さて「その38」からの続きですが、次にこのところの美咲ちゃん関連の出来事で触れてみたい点と言えば、去る10月12日に靴下の片方がボランティアの捜索人氏(2名)によって発見された件でしょうか。
その発見を受けて山梨県警が約10人態勢で2日間、涸れ沢を再捜索したが何も見つからなかったと。
しかし不思議というべきなのかどうなのかは分かりませんが、この靴下についてはその後の警察発表・リークのたぐいが一切ありません。
通常であれば、例えば
「靴下に付着していたDNAを採取して調べてみたら美咲ちゃんのそれと一致した(あるいは違った、あるいはDNAの採取に失敗した)」
くらいの発表があってもよさそうなものですが、それが一切なされていないと。
「靴下の片方が発見された」
と報道されただけで、あとは完全にダンマリ、ほったらかし状態です。
靴下と聞いてこの美咲ちゃんの事件をウォッチしている人々が気になるのは、その中に足首から下の骨のパーツであるとかその欠片・爪のたぐいが入っていたかどうかではないでしょうか?
私もそれが気になったのですが、そうした発表も一切ないと。
それでこうした部分にダンマリを決め込んでいる警察の態度を見て、一部には
「靴下の中に骨のたぐいは無かったんだろう。
もし仮に靴下の中に骨のたぐいがあったというのであれば、それはどちらかというと遭難事故を示唆する状況証拠になるだろうから、この件を遭難事故で終わらせたがっているように見える警察なら『靴下の中に骨があった』ということを積極的に発表するのではないか。
しかしそうした発表がなされていないということは、靴下の中に骨が無かったということを示唆しているのではないか?・・・」
というような推察も見られたのですが、
わたし的にはそうした推察が的を射ているかどうかは分からないまでも、まあそれもあり得る話かもしれないなとは思ったわけです。
というのは、去る4月の、あの後頭骨の発見を受けての涸れ沢での大捜索開始以降、警察は発見された骨についてはそれがどの部位のものなのかを(例えば肩甲骨だの顎骨だの後頭骨だのと)比較的細かく公表していたように思うのですが、
しかしついに、この記事のトップに掲げたような画像の部位(つまり靴下で包まれる部位)の骨が見つかったという話は聞かなかったわけです。
(もし画像の部位のような骨や爪が発見されているのであれば、それが靴下の中から見つかったか外から見つかったかについては秘匿するとしても、とにかくそうした部位の骨あるいはその欠片~足の爪が発見されたという事実くらいは発表するのではないかと思うのですが、そうした発表は今に至るまでなされていない。)
また、遺体が靴下を履いたまま腐敗すれば、靴下の繊維には血液その他、体の組織などが入り混じった腐敗液とも言うべきものが染み付き、水流に洗われた程度では消えない痕跡となって残るのではないかと思われるのですが、
去る4月の一つ目の靴下発見に際しても(この時は靴下から個人を特定できるだけのDNA型が採取できなかった)、
また10月12日のボランティアによる2度目の靴下発見に際しても、靴下内部にそうした血液その他の痕跡が染み付いていたという話は出ていないと。
この状況から、「遭難事故で丸め込みたがっているように見える山梨県警にしては不思議な動きだ」として
「靴下の中にはそうした骨のたぐいや、腐敗液の染み付いた痕跡などは無かったのではないか?(だとすれば遭難事故にしては不自然だ)」
と訝しがる意見が出るのももっともなことなのかなと感じるわけです。
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さて次にこの5か月の間に美咲ちゃん関連のことで触れておきたいと思っていたことといえば、
これは些細なことではあるのですが例の椿沢奥の「足跡ルート」に関することで、
より正確に言えば私がひとつ前の記事(その37)でその「足跡ルート」を云々したときに持ち出していた「日没時刻」のことです。
私はひとつ前の記事(その37)で、
「椿林道の終点をさらに超えた樹林帯などは人工的な明かりなどなく、17時45分の当時の道志村の日没時刻を迎えれば真っ暗になるのだから、その状況で美咲ちゃんが足跡ルートを経由して943ピークに登るなどは考えにくい」
という意味のことを書いたのですが、これが非常に迂闊(うかつ)だったなと。
何が迂闊だったかというと、その美咲ちゃんが迷い込んだと一部に主張されている椿林道奥の「足跡風のくぼみ」があった樹林帯なのですが、
そこは要するに谷底みたいなところでして、その東側には(名前が紛らわしいが)西山がそびえ、一方の西側にも高い山がそびえているわけです。
ついでに南側はあの大室山にふさがれていると。
要はその現場は東西南を山に囲まれており空いているのは北口だけと。
こういった地理的状況なので、当時の道志村の日没時間が17時45分だったとしても、美咲ちゃんが迷い込んだと一部から主張されているその(昼でも薄暗い)椿沢奥の樹林帯に関して言えば、17時45分などよりももっと早い時間帯に活動困難になるほどの暗闇に覆われるというのが間違いないところではないかなと、
こう考えれば美咲ちゃんが(物欲氏が命懸けで登って見せてくれた)あの道もなき急斜面を這い登るなどはさらに「論外」ということになるのかなと思われ、
だとすれば一つ前の記事(その37)で「17時45分」という日没時刻を基準に論じたことは我ながら迂闊だった、甘すぎたと思ったわけです。
現実はそんな時刻よりももっと早く活動不能なほどの暗闇に覆われるであろうと。
しかし私が今更こんなことを言うまでもなく、現状はあの
「美咲ちゃんはあの足跡風のくぼみがあった椿沢奥の樹林帯から西山の斜面を這い登って943ピークに達し、そこから涸れ沢に迷い込んだのだ」
という、あれほど騒がれていた「美咲ちゃんは『足跡ルート』を辿って遭難死したのではないか」という見立ては、
こういう言い方もアレですが、そのあたりをまじめに論じあっている方々のやり取りを拝見している限り完全に下火というか、この半年以上の間に現地での調査や地元関係者への聞き取りなど実地で検証された方々が掘り出した数々の事実によってほぼ完全に否定されたと言ってしまっていい現状ではないかなと。
まずはなによりあの物欲氏の登攀の動画、あれがまず椿沢奥から943ピークに向かう斜面の現実だ・・・ということですし、
それに加えて、私も拝見しましたがあのユーチューバー「秘密の考察室」氏の現地探索動画、
秘密氏があの椿沢奥の樹林帯から943ピークへとつながるルートを探索しながら無理だ無理だと連呼されているあの動画ですね、
秘密氏の美咲ちゃん関連動画の番号で言えば「⑩-5」~「⑩-6」の動画になるわけですが。
秘密氏はもともとこの美咲ちゃんの失踪事件について
「美咲ちゃんは椿沢奥の樹林帯に迷い込み、そこから西山の斜面を登って943ピークを経由し涸れ沢に達して死亡した(道迷いの末の遭難死)」
という見立てを抱いていらっしゃったとのことで、その見立て通りのルートがあるのかどうかを確かめるために椿沢奥の現場に赴かれたとのことですが、
その秘密氏をしてあのような「無理だこりゃ」的な反応をとらしめた、あれらの動画に記録されている椿沢奥や急斜面のリアルを見れば、
あのやけに騒がれていたいわゆる「足跡ルート」というものが、実は頭の中で小1女児を用いて空想上の楽な斜面をスイスイ登らせていたにすぎない机上の空論であったということが、現地をご覧になったことのない方々にでも分かるのではないかと。
結局、秘密氏も
「美咲ちゃんが本当に道迷いで斜面を登った可能性は極めて低い」
という結論に達しておられましたが、
興味深かったのは、秘密氏が椿沢奥を探索中に偶然出会った人物で(仮にA氏)、
このA氏はなんと美咲ちゃんが椿沢奥の樹林帯から西山の斜面を這い登って943ピークに達し涸れ沢に入ったのだということを「証明」するために椿沢奥の現場を訪れ探索しておられたというのですが、この方は
「杉の植林帯の中に行ける道があるのではないか。そのルートを登ってみなければ」
ということで椿沢奥にある杉の植林帯の中に入っていったものの、やはりこの方も結局登れず引き返してきたというのですよ。
私は何かあの斜面に楽な道があるというような話は例えば
「港区の地元住民のみが知っている、東京タワーを例の外階段(600段)の何倍も楽に歩いて登れる幻のルートがあるんですよ」
的なうさんくさい話ではないかと思えるのですが、
世の中には「あり得ない」の一言で終わらせてしまうのではなく、自分の目で見、体験した上で納得したいという緻密・厳密・現場主義な方々もいらっしゃるわけで、
そうした方々のお一人であろうA氏も実際に現場に入られ、ご自身で検証され身をもってそのことを確認された形となったと。
秘密氏はこうした現地探索動画を公開された後にも、追加情報として、現地の地主さんご本人や当時捜索に携わった消防団の方などにも例の「足跡風のくぼみ」のことや当時の捜索範囲のことなどについて聞き取り調査を行っており、
それらは極めて貴重な動画となっていますので、お時間あるときにでもぜひご覧になってみては?と思います。
ともあれ、このように遅かれ早かれ椿沢奥の「足跡ルート」というものは(事故だと言っている人々にさえ)疑問視~否定されるだろう、
そうなれば是が非でも「美咲ちゃん=山登りの末の遭難死」にしたい人の中には椿沢奥の「足跡ルート」から宗旨替えして
「やっぱりバリルートで・・・」
と言い出す人も恐らく出てくるのでは?という気がしておりましたので、
私としては「美咲ちゃん=山での遭難死」説に固執したい人々の考えについては変える必要がないとして、
少なくともそれ以外の人々には「バリルート登ったんだろう」と、あたかもそこらのなだらかな丘をスイスイ登っていったかの如く簡単に言えるものではないということを斜度や標高差の点からまずはイメージされてみては?ということで、
バリルートの横に東京タワーを立てた画像を7月24日以前にアップした4つの記事すべてのトップ画像としていたわけですが、
ともあれそのバリルートというのは、例の「白い家」の前を過ぎ「椿三の橋」を渡り、美咲ちゃんのグループがテントを張っていた広場を左下(樹間超し)に見通せる地点を過ぎ、
その地点から少し先にある例の白看板のある、誰もまさかここが登山道の入り口だなどとは思わないような樹々に覆われた薄暗い入口からいきなり斜度40~45度ともいわれる急登が始まる、あれがバリルートなわけですが、
このルートについては当ブログでも過去記事(その34)で思うところは既に書いているので、よければご覧になっていただければと。
物欲氏もこのバリルートを登攀され、途中から斜面をトラバース&ロープで懸垂下降しながら涸れ沢に到達し、そのまま涸れ沢を下の林道との合流地点(後頭骨の発見地点)まで下りてくる動画をアップされていますが(当該動画には前編と後編あり。前編がバリルート登攀からトラバースして涸れ沢へ。後編が涸れ沢を下って林道との合流点へ)、
その動画(ここでは前編「2022/7/30前編・椿ルート(バリルート)」云々というもの)をご覧になれば、その急峻である様子や、途中しつこくアブにまとわりつかれそれをスズメバチによる襲撃と誤認して慌てながらトレッキングポールを振り回される様子、トラバース中に足場の悪さや急斜面に難渋される様子などが現場のリアルとして記録されているのですが、
ともあれこのバリルートの登り傾斜については物欲氏は
「傾斜自体はきついんだけど、“足跡”付近から僕が前回登った直登ルート(足跡ルート=斜度60度とも言われる)よりかはぜんぜん楽です」
とのことで、
確かにこのバリルートの登り傾斜については最もきつい部分でも7歳の美咲ちゃんを跳ね返すほどのものではなく、彼女でも目的を登山に切り替え登る気になれば登れるだろうということが見て取れはするものの、
しかし重要なのはその傾斜が7歳女児に登れるものかどうかではなく、
「例の白看板の薄暗い入り口から始まる、一見登山道とも見えない道もなき急斜面を、沢遊びをしている友達たちを追った美咲ちゃんが・・・しかも虫が苦手で、山には怖い生き物がいるので一人で入ったりはしないと言っていた美咲ちゃんが延々登っていく理由があったのかどうか?」
というものであることは言うまでもないことかと。
この「理由」という点について、先述の「秘密の考察室」氏がご自身の美咲ちゃん関連の動画(No.15)の中で鋭い言及をされていました。
その言及とは去る9月21日に美咲ちゃんのご家族のサイトで紹介された母親のとも子さんや美咲ちゃんのお姉ちゃんの言葉を受けてのものだったのですが、
前の記事(その38)でも紹介した通り、9月21日の家族サイト更新の中で母親のとも子さんは警察からバリルート経由で
「美咲の遺骨が見つかった場所と、もし山から滑落したとしたらこの場所と(警察が)仮説を立てた場所」
まで案内されたということを報告し、その上でご自身とお姉ちゃんの所感を・・・つまり
「はっきりと道だと分かる整備された道からその脇の山に入ることがまず考えられません。
歩いて数分で周りきれるキャンプ場内で遊んでいた美咲が友だちを捜しているのに、理由もなく山をどんどん登るとは考えられません。
美咲といつも一緒に遊んでいた長女も『美咲がここに入る事はないと絶対に思う。理由もなくこんな大変な所を登るなんてありえない』と言っていました。
私も家族も事故ではなく、美咲は何らかの事件に巻き込まれてしまったのではないかと考えています」
という所感を述べておられるのですが、秘密氏はこのとも子さんやお姉ちゃんの言葉の中の「理由もなく」という部分に着目され、
「美咲ちゃんはそもそもお姉ちゃんたちを追いかけて河原に向かったわけであり、登山をしに来たわけでもなく、急な斜面へと友達を探しに行ったわけでもない。美咲ちゃんは山は怖いものと認識していたしっかりした子供である。まだこのバリルート付近の距離なら、たとえ林道を間違って進んでしまったとしても(母親がテントを張っている広場からまだほど近い地点なので)パニックや絶体絶命の危機状態ではなかったと思える(つまりパニック状態に陥って登ったなどの理由も考えにくい)」
として、まず美咲ちゃんがバリルートを登っていく理由は通常は見当たらない、ということを述べられ、
次に仮定の話として、例えば
「子供たちの間で『白看板の入り口から登れば基地があるよ』『後で白看板のところから登って探検しよう』的な会話がなされていたのであれば、美咲ちゃんがバリルートを登っていく理由にはなるかもしれないが・・・」
とされつつも、しかしこの仮定の話に対しては
「美咲ちゃんのお姉ちゃんは昼食後に他の子供たちと遊んでいたのであり、もし子供たちの間で『白看板の入り口から登れば基地があるよ』『後で白看板のところから登って探検しよう』的な会話がなされていればお姉ちゃんはそれを知っていたはずだと思われる。そのお姉ちゃんが『理由もなくこんな大変な所を登るなんてあり得ない』と言っている以上、子供たちの間で『白看板の入り口から登れば基地があるよ』『後で白看板のところから登って探検しよう』的な(つまり美咲ちゃんが白看板のところから一人で登っていく理由となるような)会話がなされていたとは考えにくい」とされ、そのうえで
「美咲ちゃんが林道からいきなりきつい斜面に入りそこを登って行って遭難したと考えるのは強引な気がした」
として、「バリルートから登ったのでは?」との見方に対して疑問を呈せられていました。私もこれには同意であると。
この点、「『白看板の入り口から登れば基地があるよ』『後で白看板のところから登って探検しよう』的な会話がなされていたことを美咲ちゃんのお姉ちゃんが知らなかっただけであり、他の子供(あるいは子供たち)は知っていたのではないか? そしてそうした会話がなされていたことを捜索の時に大人たちに言い出せなかっただけでは?(だから美咲ちゃんのお姉ちゃんだけが『美咲が登る理由はない』と思い込んでいるだけでは?)」という想像の話もできなくはないものの、
しかし、通常「言い出せない」という心理状態は物事がある程度深刻化しているときに起きてくるものであって、
では美咲ちゃん捜索の場合はどうだったかというと、美咲ちゃんが皆の後を追いかけて広場を出発したきり戻ってこない(皆で探そう)となった初期の頃にはそこにいた大人たち子供たちの誰一人としてあのような悲劇的な結末になるなどとは思ってもみなかったはずであり、
つまり当初は「そのへんにいるだろう」的な、それほど深刻ではない雰囲気の中で探し始めたものと思われ、
そうした初期の雰囲気であれば、仮に子供(あるいは子供たち)の中に
「実は美咲ちゃんとは山の上の基地であるとか探検だとかの話をした」
という者がいたとしても、そのことを「言い出せない」ということはなかったのではないか?
つまり捜索最初期のころであれば子供(あるいは子供たち)も白看板のところから登る基地だの探検だのの話があれば大人たちに
「そんな話をしたから、美咲ちゃんは白看板のところから登ったのかも」
ということを申告したであろうと思われるのであり、
そうした申告が無かったということは、そもそも子供たちの間でそんな会話はなされていなかったとみるのが妥当と思われ、
「美咲ちゃんが林道からいきなりきつい斜面に入りそこを登って行って遭難したと考えるのは強引な気がした」
と結論された秘密氏の考察にはやはり妥当性を感じると。
バリルートについて参考までに、下の画像は物欲氏のバリルート登攀動画(前編)から。動画開始後14分50秒あたりから傾斜がよりいっそうきつくなり始め、開始後18分40秒あたりでは物欲氏「まあ角度的にはこういう感じですよねホント。(手で斜面を指し示しながら)これが今登ってる角度ですね(下の画像のシーン)」
斜度は45度程度だろうか、目の前が壁のように感じる。しかしこれでも物欲氏が「足跡ルート」で体験された斜面よりは「ずいぶん楽」
さてその物欲氏の動画ですが、氏が涸れ沢を下の林道との合流点(後頭骨の発見地点)まで下られた動画(「2022/7/30後編(マグサ沢)合流」云々という動画)を拝見して改めて思ったことがありまして、
それはやはり涸れ沢と林道の合流点の地表に後頭骨のみがポツンと存在していたことへの違和感を覚えたというか、
他の遺骨や遺留品は涸れ沢のもっともっと上のほうで発見されているのですが、後頭骨の一部のみは距離的に掛け離れた最下流に近い林道との合流点の地表にポツンと出ていたわけです。
私はかつてユーチューバー「369の約束手形」氏による涸れ沢探索の動画を見た感想として過去記事(その36)で次のように書いていたのですが・・・(以下、青字と赤字の部分)、
「(369氏の)一連の動画に映る涸れ沢の地面を見ていて思ったのですが、その地形は当然ながら公園の滑り台のようなツルツルの真っ直ぐではなく、カーブあり段差あり、あるところは広く、またあるところは狭く・・・といった具合に複雑な形状をしており、
そこに大小の石が転がり、中には流れを堰き止めるかのような大きな岩が鎮座しており、大小の倒木もあり、
要するに何が言いたいかというと、そうした地形の中で最下流の林道わきの地面上に後頭骨の一部がポツンと一つのみ存在していたということに、やはり不信感を覚えてしまいました。
あの地形で、それ一つがあそこまで流れ着き、しかもちゃっかり地表に出ているものかなと。
動物が咥えて運んだということもあり得るかもしれませんが、まあ私としては不思議に思ったと。」
物欲氏の涸れ沢を下る動画を拝見してみても、やはり上と同じ感想を抱いたと。
繰り返しになりますが、遺骨・遺留品が発見されたあの涸れ沢というのは、上流から後頭骨の一部のみが滑り台の上をすべるがごとくスムーズに流れ落ちてきて林道との合流点の地表にポンと着地できるような---少なくともそうしたことが起きることが不思議とも思われないような---地表の状況ではないわけで、
具体的に言えば上流から下流まで一貫して下に掲載した一連の画像のような地表の状況であるわけです。
この地表の状況で後頭骨の一部のみが他の骨や遺留品の発見場所から流れ下り、林道との合流点の地表にポンと存在していた・・・ということに対して、
今回もやはり違和感というか、率直に言ってなにか作為めいたものを・・・つまり
「もしかして、誰かが置いたのでは?」
ということを改めて感じてしまったと。(「その40」に続きます)