「その14」からの続きです。
● 金湯館のご主人や「アルバイトの男性」が「心霊写真」の存在について全く言及していない件
200ページ上段~、金湯館の3代目ご主人(佐藤敏行氏・2021年現在故人)が事件当時に警察から「被害者が最後に写っていた写真(原文ママ)」の撮影場所について確認を求められたということをライター氏に証言するシーン、
「ええ、私らも刑事に写真を見せられましたよ。『佐藤さん、ちょっとこの写真の場所を確認してくれないか』と言って持ってきました。被害者が最後に写っていた写真だと聞きました。あれは確か金洞の滝の前で撮った写真でした。(原文ママ)」。
佐藤氏のこの証言を受けて、ライター氏が「え? 金洞の滝前の写真なんてものがあったのですか?」と佐藤氏に確認を求めるシーンは、
「(金洞の滝とは)初めて聞く名称である。確か新聞報道では、Kさんの最後の写真は<忍の池の滝前>となっていたはずである。当時の新聞資料を広げながらもう一度ご主人に確かめた。(すると佐藤氏曰く)『いや、忍の池じゃなかった。あれは間違いなく金洞の滝でした。当時はまだ木の橋でしたが、滝をバックに女性が橋にもたれて、カメラ位置は橋の反対側から撮っていたはずです。確か警察の検証で、撮影した人物は身長百七十数センチとか言ってましたね』。
この事実は後の取材でも裏付けられた。事件当日の朝、水車前でKさんの記念写真を撮ってあげたアルバイトの学生・畑山寛さん(当時二十一歳・仮名)からも、同じ答えが返ってきた。『僕もその写真は見ました。ええ、間違いなく金洞の滝だったと思います』。
これで少なくとも、忍の池が最後の写真ではなかったことがはっきりとした。確かに当時の新聞記事をもう一度よく読んでみると、どこにも忍の池での写真が最後の一枚とは書いていない。<殺される直前>とキャプションがついているだけだ。(原文ママ)」。
ここで気が付くことは、金湯館のご主人もアルバイトの男性も、あの笹やぶ前の気味の悪い「心霊写真」の存在については全く言及していないということかと。
つまり、ライター氏が「正真正銘の最後の一枚(205ページ下段)」とした笹やぶ前の「心霊写真」については---この「心霊写真」こそ撮影場所不明であり、もし仮にこの写真が本当に「金洞の滝前の写真」の次のコマに写っていたのであればそれこそ警察は金湯館のご主人やアルバイトの男性に「これが金洞の滝の次のコマに写っていたのだが・・・」と撮影場所の確認を求めてもよさそうなものだと思うのですが---金湯館のご主人・アルバイトの男性ともに、そんな気味の悪い写真を見せられ場所の確認を求められたとは全く言及していないわけです。
「金洞の滝」という明々白々な撮影ポイントについてさえ場所の確認を求めてきたという警察が、この「心霊写真」については場所の確認を求めなかったとは考えにくく、とりわけ「水車前の2コマを撮影した」というアルバイトの男性に対しては、
「君がシャッターを押したという水車の写真の後のコマに、こんな笹やぶ前の写真もあったんだが、これも君が撮影したのか?」
「この笹やぶがどこか、心当たりはあるか?」
と警察が確認しなかったとは考えにくいものがあるかと。
そして、仮にアルバイトの男性や金湯館のご主人が、警察からその笹やぶ前の気味の悪い写真を見せられ、場所の確認を求められていれば、彼らの印象に残るのでは?と思うのですが、
ライター氏の取材時、二人からはそんな写真があったということについては一切言及がなかったわけです。
本当に笹やぶ前の「心霊写真」が5コマ中に存在したのであれば、これは不自然なことではないかという気がします。
(ちなみに、二人から「心霊写真」の存在について「実はこういう写真もあったんですよ」という積極的な証言がなかったのみならず、ライター氏のほうから二人に対して「気味の悪い写真があったと聞いたのですが、事実ですか?」と確認を求めるシーンも描かれてはいません。
それの何が不可解かというと、上の青字のところを読んでいただければ明らかなように、ライター氏は金湯館のご主人が語ったという「金洞の滝前の写真」については、わざわざ「後の取材で」事件当時バイトの学生だった男性に接触してその写真の存否を確認し、
「僕もその写真は見ました。ええ、間違いなく金洞の滝だったと思います(原文ママ)」
との回答を得たとされているのですが、
その一方で「心霊写真」については、ライター氏は、バイト男性に対しても金湯館のご主人に対しても、その存否を確認してみたとの記述は無いわけです。
不自然といえばこれも非常に不自然なことではないかと。)
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● 重要な取材対象(重要人物)であるはずの「元捜査官」のレポート中での扱いが小さ過ぎる件
ライター氏が取材をされた対象について、
「元の捜査関係者にも取材してみたが(原文ママ)」(203ページ上段)
「金湯館ご主人や元捜査官から、事件の概要は聞いた(原文ママ)」(204ページ上段)
とあります。
要は実際に捜査を担当していた人物に取材をされたとのことで、もしそうであれば、それはこのレポートの最大の売りというのか見どころになると思われるのですが、
しかし不可解なことに、このレポートには、その「元の捜査関係者」「元捜査官」が全くといっていいほど姿を現しません。
唯一、その「元捜査官」氏がほんの少しだけ顔をのぞかせたのかなと思える部分が、202ページ下段の
「複数説を否定しきれないのは、この事件を担当した群馬県警の元捜査官の一言による。犯行の短絡性に比して、死体の隠蔽や遺留品の消去に関しては、ずいぶんていねいだったというのだ。」
という部分ですが(全684行あるレポートのうちの4行。扱いの少なさを実感いただくためにあえて行数を数えました)、
それ以外は、その「元捜査官」に接触するシーンや、相手の印象、当時の捜査・捜索状況についての質疑応答シーンも一切描かれてはいません。
そうしたことが描かれていないことについては、
「あくまで、取材で得た情報をどう書くか、つまり取材対象となった人物の印象なども紹介し会話形式なども盛り込んで書くのか、それともそうした人物の紹介は控えつつ、得られた情報のみを簡潔に列挙するような形で書くのか、要は書き方の問題につき、とやかく言うべきではない」
として目をつぶるべきなのかもしれません。
しかし、そもそも、本当にそうした人物(元捜査官)に話を聞くことができたのであれば、問題の写真(いわゆる「最後の5コマ」)の内容や、その並び順、それぞれのコマの撮影場所がどこであるとか、撮影者が判明しているのかどうか、判明しているのであればそれは誰なのか等々については
「その人物(元捜査官)に直に質問すればよかったのでは?」
と普通は思うわけであり(本の出版は2003年11月23日で取材時期はレポートの内容からしておそらく2003年の盛夏、つまりその時点で時効成立後約16年を経過していたものと思われる)、
その人物に直接質問すれば5コマについての洗いざらいを教えてくれたはず・・・とまでは言わないとしても、少なくとも大まかなところは教えてもらえたのではないかと思うのですが(「時効後あるいは退職後ではあっても守秘義務があるから」と回答拒否される可能性もなくはないが)、
ライター氏がそのあたりの質問を「元捜査官」にぶつけてみるシーンさえ一切描かれてはおらず、また、「質問してみた」ということさえ書かれてはいないわけです。
さすがにこうなると、「元捜査官に取材をされたにしては??」とならざるを得ないと。
先述の通り、レポートでは「金洞の滝前の写真」の存在についても、金湯館のご主人の証言を受けて初めて
「え? そんな写真があったんですか?」
となっており、「元捜査官」に話を聞くことができていたにしてはなにか不自然であり、
また「心霊写真」についても同様で、ライター氏は205ページで、その写真のことを被害者の知人女性から聞いて初めて知ったと書いており(つまり「元捜査官」に取材をされたというにしてはその写真のことは女性に取材をするまで知らなかったということになる)、それならそれで、
「被害者の知人女性からそんな写真があったと聞いたのですが、事実ですか?」
「それが5コマ目で間違いありませんか?」
と、取材対象であったというその「元捜査官」に確認をされたのだろうかというと、そういうこともされてはいないということで(その記述なし)、
そのあたりも不自然ということで、書かれてあることをどこまで信じていいのか?という思いにつながったかと。
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● 同じく重要な取材対象であるはずの「アルバイトの男性」の扱いが小さ過ぎる件
201ページ上段、ライター氏が事件当時金湯館でアルバイトをしていた男性(「畑山寛」という仮名で登場する。当時学生で21歳だった)に話を聞いたというくだりについて。
まず、事件から31年後に、当時のバイト男性にどうやってコンタクトをとったのだろうか?というそこはかとない疑問があるわけです。
(レポート中、取材した時期は「真夏」であったとあり(198ページ下段)、また、金湯館の3代目ご主人・佐藤敏行氏の年齢が「74歳」とされており(199ページ下段)、このことからしてライター氏がこの事件を取材されたのは2003年の盛夏と思われます。
ネット上には2008年7月4日付の霧積温泉に関する朝日新聞の記事があり、そこでは佐藤敏行氏の年齢が「77歳」と紹介されており、これに『迷宮入り!?未解決殺人事件の真相』の出版年月が2003年11月23日であることなども考えあわせれば、佐藤氏・ライター氏・朝日新聞の誰かが年齢を1~2歳ほど間違えているのではないかと思われるのですが、
その点についてはとやかく言わないとして、ライター氏の取材時期が2003年の盛夏であることは確定とみてよいかと。つまりそれは事件発生から31年が経過した年なわけです。)
バイトの男性と金湯館のご主人がいまだに親交がある~年賀状のやり取りなどをしている等の事情があり、金湯館のご主人から紹介してもらったとかならあり得るのかもしれませんが・・・。
しかし仮にそうなら、レポート中に例えば(以下、私の作り話)、
「敏行氏(金湯館のご主人)から話をうかがう中で思いがけない情報を得ることができた。それによると、金湯館でアルバイトをしていた当時21歳の男性が、事件当日の朝、金湯館の水車前でKさんに請われ記念写真を撮ってあげたのだという。だとするとその男性は殺害される直前のKさんと直に接した数少ない証人の一人ということになる。もし男性から話を聞くことができれば当日のKさんの様子も含めて様々なことが分かるかもしれない。しかし、いかんせん事件は31年前のことである。男性がいまどこでどうしているのか、もしかすると既に亡くなっている可能性もあるかもしれない。(さすがにコンタクトをとるのは厳しいか・・・)私は内心でそう思いつつも諦めきれず、敏行氏にその男性と今でも連絡が可能かどうかを訊いてみた。すると意外な答えが返ってきた。『それなら大丈夫だ。畑山君とはあの時以来付き合いが続いていてね。律儀な男だよ。いまでも年に一度はうちに泊まりに来てくれる。今年もらった年賀状もあるはずだよ』・・・敏行氏はそう言ってしばらく席を立ち、戻ってきたときには一枚の年賀ハガキを手にしていた。見せてもらうと宛名面には男性の住所氏名があり、裏面には年始の挨拶に添えて近況を報せる短い文章が達筆な文字でしたためられていた・・・」
こういったシーンが(これほど長たらしくなくても)あってもよさそうなものだと思うのですが、しかし、そうしたシーンすら一切ないわけです。
あるいは金湯館のご主人による紹介ではなく、当時のなにかしらのメディア情報によりバイト男性の住所氏名を把握されたのかもしれません。
しかしそれにしても、そのバイト男性との対面シーンであるとか、その人物の印象、被害女性の写真を撮影した時のことも含めて当時のことを質問するシーン、得られた回答はこうだった・・・といったことが一切描かれていないのはいささか奇異に思えます。
レポートによるとそのバイト男性は、事件当日の朝に被害女性と接触し写真(水車前の2コマ)を撮ってあげたという重要人物なわけで、
その人物から直に話を聞けたというのであれば、これは「元捜査官」への直接取材と並んでレポートの最大級の売りの一つというか見せ場の一つではないのかと思われるのですが、その男性が登場するのは201ページ上段の一度きりであり、そのセリフも
「僕もその写真は見ました。ええ、間違いなく金洞の滝だったと思います(原文ママ)」
という、全684行あるレポートのうちの2行だけなわけです。
(また取材時52歳になっていたはずのそのバイト男性が初対面のライター氏の取材に対して「僕」という言葉を使っているのも---そういう言葉遣いの人もいなくはないですが---個人的には違和感を覚える点で、勘ぐりすぎと思われるかもしれませんが、仮にこうした部分がフィクションだったとすれば、「事件当時21歳バイト学生だった男性への取材」という設定を意識するあまりつい学生風なセリフ・言葉遣いにしてしまったのかな、などとも思ったりします。)
いずれにしても重要人物に直接取材をされたにしては扱いがあまりに小さく思われ、こうした点にも疑問を覚えたと。
(ちなみにレポートでは、そのバイト男性が事件当日の朝に金湯館の水車の前で被害女性の写真を2枚撮ったとされているのですが、ライター氏がその水車前うんぬんの情報をどういった情報源からどの時点で把握されたのかも書かれてないので不明です。
ただそこは「何かしらの情報源があったのだろう」とするとしても、その極めて重要な場所であるはずの水車の写真が、レポートではなぜかライター氏<K氏>本人による撮影ではなく、「写真は1989年当時。撮影・大木康弘」となっていたりします<191ページの上段、原文ママ>。
単に2003年夏の取材時にその重要な場所であるはずの水車の写真を撮影するのをうっかり失念されただけなのかもしれませんが・・・、しかしこうしたところも首をかしげてしまった部分ではありました。)
(その16へ続く)