私が高校1年から3年の頃は、主に冬休みに掛けて郵便局でアルバイトをしていた。何故、アルバイトをしたのかは両親の教育方針でもあった、「社会経験を積ませる事。」からである。
高校3年間の冬休みは、確か?3泊4日のスキー合宿を終えると次の日から直ぐに尾張旭郵便局でアルバイトの毎日だった。私は当時住んでいた自宅の仕事場へ山積みにしてあった膨大な郵便物を、また郵便局の上司から指示を受けた現金書留を自転車で隈無く走り、いち早く各家庭に届ける様に粛然と配達業務をこなしていた。簡単な話し、毎日ノルマを黙々とこなしていただけの事である。幾らアルバイトでも、責任とノルマを達成しなければ給料は発生しないと父から厳しく教わって来た。
そんな忙しかった毎日の中でも楽しかったことは、友人達との語らい。各家庭の方々の労いと御礼の御言葉と差し入れ。下手をすれば、お小遣い迄頂いた覚えがある。3年間皆勤賞を郵便局から頂いたこと。私が二十歳の頃に、職員採用のオファーが来たことだった。本音を言うなら、「たられば」である。これ以上何も話さない。
3年間、郵便局の他にも同級生と一緒に配電盤の組み付け作業のアルバイトと陶器のアルバイトをしたこと。これら全ては祖父母や両親の教育方針だった、「社会経験を積ませること。自分の食い扶持は、自分で身に付けること。」が、来年48歳を迎える私にとって学歴社会だけでは生きていけれないことをつくづく感じるようになって来た。孝行したい時に親はいない。正にその言葉通りだった。
前田 直貴