岩手17歳女性殺害事件・その1 | 雑感

雑感

たまに更新。ご覧いただきありがとうございます。(ごく稀にピグとも申請をいただくことがあるのですが、当方ピグはしておりません。申請お受けできず本当にすみません)

岩手17歳女性殺害事件

(岩手県田野畑村・鵜の巣断崖へと続く一本道)

 

※※ パソコンからご覧の場合で、画像によってはクリックしても十分な大きさにまで拡大されず、画像中の文字その他の細かい部分が見えにくいという場合があります(画像中に細かい説明書きを入れている画像ほどその傾向が強いです)。その場合は、お手数ですが、ご使用のブラウザで、画面表示の拡大率を「125%」「150%」「175%」等に設定して、ご覧いただければと思います※※

 

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この事件は2008年7月1日(火曜日)の午後4時半ごろ、岩手県川井村の山中で当時17歳の女性が他殺体で発見されたというもの。

 

 遺体発見日時: 2008年7月1日(火曜日)、午後4時半ごろ

 

岩手17歳女性殺害事件

 

 遺体発見場所: 岩手県下閉伊郡川井村(現・宮古市川井村)田代の県道171号線(大川松草線)にある「下鼻井沢橋」の下、水深10~20センチの沢にうつ伏せの状態で発見された。

 遺体発見者: 道路工事関係者(橋の上を歩いていて発見)

 

岩手17歳女性殺害事件

(赤ピンの先が遺体発見現場。川井村は事件当時は「下閉伊郡川井村」だったが、2010年1月1日、宮古市に編入した)

 

もう少しクローズアップしてみると、

 

岩手17歳女性殺害事件

(各市町村との位置関係を確認いただければと)

 

もう少し寄ってみると、

 

岩手17歳女性殺害事件

(国道106号線から県道171号線に入ったのだとすれば、入ってわりとすぐのところに遺棄していることになる)

 

岩手17歳女性殺害事件

(ストリートビューより、遺棄現場となった下鼻井沢橋)

 

 被害者: 宮城県栗原市若柳出身の女性S.Kさん(当時17、無職)

 

このあと被害女性の友人で同年齢、同姓同名のS.Kさん(宮城県登米市出身)が登場するので、被害女性を「SB」、その友人で生存しているほうを「SA」とします

 

 司法解剖: 7月2日(遺体発見翌日)の午前中、岩手医科大学医学部法医学教室により行われた。

 死因: 頚部圧迫による窒息もしくは頭部外傷。(遺体は頭部に裂傷と骨折、首にうっ血痕。歯が折れていた。)

 死亡推定時刻: 6月30日頃から7月1日頃(警察見解では「6月28日深夜から7月1日午後4時半ごろまで」)

 その他: 服装は上半身が黒の半袖パーカー、下半身は下着。

靴を履いておらず、現場に争ったような形跡も見れらなかった。別の場所で首を絞められた後(ひも等を使った「絞殺」ではなく、手で首を絞めた「扼殺」とみられている)、橋から投げ落とされ、その際の衝撃で頭部に裂傷や骨折を負ったというのが警察による見立て。

岩手県警宮古署に捜査本部が置かれ、岩手県田野畑村出身の当時28歳の男性(以下、K)が全国指名手配されている。

Kについてはこの殺人事件の犯人とするには疑義があるとして、これに懸賞金を掛け指名手配した警察のやり方を疑問視する向きもある。

(ジャーナリストの故・黒木昭雄氏等)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%89%8B17%E6%AD%B3%E5%A5%B3%E6%80%A7%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6

(岩手17歳女性殺害事件ウィキペディア)

 

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事件の流れ。

(以下、ネット情報のコピペに、多少補足したもの。そのネット情報はこれまたほぼ全てが黒木昭雄氏の取材によるものと思われる。)

 

主な登場人物:

 

SB: 殺人事件被害者。(宮城県栗原市出身の女性、当時17歳。身長160cm、体重52kg)

: 岩手県田野畑村出身の男性、事件当時28歳。身長170cm、やせ型。両親と弟二人あり。SB殺害の容疑で全国指名手配となっている。

SA: Kの元カノ。宮城県登米市出身、SBとは同年齢で同姓同名の友人関係。SB殺害事件の直前にKのもとから宮城の実家に逃げ帰っていた。

: 岩手県普代村(田野畑村の隣村)在住の男性、事件当時30代。地元で遊ぶ若者たちの元締めのような存在。Kから恐喝事件のことで久慈署に被害届を出されていた。

 

2006年10月ごろ、Kは普代村に住むZ(当時30代)の紹介により埼玉県で型枠大工見習の仕事に就くも、数日で逃げ出した。

その後、Kは各地を---黒木氏によれば「Zから逃れるように」---転々としていた。

 

2007年2月中旬ごろ、Kは同郷の友人Mとともに、宮城県登米市内のゲームセンターでプリクラ撮影中の二人連れの女子高生をナンパした。

この女子高生らがSAとSBだった。

SAとSBは当時高校1年の同級生(ともにほどなくして退学)で、同姓同名の友人だった。

KはSAと交際を始め、SAを連れまわすようになった。

SAはほどなくして高校を退学、二人でMのアパートに転がり込んだり、車上生活をしながら転々と暮らした。

SBについてはもう一方の男性(M)と2~3度会ったが、親密な交際には至らなかった。

 

2007年5月1日(火曜日)、仕事先を郷里に求めたKは、「(Kが数日で職場から逃げ出し紹介者Zのメンツを潰したことについて)もう怒ってない」と電話で答えるZの言葉を信じ、末弟(三男)に同行を依頼し、K、三男、SAの三人で普代村のZ宅に詫びに行った。(午後6時半ごろ

Kと三男がZ宅に入ったとき、SAはZ宅の前にとめた車の中で待機していた。

Kは日本酒の一升瓶を差し出し非礼を詫びた。

ところがZは日本刀を持ち出し、その切っ先をKの口に入れ、自分のメンツを潰したことや埼玉の大工に頭を下げに行った費用も含めて迷惑料として120万円を払えと要求した。

ZはKの頭を2~3発殴り、120万円の借用書を書かせたうえで、保証人を立てることを要求した。

Kは同席していた三男に保証人になることを依頼するも、三男は「巻き込まれたくない」とこれを拒否、Zは「ならば指を置いていけ」と包丁を持ち出し、Kの左手小指の上に包丁を当て、クリスタル製の灰皿を包丁の背の上にコツンコツンと落とした。Kの小指は切れ出血した。

「他に保証人になる奴はいないのか?」とZから迫られたKは、車内で待機していたSAの名と電話番号を勝手に保証人として便せんに書いてしまった。

約2時間後、Kと三男は車に戻った。

SAによるとKの白いジャージの太もも部分には点々と血が垂れており、怯え方も凄かったという。

 

しかしKは金を支払うことなく、SAと逃亡生活を続けた。

 

岩手17歳女性殺害事件

岩手17歳女性殺害事件

岩手17歳女性殺害事件

(普代村はKの出身地である田野畑村の北隣の村。普代村のウィキペディアによると、画像のあたりが普代村の中心地でありメインストリートとなる。)

 

Zの追跡は執拗だった。

保証人として名前を書かれたSAの携帯にも、Zからの督促の電話がかかってきた。

Zは、「全国指名手配」という携帯サイトに「yakuza」というIDを使ってKの顔写真と名前を掲載し、「金を払わず逃げ回っているとんでもないやつです。見つけたら連絡下さい」などと書き込んだ。

そして、片っ端からKの情報を集める一方、「見つけたら必ず殺してやる。家に火をつける」などと言って回った。

 

※ 黒木氏の取材に対するZ側の言い分は以下。

「私は日本刀など持っていないし指詰めも迫っていない。こちらが真面目な話をしているのにヘラヘラと笑うKに腹が立ち、頭を1、2発殴っただけ。

Kに支払うように要求したのは120万ではなく10万円。Kにはかつて何度も飲み食いさせたし、行くところがないというから家にも泊めてやった。仕事を世話してくれと泣きついてきたので、かわいそうに思って仕事を紹介してもやった、それを相談もなく仕事を棄てて逃げたんだから私の立場がない。

Kが仕事先から逃げ出したとき、私はローン会社から金を借りて関東の大工のもとへ頭を下げに行った。Kが弁償するのは当然ではないか? 

全国指名手配の携帯サイトに”yakuza”のIDで書き込んだことは認めるが、その時思ったことを書き込んだだけ。書き込みは自分で消した。便せんに連帯保証人としてSAの名前と携帯番号を書かせたのも事実。警察に呼ばれれば同じことを話す」

(ちなみに上の「全国指名手配」という携帯サイトは、岩手17歳女性殺害事件の発生直後ともいえる7月15日付けで閉鎖されている。閉鎖の経緯は不明)

 

2008年5月某日(恐喝事件から約1年後)、Kは上記携帯サイトに自分の顔写真と名前が晒され、Zにより追跡されていることを知った。

 

2008年6月3日(火曜日)、KはSAと二人で岩手県警久慈警察署を訪れ、Zを被疑者とする恐喝の被害届けを提出。SAも刑事に事情を聴かれた。

 

岩手17歳女性殺害事件

(岩手県警久慈警察署)

 

2008年6月22日(日曜日)、恐喝事件の現場に居合わせたKの末弟(三男)も久慈署に呼び出され聴取を受けた。

「お前の兄ちゃんが困っているから、あの時のことを話してくれ。署に来なければ、お前も(恐喝したZ側の人間だった可能性もあるので)逮捕することになるかもしれないぞ」という強い態度で三男を呼び出し、事情を聴いた。

三男は、Kが日本刀で脅されたこと、指を詰めさせられそうになったこと、借用書を書かされ保証人としてSAの名前と連絡先を書いたことなどを3時間以上話し、Z宅の部屋の見取り図なども書いた。

担当刑事はKの供述調書と照らし合わせながら三男の話を聞いていた。

三男は、捜査はだいぶ進んでいるのかなという印象を受けたという。

 

2008年6月28日(土曜日)の午前10時ごろ、KとSAは盛岡競馬場近くの駐車場に来ていた。(この日は競馬の開催日だった)

Kは車中で寝ており、SAは近くのコンビニに買い出しに出た。この時、日ごろからKの横暴に耐えかねていたSAは、Kのもとから逃げ出した。

SA「別れたいとずっと思っていました。働かないくせに、私に暴力をふるったり怒鳴ったりするからです」

SA「(Kの)気性は荒いです。機嫌が悪いと、別に怒ることじゃないんじゃない?というところでもキレはじめる。でも、自分より強い相手には何も言わない」

SAによるとこの時、Kの車はガソリンも半分以下、所持金も千円程度と少ないことがわかっていたので、逃げるなら(宮城まで追ってこれない)今しかないと思ったとのこと。

 

SAは盛岡駅に向かい、電車で宮城県登米市の実家を目指した。

(ちなみに、後に問題になる「Kの右手の怪我」について、SAがKから逃げたこの時がSA的には生前のKを見た最後だったが、この時はまだKは右手に怪我をしてはいなかったという。)

 

SAが電車に乗り、午後2時を過ぎたころから

「よりを戻したい」

「今日逃げられるのはわかっていた」

「(恐喝の)被害届を取り下げるために一緒に久慈に行こう。二人で行かなければ取り下げられない」

「お前がいなくなったからどうでも良いから、(被害届を)取り下げようと思ってるから、もう一回来てくれ」

「お前が一緒じゃないと取り下げができないといわれた。お母さんと一緒でもいいから一度来て」

などとするKからの電話やメールがSAの携帯に立て続けに入った。

SAはこれを、自分を呼び戻すための口実だと思い無視していた。

Kが恐喝被害届の取り下げを口にしたのはこの時が初。事件後に振り返ってみると、この時Kが言い始めた「被害届の取り下げ」という話は本気だったのだとSAは感じたという。)

KはSAに対し「実家に帰り着いたらそのことを証明するため自宅の電話からKの携帯にワンギリすること」をしつこく要求、SAは根負けしてこれを受託。

 

SAは駅に父親に迎えに来てもらうつもりだったが、父親の終業時間(夜9時ごろ)に合わせるべく、途中、一関で下車して時間をつぶした。

 

岩手17歳女性殺害事件

(画像中央よりやや右上、盛岡競馬場。ここでKから逃げ出したSAは盛岡から電車で南下し、実家のある宮城県登米市を目指した。途中、一関で時間調整)

 

午後9時過ぎ、登米の実家に帰り着いたSAは直後にKの携帯に約束のワンギリを実行。

 

午後9時半ごろ、KからSBに電話が入った(午後10時過ぎとの情報もある)
(SB → SAと同年齢・同姓同名の友人。SBはまだ高校在学中だった2007年2月中旬に登米市内のゲームセンターでSAとプリクラを撮影しているとき、Kとその同郷の友人にナンパされ、その時以来Kとは知人関係。ただし、KとSAが交際を始め、すぐに同棲を始めてからSAとSBは疎遠になっていたというので、KとSBも頻繁にやり取りする間柄ではなかったのでは?と想像する)

Kからの電話の内容は、「恋の悩みで相談したい。今から会えないか」というものだった。

 

当時SBと同棲していた人物(17)がその時の様子を目撃しており、それによると、SBは電話の相手について「Kなんだよね~・・・」と言い、「う~ん・・・」と嫌そうな感じであったという。

(ちなみに午前中にKがいた盛岡の東北自動車道「盛岡インターチェンジ」から登米市最寄りの「若柳金成インターチェンジ」までの距離は約110km、所要時間約1時間といったところ。

ただし待ち合わせの場所となったコンビニなどがある登米市中心部に行くには、若柳金成インターを降りてさらに下道を走る必要があり、盛岡競馬場から登米市中心部までの所要時間は1時間40分~2時間といったところ。)

 

午後10時過ぎごろ、SAの携帯に見知らぬ番号から着信があった。(黒木氏によれば午後10時10分ごろ

この着信は実は同姓同名の友人SBからの着信だったが、SAはSBの携帯番号を登録していなかったため、見知らぬ番号としてその着信を無視した。

SAが友人であるSBの携帯番号を登録していなかった理由について、黒木氏によると、SAはかつてSBの携帯番号を登録していたのだが、Kがそれを削除していた。

Kは自分が連れまわしているSAが友人らに助けを求めることを阻止するため、SAの携帯に登録されているアドレスを全て削除していたのだという。

 

午後10時20分ごろ、SBはKとの待ち合わせのコンビニに向かった。(セブンイレブン迫佐沼小金丁店

「私、殺されるかも。その時は電話するからね」と笑って言い残し部屋を出たという。

 

岩手17歳女性殺害事件

岩手17歳女性殺害事件

(地図中、赤ピンの先が待ち合わせ場所となったコンビニの位置。画像はストリートビューより)

 

SAが見知らぬ番号からの携帯への着信を無視してから約20分後(午後10時半ごろと思われる)、今度はSAの自宅の電話が鳴った。

SAの父親が受話器を取ると、相手は娘の同姓同名の友人SBだった。

父親は、1年以上家を離れていた娘(SA)が今日自宅に帰ったことなど知らないはずなのに、なぜこのタイミングで自宅に電話を入れてきたのか、やや不思議に思いつつも、電話をSAに取り次いだ。

SAも同じくこのタイミングで(自分の帰宅を知らないSBから)自宅に電話が入ったことを不思議に感じたが、「携帯にかけてもつながらなかったので、友達から自宅の電話番号を聞いた」と軽く返され、それ以上不思議に思うことなく、午後10時40分ごろまで他愛のない話をした

この会話の中で携帯のメアドを交換し、電話を切った後、今度は交換したメアドで6回ほどやり取りをした。

SB「Kとはどーしてるの?」

SA「きょう、別れた」

SB「これからどーするつもり?」

SA「わかんない。だけど、もうヤダ」

このメールのやり取りについて、SAによる後日談「あのとき、SBの横にはKがいたんじゃないかな。まるで(Kの)代わりに聞いているみたいな質問ばっかりだったから」

しかしこのようにSAに対する未練を感じさせつつも、その夜、なぜかKがSAの実家を訪れることはなかったという(SA&SAの母親談)

 

午後10時43分~午後11時ごろ(約17分間)、SBが一人で雑誌を立ち読みする姿がコンビニの防犯カメラに捉えられていた。

そこにKの姿は映っていなかった。(防犯カメラ映像を見たSBの父親による証言)

 

2008年6月29日(日曜日)午前0時30分、この頃を最後にSBからの(SAへの)メールは途絶えた。

(6回ほどやり取りしたというメールの、SBからの最後のメッセージが午前0時30分ごろだったということかと思われる。)

 

午前2時14分~17分ごろ(約3分間)、セルフ式ガソリンスタンドで給油するKの姿が、同スタンドの防犯カメラに捉えられた。

時間の経過から見て盛岡市内のガソリンスタンドの可能性が高いが場所は不明という。(警察は当然把握しながら公表していないだけかと思われる)

この時、Kは右手に白い布のようなものを巻いていた

防犯カメラの画像について、Kの父親によると、「事件後、警察の取調べの中で捜査本部の刑事に見せられた。写真はKだと思う。」「どこのスタンドかは教えられなかった」

 

午前7時半ごろ、KはSAの携帯に右手の怪我を見せるかのような写メを送り付けた

6月28日の午前中に盛岡競馬場の近くでSAがKから逃げ出した時点ではまだこの怪我は負っていなかったので、SAがKから逃げ出した時からこの写メまでのいずれかの時点で、Kは右手を負傷したものと思われる。

写メには「被害届を取り下げるからもう一度盛岡にきてくれなきゃ困る」などとSAを呼び出す内容が書かれていた。

しかしSAは以前、恐喝事件を担当していた久慈署のC警部補から「今後あんた(SA)は必要ない」と言われていたこと、また、それまで何度もKのもとから逃げたがそのたびに捕まり暴行されたので「もうイヤだ」という思いもあり、Kからの誘い出しには応じなかった。

 

岩手17歳女性殺害事件

(6月29日午前7時半ごろ、KはSAの携帯に右手の怪我を見せるかのような写メを送り付けた)

 

午前9時半ごろ、Kは田野畑村の村営住宅に暮らす弟夫婦宅を一人で訪れた。(この弟は3人兄弟のうちの次男)

この時のKの服装は、下はジーパン、上は黒の長袖Tシャツで前開き。

次男によると、Kの見た感じはいつもと変わらなかったものの、右手を怪我していたのでその理由を聞くと、Kは「壁を何回か殴った」と答えた

次男は「そうなのかなぁ」と思ったが、(壁を殴ったというわりには)手の甲にも傷があったので、変だと思ったという。

食事の際、Kは右手の怪我のため箸が使えず、次男はKにフォークを出した。

この怪我についてはKの父親による証言もあり、「(Kは)人差し指と中指の間にタバコを挟むこともできなかった」とのこと。

 

午前9時半過ぎ~正午ごろ、次男夫婦らはKに頼まれ、車の中にあったSAの荷物を整理した。

荷物はトランクの中の衣装ケースに入っており、その内訳は、衣類、ステッチ(キャラクター)のぬいぐるみ2つ、財布、時計、スニーカー、化粧品、Kのじゅじゅ玉など。

これらの荷物を、Kが持参したセブンスターの段ボール箱に収めたという。

この時、「仕事がない」「もうだめだ」とKが言うので、次男夫婦らは励ました。

トランクの他、助手席、運転席なども見たが、(トランクや助手席には)血痕のようなものや濡れたあと(失禁)などは無かった。

ただ、運転席のシートに血が付いていて、Kのジーパンの右太もも付近にも血痕があった。(次男夫婦証言)

 

午後7時20分ごろ、Kは次男夫婦に付き添われ、岩泉町の病院(済生会岩泉病院)で右手の怪我について診察を受けた。

Kは医師に対し「酔っぱらって壁と喧嘩した」と説明。

Kの右手は小指の付け根と薬指の付け根(握りこぶしを作ったときに盛り上がる部分)、そして小指のやや上のほうの手の甲の部分に傷があり、全体的に腫れ上がっている状態。

 

岩手17歳女性殺害事件

岩手17歳女性殺害事件

岩手17歳女性殺害事件

 

診察した医師(内科医)によると、Kの右手の握力はゼロに近く、握ることも開くこともできない機能障害の状態。外科の常勤がいない病院だったので、すぐに(宮古市の)外科の専門医に見てもらうように言って帰したという。

事件を取材していたジャーナリストの故・黒木昭雄氏によると、「Kの右手には3カ所丸い突起物で突き刺したような傷がありました。」

また黒木氏からの取材を受けた医師は、黒木氏の「その手の状態で、単独で人を扼殺できると思うか?」という質問に対して、「(左手一本ではどうかわからないが、少なくとも右手では)無理だと思います」と答えている。

この日の夜は次男夫婦宅に宿泊した。

 

岩手17歳女性殺害事件

(宮城県登米市のコンビニで6月28日午後10時半ごろからSBと会ったとみられるKは、翌29日の午前2時14分~17分の間、盛岡市内とみられるセルフ式ガソリンスタンドで右手に白い布を巻き給油中の姿を、当該スタンドの防犯カメラに捉えられていた)

 

岩手17歳女性殺害事件

(済生会岩泉病院。6月29日の夜7時過ぎ、Kは右手の怪我の治療のため、次男夫婦に付き添われ、この病院を訪れた)

 

2008年6月30日(月曜日)午前7時10分ごろ、次男夫婦宅で目覚めたKは、高校時代の恩師Yの自宅に連絡を入れた。

 

次男夫婦が外出した午前9時ごろ、KはSAにメール。「昨日病院に行った」「夕べ弟の家に泊まった」

 

午前11時半ごろ、Kは漁協のガソリンスタンドに立ち寄った。

 

正午ごろ、ガソリンスタンドに立ち寄ったその足で、高校時代の恩師Y宅を訪れた。

(Yによると、その時のKの服装は「黒っぽいV字型の薄での長そでTシャツ姿でジーパン。持ち物は、財布、携帯、銀色の鎖の腕時計、たばこ、素足にビーチサンダル」。車は「●●寿司」近くの駐車場に止めてきたと言っていた。右手の怪我についてKは、「夕べ弟のところで嫌な事があって、弟の家の壁を叩いてこんなになった」と言った。Kは午後5時30分ごろまで滞在したが、その間、携帯電話でメールのやり取りをしたり、電話で刑事と話し合っていた。Yが理由を聞くと、「普代の怖い人(Z)とトラブルがあって、その人を相手に恐喝事件として被害届けをだしてある」とKは答えた。)

この日までのどの時点でか、Kは久慈署に恐喝被害届の取り下げを願い出て拒否されたらしく、この日の正午過ぎ(12時19分)にKが知人に送ったメールによると、

久慈の警察に電話してZの件取り下げようとしたら駄目だった。県警が事件扱い処理したからって。明日か明後日呼ばれそう。ついでに警察に保護院保護施設の事聞いた。前に新潟で施設入るかってなってたけど断ったから。施設行って仕事紹介してもらったほうがいいかな。金も部屋もないし。これから●●社長に電話してみるけど。日払いしないと厳しいから。社長のとこ行くには、生活費とか借りなきゃ」

 

午後5時半ごろY宅を出たKは、午後6時50分ごろ、次男夫婦宅に戻った。

 

午後8時ごろ、Kの父親が、次男宅を訪れた。(次男が父親を呼んだといい、これは、兄の恐喝被害届取り下げの件だったと思われる)

この時、Kは父親に対して、「被害届を取り下げたい」「理由は、Zからの脅しが弱まったから」などと話した。

これを受けた父親は、午後9時半ごろ(午後8時半ごろとの情報もある)、久慈署のC警部補に電話し、「本人が取り下げたいと言っているので、応じてもらえないか?」と、被害届の取り下げを訴えた。

父親によるとこの時、C警部補から、

「いやいやお父さん、こういった(Zのような)男を放っておくとK君のような(被害にあう)人がまた出るから、あと2~3日で逮捕するので、取り下げないでください」「家族の安全は守るから」

と押し切られ、被害届けの取り下げを断念した。

この日の夜も、Kは次男夫婦宅で宿泊した。

 

2008年7月1日(火曜日)午前9時ごろ、Kは再び高校時代の恩師Y宅を訪れた。

Yによると、Kは前日と同じ服装でやってきた。特に変わった様子もなくテレビを観たり昼食を食べたりでゴロゴロし、合間を見て久慈署のC警部補と携帯のやり取りをしていた。

誰からの着信かは不明ながら、Kの携帯の着信音が何度も鳴っていた。

 

午後4時半ごろ岩手県下閉伊郡川井村(現・宮古市川井村)の山中で若い女性の遺体発見

(これがSBの遺体だった。ただし、「SBと思われる遺体が発見された」と宮城の両親に宮城県警若柳署から連絡が行ったのは翌日(7月2日)の午後5~6時ごろ。両親により遺体がSBであることが確認されたのは7月3日の午前中)

 

「遺体を見つけて110番通報した男性(32)によると、・・・現場近くの道路の補修作業を終え、沢で手を洗おうと橋から下を見たところ、遺体が目に入った。『色が白く、はじめは人形かと思った。』と振り返る。現場は人里離れており、県道の周囲はうっそうとしたササに覆われている。地域の住民によると、岩泉町の龍泉洞に続く通り道として、夏休みや連休時は車の往来があるほか、山菜取りや渓流釣りの人たちがシーズンに訪れるが、車通りは多くはないという。」・・・2008年7月3日 朝日新聞朝刊/岩手全県・1地方面

 

午後5時ごろ、Kは行き先を告げずにY宅を出た。(買い物に出たとの情報がある)

 

同じく午後5時ごろSBの父親(宮城県栗原市)が、6月28日の夜以降行方不明となっているSBの捜索願を宮城県警若柳署に提出した。

 

午後7時25分、Kが弟に「うん悪い。人生やり直せるかな」とメール。(「弟」とは次男か三男か不明)

 

午後8時ごろ、KがY宅に帰ってきた。(午後7時半ごろとの情報もある)

Yによると、Kは出かける前とは打って変わってひどく動揺しており、運転席に座ったまま「もう田野畑にはいられない」「頑張っても頑張っても誰も認めてくれない」と大泣き。

表に車が通ると「警察が来たんじゃないか? 見てきてくれ」と震えながら怯えていた

 

午後8時半ごろ、KはYに「形見だと思って持っていてくれ」と写真やお守りを渡し、Y宅を出て行った。

 

午後9時ごろ、Kは「陸中海岸シーサイドライン」で、対向車線側にある電柱に正面から突っ込む単独事故を起こした

(弟にはこの日「宮城に戻る」と言っていたらしいが、事故現場は宮城とは反対方向だった)

 

岩手17歳女性殺害事件

(奥側が南、手前が北。車は黒木氏によるとトヨタのセルシオ、エアバッグは開いていたという。Kにとって車はナンパの道具であり起居の場所でもあった)

 

普代村で魚釣りをした帰りにたまたま事故現場を通りかかった田野畑村の男性(T)がKを車に乗せ、Kの自宅近くまで送った。

Tによると、事故車から足元のおぼつかないKが出てきて「大丈夫」とは言ったが、手を怪我していたので「手が腫れてるじゃないか」と指摘すると、Kは「これは車の事故でやったんじゃない」と話した。Tが「じゃあ何でやったんだ?」と尋ねたところ、Kは「女と喧嘩して手を上げた(女を殴った)」と答えた。

またKは酔った様子で、「もう俺はおしまいだ」「死ぬしかない」などとも言っていた

TがKを自宅近くで降ろした後、Kが「財布を車内に忘れたかもしれない」と言ったので、Tは事故現場に戻って車内の財布を探した。その後に事件に発展するなどとは思っていなかったので、素手で車内をべたべたと触りつつ財布を探したという。

(Tによると、その後、7月2日と3日の2回、警察から事情を聴かれた。しかしそれは「事故の第一発見者」としてのみであり、調書も取らず殺人事件の話は一切出なかった。Kを助けたときTが乗っていたのは人から借りた車だった。その車にもKの血痕が付いたため、Tは「警察はこの車も調べたいだろう」と気を利かせ、警察に赴く際にはわざわざもう一度この車を借りて警察に行き、「この車にもKの血が付いていますよ」と警察に述べた。しかし警察は生返事のみで車の調査をしなかったため、Tは警察の捜査に疑問を感じたという。)

事故を起こした夜、Kは自宅で匿われるように一晩を過ごした。身体から酒が抜けるのを待って警察に出頭させるためだったという。

(悪いことには違いないがこの状況で息子を警察に突き出す親はいないだろう、との黒木氏による感想あり。)

事故処理には(自宅に匿われている)K本人ではなく、Kの父親と弟(次男)が出た

 

2008年7月2日(水曜日)午前2時半ごろ(事故の5時間半後)、事故処理を終えた父親と次男が自宅に戻った。

この夜、Kは久しぶりに自宅に泊まった。

 

岩手17歳女性殺害事件

岩手17歳女性殺害事件

(事故現場の位置とストリートビューからの画像)