長嶋茂雄さんといえば,元読売巨人軍の選手。選手として大きな実績を残しただけでなく,監督としても大きな実績を残しています。


 ところが,長嶋選手が現役を引退して最初に監督に就任した昭和50年の成績は最下位。読売巨人軍創立以来後にも先にも最下位になった年はこの年だけです。


 その後盛り返して昭和51年,52年はリーグ優勝。それからは,2位,5位,3位となっています。


 長嶋さんの著書を見ると,昭和50年にどうして最下位に沈んだかといえば,前任の川上監督が将来を見据えた選手育成をしてこなかったということです。つまり,川上監督は,目の前の試合に勝つことを優先してきた。そして,V9=9年連続日本シリーズ優勝という偉業を成し遂げた。

 他方,数年後に活躍する選手を育成してこなかった。


 そのため,それを引き継いだ長嶋監督は,平均年齢34歳という,力の衰えてきたV9時代の残り火の選手で闘わなければならなかった。その後長嶋監督は外国人やトレードで選手を補強しリーグ優勝を成し遂げたが,それにも限界がありその後は若干低迷。それでも,そういう中で次世代のジャイアンツの選手を育てた。中畑清(現ベイスターズ監督)や篠塚利夫(後にコーチ)などの選手も長嶋監督が育て,長嶋監督の後を引き継いだ藤田元司監督は日本一の栄冠を手にしています。


 そういえば,長嶋監督が最初に活躍していた頃私は小学生でしたが,中畑とか篠塚などジャイアンツファンでもまったく知らない若手選手でした。ところが,当時アメリカ大リーグで優勝したシンシナティーレッズを招いて日米野球が開かれたときに長嶋監督が中畑や篠塚を起用したのを覚えています。中畑は確か大リーグの実績のある投手から逆転ホームランを打ち,翌日もヒットを打った。後日談ですが,中畑選手は当時野球をやめることまで考えていたそうですが,この時の活躍で自信がついたのか,翌年のシーズン以降も活躍し完全にレギュラーをとり生涯ジャイアンツの顔になった。

 篠塚も確か翌年だったか,川崎球場で大洋ホエールズの斉藤からプロ入り初ヒットを打ちあれよあれよといううちにレギュラーに定着し,完全に巨人の主力選手になっていきました。


 最近勤務弁護士の育成について考えることがあるのですが,今活躍していなくても,粘り強く使っていけば中畑や篠塚みたいに事務所の顔になり活躍してくれる。長嶋監督の将来を見据えた人材育成。今も大事だが将来を見据えて人を使っていくことも大事だということを思い知らされます。

 

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