(旧琴南町川東焼尾の遺体発見現場あたりの空撮画像<2003年2月撮影>。画像中央やや右寄りの山林内にある廃道わき斜面で遺体が発見された。画像中のゴルフ場は1995年9月開場の「サンライズヒルズカントリークラブ」)
※※ パソコンからご覧の場合で、画像によってはクリックしても十分な大きさにまで拡大されず、画像中の文字その他の細かい部分が見えにくいという場合があります(画像中に細かい説明書きを入れている画像ほどその傾向が強いです)。その場合は、お手数ですが、ご使用のブラウザで、画面表示の拡大率を「125%」「150%」「175%」等に設定して、ご覧いただければと思います。※※
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「その1」からの続きで、
■ 1997年3月16日(日)の朝5時過ぎに和加さんの母親が娘の帰宅していないことに気づいて以降の流れは以下のような感じ
・3月16日(日)の朝8時過ぎ、家族が和加さんのバイト先のローソン詫間駅前店に問い合わせると、「前夜の10時に退店した」との返事。
・16日の午前10時過ぎ、和加さんの中学時代の友人から電話が入った。
それによると、友人は和加さんと映画を見る約束で詫間駅で待ち合わせていたものの、約束の時間になっても和加さんが姿を現さなかったため、心配して自宅に電話をかけてきたという。
連絡もなしに友人との約束をすっぽかすという普段にはない事態に、家族は事の重大さに気づき、学校の友人やクラブの友人など、考えられる限りの家に連絡を取り問い合わせてみたが、誰一人として和加さんの行方を知る者はいなかった。
・両親は和加さんのポケットベルにも何十回となくメッセージを送ろうとしたが、呼び出し音が続くだけだった。
和加さんの友人ら数人も彼女のポケットベルに連絡をとってくれたが、和加さんからの返事はなかった。
・真鍋家では3月16日の朝早くから皆で手分けして和加さんの行方の捜索を始めた。
近くの山や川、池、沼、土手などはもちろん、瀬戸内に突き出た景勝地・荘内半島まで足をのばした。
(東西南北はご推察ください。画像向かって左側に荘内半島。右側の「靴発見現場」については後述。ちなみに「ローソン詫間駅前店前の和加さん最後の目撃地点」と「靴発見現場」との距離は、直線で約8kmといったところ)
・事態は家族らが足をのばした荘内半島とは反対側の琴南町で進行していた。
3月16日(日)の夕方、香川県仲多度郡満濃町に住む農機具販売会社経営のAさん(当時63)が知人に頼まれて琴南町川東焼尾の自己所有山林に、神事に用いる榊(さかき)を取りに来ていた際、
同山林内にある廃道わきのフェンス(高さ約1.2m)の切れ目から雑木の生い茂る斜面下を覗き込んだところ、そこに「マネキン」が捨てられているのを発見した。
時刻が既に午後6時を過ぎていたこともあり(注:香川県3月中旬の日の入り時刻は18時10分ごろ)、Aさんはその日は「マネキン」を放置したまま帰宅した。
Aさんがその「マネキン」を見つけた場所は「サンライズヒルズカントリークラブ」というゴルフ場の東側山林内にある廃道のわきで、その廃道は、かつての町道(焼尾1号線)だったところだとのこと。
ゴミなどの不法投棄が多く、Aさんとしては普段から注意していた場所だった。
その時も知人から依頼された榊(さかき)を取るついでに、不法投棄の有無を確認しようと見て回っていたのだという。
・3月17日(月)の午前9時20分、Aさんは、「自己所有の山林にマネキンのごみが捨てられている」という旨を、琴平署美合駐在所に通報した。
(2017年現在、美合駐在所は、事件当時よりも南に約2km下った位置に移転している)
(色が、青だの赤だのと統一感がなくてすみません。背景色に映える文字色をと思うのですが、同じ一つの画像の中でも部分部分によって青が映えたり赤白黒が映えたりということがあり、なかなか難しいです。遺体発見現場については「おおむねそのあたり」というくらいで把握していただければと。
ちなみに1枚目の画像、向かって左端の「靴発見現場」から右端の「遺体発見現場」までの距離は、直線で約18.2kmといったところ)
・17日午前10時、美合駐在署員が、近所の主婦に案内を頼んで現場に到着。投棄されているのが「マネキン」ではなく、若い女性の遺体であることを発見した。
・遺体は、廃道から約3m下がった斜面に、脇腹のあたりを雑木の幹にひっかけ、くの字になるような形で、仰向けに放置されていた。
・遺体は半裸の状態で、上半身は長袖の白いTシャツ、下半身は白い靴下を片方だけ身に着けていた。
(和加さんの両親が香川医大で遺体と対面したとき、左足だけは損傷の激しさを理由に包帯でぐるぐる巻きにされていたとのこと。
また遺棄現場からは、先の長袖白Tシャツと片方の白靴下のほかは、和加さんが身に着けていたと思われる服や腕時計、ポケットベルなどの遺留品は発見されていない)
・現場には争った形跡がみられなかったため、どこか別の場所で殺され、廃道のフェンス切れ目から斜面下に投げ落とされたものと推測された。
・琴平署では殺人・死体遺棄事件と断定。同署に捜査本部を設置し、県警からの応援を得て捜査を開始した。
(琴平警察署。ここにも香川女子高生殺人事件の情報提供を呼び掛ける立て看板が出ている)
・17日夕方から香川医科大学で司法解剖がなされた。
(香川医科大学は1978年の開学、2003年に香川大学と統合して香川大学医学部となっている)
・死亡推定時刻は3月15日の深夜。(バイト最終日の深夜)
・死因は紐状のもので首を絞められたことによる窒息死。
・和加さんの家族は、琴南町で遺体が発見された3月17日(月)も夜遅くまで捜索を継続していたが、行方はわからなかった。
・3月18日、朝刊に琴南山中での死体遺棄の記事が掲載された。
記事を見た和加さんの両親は、その遺体が和加さんではないかと直感し、すぐに琴平署に出向いて、和加さんの失踪状況などを説明した。
和加さんの自室にあったCDから採取した指紋と遺体のそれを照合した結果、遺体が和加さんであることが裏付けられた。
(ネット上には「(琴南町山林内で発見された遺体は)警察へ出ていた届出から15日にバイト先から帰宅しなかった詫間町松崎在住の観音寺一高の真鍋和加さん(16)と判明した」との記述が散見される。この記述から推し量ると、両親が和加さんの行方不明を警察に届け出ていたのは遺体発見前ということになるかと思うが、当方が参照した未解決事件本---桐島卓氏によるレポートでおそらくこれがネットに散見される当該事件についてのほぼ全ての記述のネタ元だろうと勝手に思っているのですが---によると、両親は琴南町での遺体発見の記事を見た後でその遺体が和加さんではないかと直感し、警察に和加さんが行方不明であることの説明に出向いた、となっている。)
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■ 警察による捜査と判明した事実など
・琴平署の捜査本部は、バイト同僚による目撃証言や、当夜は小雨が降っていたにもかかわらず和加さんが家に迎えの車を頼んでいない点を重視し、彼女がローソン前の交差点で誰かと待ち合わせをし、その人物の車に乗り込んで事件に巻き込まれた可能性が高いと判断。
和加さんの交友関係の洗い出しや、行方不明当日の午後10時前後の不審車両や目撃者の発見に全力を挙げるとともに、バイト先と死体遺棄現場とを結ぶ国道や県道での聞き込みや遺留品の発見につとめた。
・その結果、3月21日になって、詫間町に近接した高瀬町の「朝日山森林公園」内の道路わき植え込みに女物の黒い靴(左片方のみ、サイズ24cm)が落ちているのを、現場を捜索していた捜査員が発見した。
和加さんが最後に目撃された地点(ローソン前)と、靴が発見された地点(朝日山森林公園内道路わき植え込み)は、直線距離にして約8km離れている。
車だと走行距離約12km、所要時間は20分前後。
(朝日山森林公園は、高瀬町の朝日山〈標高238m〉山頂一帯に広がる公園で、ソメイヨシノを中心にした桜の名所として有名なところ。展望台からの眺めも素晴らしく、晴れた日には遠く瀬戸大橋が一望できる。夜にはドライブを楽しむカップルや単車で乗り付ける若者も多いという。)
(靴が発見された朝日山森林公園は標高238mの小高い山の頂上付近に位置している)
(桐島卓氏のレポートより、靴発見現場の写真。取材時はすでに伐採されていたものの、事件当時この道わきの部分は植え込みだったとのこと)
(靴発見現場を2012年7月撮影のストリートビューより)
(朝日山森林公園は桜の名所とのことで、参考までに。水色の丸あたりが当時植え込みとなっており、そこから左片方の靴が発見された)
・発見された靴は、遺族の確認と警察犬による匂い鑑定の結果、和加さんの靴であると判明した。
・行方不明になった日(3月15日、バイト最終日)の勤務中に和加さんのポケットベルが数回鳴ったとの証言がある。
・和加さんの遺留品としては、
遺体発見時に身に着けていた上の長袖白Tシャツ、
片方の足に履いていた白の靴下、
朝日山森林公園で発見された黒の靴(左片方のみ)があるが、
それ以外の衣服や靴、腕時計、ポケットベルなどは未発見のまま。
・犯人のものとみられる指紋やDNA(体液~皮膚片)、足跡、タイヤ痕などが採取されたのかどうかについては、なんら情報は出ていない。
・犯人が山林内にある廃道わきの遺棄現場までどうやって和加さん(身長不明、体重50kg弱)の遺体を運んだのか、
遺棄現場近くの山道に車を止め、そこから遺体を抱えるなり、何かに乗せる~ひきずるなどして廃道を歩き、遺棄現場までたどり着いたのか、
あるいは(非常に細く車で入るのは困難とされる)廃道内に車で乗り入れ遺棄現場の真横に車をつけたのか、そのあたりについての警察の見解は明らかにされていない。
・和加さんにそれまで無断外泊などはなく、その日のバイト後に誰かと会う約束があるという話もしておらず、また小雨が降っていたにもかかわらず自宅に迎えの車を要請する電話もかけておらず、
「3月のまだ肌寒い時期に、和加は薄い綿シャツ(Tシャツ、長袖)1枚で(バイトに)出掛けています。トレーナーでもなく、コートも着ていません。それに電話代の小銭を除けば、財布も持ってはいません。そんな状態で、夜(バイト後に)どこかに出掛ける予定で行くわけは、まず無いと思うんです」。(再掲。和加さんがバイトに出かけた時の様子から推し量った、母親による見解)
・「2箇所の現場を見る限り、この犯行はとてもよその土地の人間に実行できたとは思えません。とくに琴南町の焼尾のほうは、詫間の人間でも知っている人はほとんどいないような場所です。よほど地元・琴南町の地理に精通していないと、あんなところに死体を捨てようなどとは思いつかないでしょう」。(遺棄現場から推し量っての、父親の見解)
・「事件直後は、やはり和加が可愛いものだから、花やジュースを持って、琴南の遺棄現場に何度も何度も足を運んだんです。いまでこそ山道も舗装されて道幅も広くなりましたが、当時は細いうえに未舗装でした。それと近辺に二つも三つもゴルフ場ができて、ネットを張るものだから、野犬がしめ出されて、遺棄現場のあたりに集まっていました。車を運転していると、何匹もの野犬がドーンとボンネットの上に飛びかかってくるんです。それはもう恐ろしくて、窓も開けられません。その時フッと思ったんです。犯人はもしかしたら完全犯罪を狙ったんじゃないかと。発見がもう2、3日遅かったら、娘の遺体は野犬に食い千切られて、跡形もなかったはずです」。(父親の見解)
・「私には本当に朝日山森林公園が犯行現場だったかどうかも疑問なんです。だっておかしいでしょう。
片方の靴だけが発見されて、あとの遺留品は何も出てこないなんて。捜査を攪乱させるためにわざと(朝日山森林公園に靴を)置いたんじゃないかと、そう思えて仕方がないんです」。(父親の見解)
・琴平署に設置された捜査本部はその後、社会的影響の大きい重大~凶悪事件などで設置される「特別捜査本部」に切り替えられ捜査が継続されるも、現在に至るまで事件は未解決のまま。
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事件にまつわる情報はおおむね以上かと。
結局、その日が和加さんがバイト最終日だということを知っていた(和加さんに近しい)人物が、
何らかの口実で---例えば「今日が最終日だね、お疲れ様でした。夜も遅いし、よければ送っていくよ」みたいな口実で---和加さんを車に乗せ、
そこからさらに別の口実を設けて夜の朝日山森林公園まで付き合わせ、そこで豹変、
駐車場そばの道路わき植え込みに落ちていたという左片方の靴は
犯行現場をごまかすための偽装等ではなく、
そこで和加さんを襲撃した際に左片方の靴が脱げて植え込み内に落ちた、
場合によってはそこ(植え込み横の駐車場)が殺害現場であり
犯人が慌てて遺体を車に乗せ脱兎のごとく走り去った現場だったのでは?・・・などと妄想したりするのですが、
他の見方ももちろんあると思います。
事件に関心をお持ちの方はそれぞれに考えてみていただければと。
自分的に最後に触れてみたいのは、遺体遺棄現場の「位置」についてでして・・・
その位置が
「旧琴南町のサンライズヒルズカントリークラブ東側に隣接する山林内の廃道わき斜面」
ということまではわかっているものの(2001年10月に出版された桐島氏のレポート情報)、
さらなる具体的な位置を特定するための情報が、どこにも出てない状況かなと。
そこで自分的な試みとして、
■ 遺体遺棄現場の位置を、もう少し詳しめに特定してみる
(以下、推測になります)
まずは桐島氏のレポートから、
遺体遺棄現場特定の手掛かりとなるような、数少ない記述の一つを抜き出してみると、
「死体遺棄現場はこのゴルフ場の東側の斜面に隣接している。事件当時は忙しく捜索する捜査員たちの姿が、プレイヤーたちからもはっきりと見えたという。」(原文ママ)
加えてレポートには次の画像が掲載されていると。
ここまでで、遺棄現場がおおむね下のグーグルマップの画像の水色枠内のどこかだろう、
という見当はつくと思うわけです。
水色枠の一帯を拡大してみると、
また、桐島氏のレポートには次の記述があり、
「車から降りて、山道とはほぼ平行、1本裏の通りという感じで廃道に踏み入った。奥へ進むと狭さを実感する。山道とは反対側の右手にフェンスが続く。高さは1.2メートルぐらい。中間あたりまで進むとフェンスの切れ目があった。そこから斜面下を覗き込む。思ったよりなだらかで、あたりには雑木が生い茂っている。
『死体はここらへんにあったそうですよ』
斜面に下りて、同行者が1本の木を指し示してくれた。和加さんの死体はちょうど脇腹のあたりが木の幹にあって、くの字になってひっかかっていたという。その廃道を前進するともう一方の廃道にぶつかる。この廃道はゴルフ場に接しており、フェンス越しにグリーンが見下ろせる。2本の廃道は山道のカーブ地点に接して、ちょうど90度をなすかたちでL字状に伸びている。明らかに車で入るのはムリである。唯一、バックで入った可能性はあるが、奥まるほど狭くなるので、普通のドライバーならそんな無茶はしない。廃道の入り口で停めて、何らかの方法で和加さんの死体を遺棄地点まで運んだのではないか。」(原文ママ)
水色下線部、
「(フェンス越しにグリーンが見下ろせる)もう一方の廃道」
からゴルフ場側を見下ろした風景として、
次の画像(2001年撮影)が掲載されていると。
この画像の風景で特徴的なのは、
1. 画像向かって右隅、狭い範囲にバンカーが三つ
2. 同じく画像の左隅に細長い(でもないか)バンカーが一つ
まずはこのあたりかと。
(画像手前をよく見ると人が数人歩いているのも見える)
そこで、
「この風景は、先に掲載した”画像A”の水色の枠内のどの地点からゴルフ場を見下ろしたものなのか?」
ということを考えてみるわけですが、
とりあえず画像Aの鉄塔より上の部分を拡大してみると、
こうなるわけですが、
しかしこの画像の中には、先の1の「狭い範囲にバンカーが三つ」という風景が見られず、
「バンカーB」と「バンカー跡(らしきもの)」を足しても
「狭い範囲にバンカーが二つ」
という状況であると。
(先の2の「細長いバンカー」は「バンカーC」であると仮定)
これは一体どうなっているのか、
もしかするとバンカーの形状などに変更があったのだろうか?・・・
そう思い、同じ場所の1996年4月(事件の約1年前)と、
1997年5月(事件の約2か月後)に撮影された画像を見てみると、
こうなっており、両画像ともに、水色の矢印の先、
「狭い範囲にバンカーが三つ」
という状況が見られると。
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ここであらためて、桐島氏のレポートにある次の描写、
「その(遺体遺棄現場わきの)廃道を前進するともう一方の廃道にぶつかる。この廃道はゴルフ場に接しており、フェンス越しにグリーンが見下ろせる。2本の廃道は山道のカーブ地点に接して、ちょうど90度をなすかたちでL字状に伸びている。」(原文ママ)
水色下線部、「もう一方の廃道」からゴルフ場を撮影した画像を再度掲載してみると、
(画像中の番号は当方による。また、画像の中央あたりを左右に横切っている森はやや低い位置にあると思われ、実際の森の奥行よりも狭く---細く---写っているものと想像)
こうなるわけですが、おそらくこの画像の風景は、
下の空撮画像で言えばピンクの〇の位置あたりに立ち、
同画像中の6番の方角に向けてシャッターを切ったものではないか、そしてこのピンクの〇あたりが、
桐島氏の言う「(ゴルフ場に接した)もう一方の廃道」上にあたるのではないか、
という風に想像するわけです。
(先に掲載した1996年4月25日に空撮された画像の一部を拡大したもの)
現在はこのゴルフ場も、樹木の数や森の面積、
バンカーの形状などが、事件当時や桐島氏の取材時からは変わってきているようですが、
同じ場所(と推定される場所)を、あえて現在のグーグル3D画像で見てみると、
おそらく、こういうことになるのではないかと。
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さてゴルフ場を撮影した「もう一方の廃道」がピンク〇の位置だとして、
そこにつながっているという「(遺体遺棄現場わきの)廃道」とはどこなのか、
この点、桐島氏の記述を再び引用すると、
「その(遺体遺棄現場わきの)廃道を前進するともう一方の廃道(ピンク〇の廃道)にぶつかる。この廃道はゴルフ場に接しており、フェンス越しにグリーンが見下ろせる。2本の廃道は山道のカーブ地点に接して、ちょうど90度をなすかたちでL字状に伸びている。」(原文ママ。()内は当方による補足)
とのことで(わかりにくいのですが)、
上の条件に当てはまる道とは、次の画像中の、赤矢印で示した道ではないか、
という風に思えるわけです。
矢印の先あたりを拡大してみると、
これはグーグルの地図にさえ載っていない細道(まさに廃道?)らしく、
マピオンの地図でようやく見つけることができました。
地図を見る限り、道の形状は必ずしも「L字」とは言えず、
またこれは「2本の廃道」というよりは「1本の廃道」のようであり、
おそらくその1本の廃道が、ある地点で直角に折れていて、
その直角に折れた地点であたかも別々の廃道が交わりL字を形成しているように見える・・・
ということではないかと想像しますが、確かなことは不明です。
ともあれ、どのみち想像なので些細なことは気にしないとして、
「画像中の赤矢印で示した道が、遺体遺棄現場わきの道である」
との前提で話を進めてみると、次の問題は、
「赤矢印で示した道わきの、どの地点が遺体遺棄現場なのか?」
ということになるのですが、
この点、桐島氏による次の記述がヒントになるかと。
「(国道438号線を徳島県境に向かって南下し、途中、琴平警察署美合駐在所のところを左折して県道39号線に入り)車はくねくねと山道を登り、いくつかの脇道を左折して、尾根伝いにさらに上へと向かっていく。(美合)駐在所から時間にして15分くらい行ったところで、同行の人が声をあげた。
『あ、ここで停めてください。確かここの右側が現場のはずです』
(中略)
車から降りて、山道とはほぼ平行、1本裏の通りという感じで廃道に踏み入った。奥へ進むと狭さを実感する。山道とは反対側の右手にフェンスが続く。(フェンスの)高さは1.2メートルぐらい。中間あたりまで進むとフェンスの切れ目があった。そこから斜面下を覗き込む。思ったよりなだらかで、あたりには雑木が生い茂っている。
『死体はここらへんにあったそうですよ』
斜面に下りて、同行者が1本の木を指し示してくれた。和加さんの死体はちょうど脇腹のあたりが木の幹にあって、くの字になってひっかかっていたという。
その廃道を前進するともう一方の廃道にぶつかる。この廃道はゴルフ場に接しており、フェンス越しにグリーンが見下ろせる。2本の廃道は山道のカーブ地点に接して、ちょうど90度をなすかたちでL字状に伸びている。明らかに車で入るのはムリである。唯一、バックで入った可能性はあるが、奥まるほど狭くなるので、普通のドライバーならそんな無茶はしない。廃道の入り口で停めて、何らかの方法で和加さんの死体を遺棄地点まで運んだのではないか。」(原文ママ。()部分は当方による補足)
上の記述を整理してみると、
・桐島氏らは美合駐在所の方面から県道39号線に入り、途中いくつかのわき道を左折しながら、尾根伝いの山道を車でのぼって行った。
・桐島氏らは山道のわきにある、とある廃道の入り口で車を止め、徒歩でその廃道に踏み入った。
・桐島氏らが徒歩で踏み入ったこの廃道の(桐島氏らの進行方向)右側に遺体遺棄現場がある。
・桐島氏らが徒歩で踏み入ったこの廃道の(桐島氏らの進行方向)右側に、高さ1.2mほどのフェンスが続いている。
・桐島氏らが徒歩で踏み入ったこの廃道の(桐島氏らの進行方向)右側というのは、桐島氏らが車で上ってきた山道とは反対側にあたる。
・桐島氏らが徒歩で踏み入ったこの廃道を中ほどまで進むと、フェンスの切れ目がある。
・そのフェンスの切れ目から斜面下をのぞくと雑木が生い茂り、その中に、和加さんの遺体がひっかかっていた一本の木がある。
・その廃道をさらに前進すると、フェンス越しにグリーンを見下ろせる(ゴルフ場に接した)もう一方の廃道にぶつかる。
・2本の廃道は山道のカーブ地点に接して、ちょうど90度をなすかたちでL字状に伸びている。
こういう感じかと。
全く整理になっておりませんね。
言葉ではわかりにくいので、あえてビジュアル化してみると・・・
あくまで想像
こういう感じではないかと。
桐島氏らは、画像中の「山道」とある部分を下から---美合駐在所の方面から---車で上ってきて、
おそらく緑〇のところ「廃道入口B」に停車し、
そこで車を降りて、徒歩で廃道に踏み入ったと。
この時、停車している車のノーズは(当然ながら)画像の上側を向いている状態で、
この廃道に車で入り込むには、ものすごい鋭角ターンでノーズを廃道に向ける必要があり、かなり難しいと。
それ故、桐島氏としては、
「明らかに車で入るのはムリである。唯一、バックで入った可能性はあるが」(原文ママ)
という感想になったのかなと。
そして、その廃道には、桐島氏らの進行方向右側に高さ1.2mくらいのフェンスが続いており(画像中、フェンスは黄色の線で表示。あくまで想像図)、
「桐島氏らの進行方向右側」というのはつまり「桐島氏らが車で上ってきた山道とは反対側」にあたるので、桐島氏としては、
「山道とは反対側の右手にフェンスが続く」(原文ママ)
という表現になったのかなと。
(遺体遺棄現場のある廃道の写真。あまりよくわからないが、想像で補足させていただいた)
そして、その廃道の中間あたりまで進むとフェンスの切れ目があり、
その切れ目から覗いた斜面が遺体遺棄現場だ、とのことで、
それは、先の画像的には赤〇の位置あたりではないか、
と想像するわけですが、どうでしょうか。
(1枚目がフェンスの切れ目から斜面を覗いた写真。2枚目が遺体が引っかかっていたという木で、水色矢印のところ、人が指さしているのが確認できる)
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とりあえず現在のグーグル衛星画像でも
(想像上の)遺体遺棄現場の位置を示してみるとすると、
おそらく次のようではないかと。
先に一度掲載した画像の使いまわしなので、
バンカーBとかバンカー跡とかバンカーCとかいう部分は無視してください。
白のラインが廃道、
黄色のラインがフェンス、
フェンスの切れ目にある赤〇のあたりが遺体遺棄現場かなと。
鉄塔の左横に見えている小道(廃道)の入り口、
この部分はご覧のようにグーグルの衛星画像でも微妙に確認できるので、
あえて白のラインで塗りつぶすことはしていません。(目視いただくため)
それ以外の白のラインの部分は、草木に覆われているためか、
グーグルの衛星画像ではそこに道は確認できないのですが、
90年代の古い空撮画像やマピオンの地図によればそのあたりに道(廃道)があるはずだ・・・
という推測のもとに白のラインを引いています。
いずれにしても想像であり、確かなものではありません。
地元その他で遺体遺棄現場の位置を正確にご存知の方々からは
「そこじゃないよ」
という突っ込みを入れられてしまうかもしれませんが、
その場合はご容赦いただければと。
長くなってしまいましたが、
この事件については
ここで一区切りとしたいと思います。





























