広島出身の私にとってやはり8月6日というのは人一倍特別な思いをはせる物です。
月日の流れも早いもので今年で21歳になる私。
年をとるにつれてこの件に関していろいろ考えてしまうのです。
原爆は広島だけで20万人を殺した大変恐ろしい核兵器です。
世界は言うまでもなく人殺しが悪であるということは理解しています。
あれほど様々な国と地域から平和祈念式典に参加してくれている様子を見ても事の重大さは明らか。
今年は式典にアメリカの駐日大使が参加すると聞いた。
駐日大使レベルですら今回の参加は異例だそうだ。どこかでムッとはしたものの着実に階段を上っているならと割り切った。
だが翌日になってアメリカ国内で大使の参加に否定的な意見が多々出たと聞いた。
「まるでアメリカが謝罪しているようではないか」
上の言葉は最初の内は新聞社のとんでもないタイプミスかと思った。
事実を知ったときは唖然とした。
以前からちらりと聞いた事はあったが、「大戦を終結させたのは原爆が決定打となった。我々アメリカは誇りに思う」というこの発想。核兵器を肯定し被爆者の感情を逆なでにするこの発想。
百歩譲ってそれが一部理にかなっているとしても、少なくともあんな時期に言うのは不適切だろう。
原爆を落とした当事者であり、国際的に高いポジションにいるアメリカ。様々な国が参列する中、アメリカだけにはそのような態度を取ってほしくなかった。
この様な形で戦争が終わった。もし原爆がなかったら広島・長崎に限らず日本という国が完全に崩壊していたかもしれない。ならば今の日本があるのは彼らの犠牲と引き換えに得た物と言える。だから私たちは6日や9日、15日に供養や謝罪の意をこめて祈りをささげるのだ。
彼らに言わせれば一戦争の延長線上の出来事なのかもしれないが、彼らは同時に自分たちが核兵器の使用という過ちを犯したという自覚はあるはずだ。
謝る気がなくても、仕方がなかったと考えるにしてもそれは必ずしも追悼の意思表示を示さない理由にはなりえないと思う。
