前回の続きです。

私が聞きに行った講演の表題は「その後の物集女氏」でした。

戦国時代、「西の岡国人」(在地領主)だった物集女氏は、織田信長の入京とともに新たにこの地の支配者になった細川藤孝(幽斎)に恭順の意を示さなかったとして、1575年10月に当主の物集女宗入が殺され、滅んだとされています。

しかし、その後も物集女姓の人たちが史料に出てくるため、物集女一族は滅亡したわけではなく、近現代に至るまで「親戚」としての一体感を保ちながら各地で活動したのではないか、と演者の中西先生は言っておられました。

 

先生が各地の図書館などで探索した古地図、特に城下町の古地図に「物集女新右衛門」「物集女平八」など物集女姓の武士の屋敷地の記載がみられるということです。それらは、肥前唐津藩、信州松本藩、大和柳生藩、尾張清洲藩、遠江横須賀藩など広範囲にわたっていて、それぞれの藩で「物集女家の末裔」といえば、昔からの武家として一目置かれ、藩士として禄をもらっていたのでしょう。

そして地元・物集女では、物集女城址が荒れ果てたり、潰されたりはせず、今まで保存されてきたのですから、今回「国史跡」に指定されるのは、そういった「その後の歴史」も踏まえてのものだと思います。

 

 

そして今回の講演会でも紹介されましたが、9月28日(土)に向日市民会館(永守重信市民会館ホール)で「物集女純子ヴァイオリンリサイタル」が開かれるそうです。

 

 

物集女純子さんは、若い頃ニューヨークのジュリアード音楽院に留学し、レナード・バーンスタインらの薫陶を受けたという実力者で、今は演奏活動のほか音大の先生として後進の指導にもあたっておられるようです。

 

「物集女宗入没後450年」記念に子孫のヴァイオリンコンサートが開かれるというのは、戦国時代に生きるか死ぬかという日々を送った先祖さんからみると、本当に心休まる安心感に包まれた喜ばしいひとときではないのかな、と思います。

 

物集女については、まだ書きたいことがありますが、次回に回します。