わたしの母はキムタクが好きだ。


そして、母の最大のコンプレックスは乳房の大きさによるものだ。



きっかけは、母の兄とわたしの父からいわれた


「胸小さいね」という言葉だったという。


お風呂が大好きなのに、自分の胸を恥じて温泉に行くの嫌がる。


体のラインが出るような服も、少し控えていたようにも今思えば感じる。


いちばんよくあったのは、テレビでのタレントさんや芸人、俳優の「巨乳が好き」という発言に対するものだ。

なんといえばいいのだろう。

言葉では表現できないが、彼女がその発言が流れるたびに傷ついているのを感じていた。


わたしは思う。


巨乳が好きなのは、その巨乳な女の子に、直接伝えればダメなのか。

わざわざ公共の電波に流していう必要があるのか


乳がんなとで、乳房を切除した人や、何かしらの

乳房にコンプレックスを抱えているひと。

自分自身の体を性的に消費されたくない人


の痛みを感じることはできないのか。


乳房だけにかぎらない。


顔や、身長、スタイルの良さ。


学生時代、なになにちゃんってかわいいよねと男子が身内で話しているのが聞こえてしまった時、

わたしはとても辛かった。


べつにその発言していた男子が好きだったわけではない。


ただ、かわいいというのは、かわいくない子がいるということだ。


自分がその話題には決して名前があがらないのだと、日々を過ごす中で身にしみる。


それは、とてもつらかったし、自分の顔が嫌になったし、自信を失った。



かわいいのは、その子に直接、そのこと二人きりの時に愛を持って伝えればいいじゃないか。


わざわざ人が聞きたくなくても、聞こえてしまうような空間で、言わなくたって。


いいじゃないか。


すこしは、それに該当しない人の痛みに寄り添ってくれたっていいじゃないか。




いつもいつも滝のように流れる巨乳好き発言を聞きながら、そう思っている。



そのひとが、そのひとらしく、ありのままの自分を愛して自由に生きれるのを阻害する発言が

今のこの社会は、平然と当たり前のように流れる




北欧などでは、外見や生まれ育ちなど本人には変えられないことについて話すことをよしとしないらしい。それは、仮にいい場合であってもだ。

美人だと思ったからといって、相手に美人ですねとは言わないのだ。そもそも外見の話はするべきではないという共通認識があるらしい。

そのかわり、今までどんなことを経験して、どんなことを感じ、何を学んできたか、そういった内面的な部分にスポットをあてることがいいとされているようだ。



わたしは、日本ももっともっと精神的に豊かになってほしい。

受精した瞬間に遺伝子で決まってしまうような内容ではなく、その人の生きてきた軌跡を互いに尊重し合えるような社会になってほしい。



最後にはなってしまうが、


母の大好きなキムタクが、ラジオで

「巨乳が好き」と発言したことをわたしは許さない。ファンの中には、乳房について痛みを抱えている人もいるという想像力が働かないような人間は嫌いだ。


アンチで結構。


わたしの母を傷つけるキムタクが


大嫌いだ。