態でしょう。これが普通の自然の姿なのですよ。普通の理想の状態というのは、自然の姿と善とに結びつくわけです。それから、自然の一部をなす動物、あるいは植物にも、それぞれ天敵があって、数と量のバランスが取れております。増え過ぎもせず、減り過ぎもせず、”自然淘汰”といって、それが自然の調和を保つのです。ちょうど良い量でバランスを取るのです。人間の心の善も、人と人との調和を、中庸の形で計るのです。自然の心は調和である、善も調和である。だから、善は自然と同じであるということですね。お分り頂けますか、みなさん?

 

司会者  そして、その神様ということですけれどね。エル・ランティ様は自分が神様だとおっしゃっているのではなくーー自然に解ってくるとおっしゃいましたけれどもーーエル・ランティ様が自分を”神”と、人間に”神”と見なすべき対象であると、説明されて来たのではなくてーーつまり、長い歴史を通じて、イエス様の時代や他の宗教家たちを通じ、自分を”神と崇めよ”とおっしゃったのではなくて、神というものは自然のありさま、そのあるがままの姿であって、それを解明する立場にあるものとして、今までいらっしゃったというふうに聞こえたんです。けれどもイエス様は明らかに、”全能なる神、私の父である全能の神を信ぜよ”とそういうふうに、聖書の中でおっしゃっていられた。それは間違いと思っていられるわけですね、エル・ランティ様は?間違いと見做していられるわけですね?

 

ミカエル  イエス様の場合には、エル・ランティ様はエホバとして登場されましたが、イエス様の時代においては、非常に民衆が貧しく、そして救いが、心のよりどころがなくては、生きていけない状態でございました。

司会者  そして非科学的でしたね。科学のことを何も知らないーー。

ミカエル  そうです。そういうように非科学的であるからこそ、神は全能で、その方がすべてであるということになったのでございますがーー。

司会者  その時に、そうおっしゃっただけですか?

ミカエル  そうです。”神を信じよ”とイエス様はおっしゃっていますが、これはすなわち、”自然のあるがままの自分の心に忠実になれ”ということなのです。

司会者  そうでしたね。”神はあなた方一人一人の心の中にある”とおっしゃいましたね。

ミカエル  そうです。

 

司会者  それではっきりしました。皆さんおわかりですか?その頃の人びとが解らなかったから、人間が教養なくて、科学も理解していなかったから、科学がどうだとか、人間が進化したらどうだとか、自然がすべてを生み出す母のようなものであるから、それを信じなさい、そして、自然なる心に従う自分の心を信じなさいと、そういうふうに言っても解らないから、だから、全能なる神、すなわち、イエス様のような、すばらしい奇跡を行うような神様を信じなさい、そのおっしゃる通りにしなさいと、そういうふうに言われたわけね。皆が、そういうふうな方がいられるから、気持ちを安心させて、安心した気持ちで生きて、世の中の苦しんでいる人達が、そういう教えに従っていったら、今の苦しみ、悩みから解放されて、世の中がもっと良くなる、ということを解ってもらいたいがためにイエス様は、エル・ランティ様(エホバ様)を説明するのに、その時そうおっしゃったわけね。だからイエス・キリストの時代の神様と、私達がこうやって説いて頂いている神さま、とは違うということね。同じであるけれども。

それはエル・ランティ様が、イエス様を通じてそうおっしゃっただけでね。本当は、”神様”というのは”自然”であるということね。それをよく納得してもらわなくてはいけないわね。

ミカエル  それと同じように、イエス様の時代には、布教の時間がなかったので、それを説明している暇がなかったのでございます。そして、そのことは当時にも、予言されております。すなわち、聖書にあるように、”彼らは耳で聞くが決して心で悟ることはないであろう”ということはこのことを予言されているのです・・・。 他にございませんか?

 

以下省略。

これらは いたこ のような霊能者(霊媒)を介してのメッセ

ージであり、江原さんのようなものです。

霊能に上級 低級があり よく吟味しないと駄目ですが、

今回のものは参考にしていいのではと思います。