(行方不明となっている辻出紀子さん。はっきりものを言うタイプながら、人当たりは良く人気者だったという)
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平成10年(1998年)11月24日に、三重県伊勢市の出版社「伊勢文化舎」で記者兼編集者をしていた辻出紀子さん(当時24)が行方不明となった事件。
別名「三重女性記者失踪事件」。
これも、先の北山結子さんその他の方々の事件と同じく、「どう見ても・・・」という事件でありながら、自白や公判維持に足る物証を欠き、取り逃がしてしまった事件かと。
この事件については、ノンフィクション作家で辻出さんの個人的な知り合いでもある西牟田靖氏と、会社経営者で伊勢志摩地方の民話や怪奇譚の収集家である加藤宗一郎氏が詳細なレポートを書いておられるので、そちらをお読みになることをお勧めいたします。
(西牟田氏のレポートについてはTABLOその他のネットメディアで閲覧可能、加藤氏のそれについては洋泉社『殺しの手帖』にて。)
(赤ピンの先、辻出さんの車が発見された場所)
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以下、ウィキペディアよりコピペ
■ 事件の概要
1998年11月24日深夜、伊勢市で記者をしていた女性(当時24歳)は、午後11時ごろ勤務先の伊勢文化舎を退社してから行方不明になった。
翌日、被害者の乗用車が伊勢市内の駐車場で見つかった。
乗用車は施錠されており、荒らされた形跡はなかったが、バッグや携帯電話が紛失していた。
その後の三重県警察の捜査により、退社後に取材先の男性に会っていたことが判明したが、その後の消息については不明。
■ 捜査
残された車両には、女性が喫煙をしないのにタバコが残されているなど、不自然な点があった。先述の男性が最初に捜査線上に浮上したものの、失踪とは関係ないと主張。
その後、男性は別の監禁容疑で逮捕されるものの、本件については無罪判決が下り、男性は逆に国を提訴した。しかし、その後男性は訴えを取り下げるなど不可解な展開を見せる。現在、この男性は捜査線上から外れている。
特定失踪者問題調査会が被害者の両親と情報を交換するなど、北朝鮮による拉致の可能性も排除できないとの見方もあるが、真相は未だ分かっていない。
ウィキペディアからの引用終わり。以下、少し補足させていただくと、
辻出さんは、1974年(昭和49年)11月3日生まれの、当時24歳。
身長161cm、体重46kg、頭髪は黒色セミロング、左環指つけ根に1cm大の火傷痕あり。
生まれは母親の実家のある宮崎県の旧・宮崎郡佐土原町、しかし、誕生の翌月には父親の赴任先であった徳島市に移り、その翌年の8月にはまた父親の仕事の都合で父親の実家である三重県一志郡一志町波瀬に移っている。
経歴は、「一志町立波瀬小学校」 → 「一志町立一志中学校」 → 「三重県立津高校」 → 「立命館大学法学部(政治行政コース)」、
1997年3月に立命館大学を卒業し、同年4月、「伊勢文化舎(当時、伊勢志摩編集室)」に入社、地域雑誌「伊勢志摩」(現・伊勢人)の編集記者として勤務を始めた。
辻出さんが入社した「伊勢志摩編集室」が社名を「伊勢文化舎」に変更したのは1998年4月のこと。当時は、本社を伊勢市神田久志本町の「伊勢倉田山ぶんか館」に置いていたが、2014年5月から、本社を伊勢市船江に移転している。
(勤務先の本社は当時この「伊勢倉田山ぶんか館」に置かれていた)
辻出さんは学生時代から難民問題に関心を寄せ、実際に難民キャンプを訪れるなどしていた。
行方不明になる直前の1998年11月19日(木)~11月23日(月)にも、休暇を取り、4泊5日で旅行仲間とともに、タイとミャンマーの国境地帯にある難民キャンプを訪れていた。
帰国して24日(火)に伊勢文化舎に出勤、夜10~11時ごろまで残業し、上司から「もう遅いから帰りなさい」との指示を受けて退社。
退社後の夜11時過ぎに、取材で知り合った尾鷲市在住のある男性と会い、その後消息を絶った。
警察が電話の通話記録を調べたところ、その男性が24日中に数回、伊勢文化舎や辻出さんの携帯電話に電話をかけていたことが明らかとなった。
男性本人も、「自分の車の中で取材の件で辻出さんと1時間ほど話をして、別の海岸に近いところで辻出さんを降ろした」と供述し、当夜に辻出さんと会ったこと自体は認めている。
11月25日の昼ごろ、三重県警から、辻出さんの実家(一志町)の固定電話に、「おたくの車が伊勢市にある損保会社の駐車場に迷惑駐車をしている」との連絡が入った。
辻出さんの車は日産マーチであり、乗り捨ててあった場所は、大東京火災海上保険(株)伊勢支社の駐車場だった。
(勤め先と車発見現場とは、直線距離にして約1km離れていた。車発見現場では現在、タイヤやホイールの専門ショップ「COCKPIT」が店舗を構え営業している。3枚目は当時の状況)
車には不審な点がいくつか見られた。
まず、駐車ラインからはみ出して斜めにとめられており、日ごろから几帳面だった辻出さんの駐車の仕方とは違ったという。
バッグや携帯電話が紛失しており、また、辻出さん本人は喫煙者ではないが、車内にはタバコが一本残されていた。
その他、「助手席側のシートが倒れていた」「本人はいつもカーステレオはつけっぱなしだったが、発見された車のそれは、ステレオのスイッチが切られていた」等、不審な点があり、最後に運転していたのは辻出さん本人ではないのではないか、との疑いが持たれた。
両親は、乗り捨てられていた車を実家に保管している。失踪から長い年月を経て、保管している車のタイヤは空気が抜けて潰れた状態だという。
(車発見現場前の道路。夜になると街灯もなく真っ暗であり、人通りも絶えるという)