先週からは、三ヶ月と言う短期で立ち上がる現場があり、その現場研修を一週間かけてオレ自身が受けた後、翌週にはオレが新人教育を行うと言う、無茶苦茶なスケジュールでのミッションに立ち向かうことになりました。はてさて、どうなることやら・・・


そんなこんなで、MadGyazは今日も逝く




初めての退職を経験した時、もうひとつ感じていたのは、学生時代にバイトをしておくべきだったと言うことです。バイトの経験があれば、「働く」ことに対して、色々な学びがあったでしょう。当時も完全なシングル状態でしたが、「結婚して、子供ができたら、バイトを勧めよう!」と言ったバカなことも考えていました。


オレの中には「働く」と言うことに対して、強い「恐れ」を持ってしまっていました。「しばらくは、逃げられる限り、<仕事>から逃れたい」と切望していたのです。それが予備校への逃避行でした。ですが、元々、勉学にいそしむことがなかったオレには、予備校での授業はチンプンカンプンでした。


唯一の楽しみは、学食で昼メシを食うことぐらいでした。オレが通っていた高校には学食がなかったので、予備校で初めて学食体験をしたわけです。中でも、料金が安いのに、丼一杯の具沢山味噌汁がお気に入りでした。具にナスビが使われているのが特徴でしたが、家ではナスビの味噌汁は出たことがなかったので、「なんでこんなうまいんや!」と思いつつ授業が始まるまでのつかの間の至福に浸っていました。授業内容が理解出来なかったオレが大学にうかるわけはなく、この時期のオレは完全な「親のすねかじり」でしたので、当時の親は、さぞ期待を裏切られた気分だったことでしょう。


だけど欲しいモノはあったり、プロの唄々いを目指すと言う夢は相変わらず胸の奥に潜ませていたままのオレは、東京へ向かうためにバイトを始めることにしました。二十歳(はたち)になる一ヶ月程前のことです。


それまで、親から毎月五千円の小遣いをもらっていましたが、バイトをすると、一日で五千円が稼げてしまうことに強い驚きを感じました。小遣い一年分を、半月で稼ぎ出せるわけですから、「仕事ってスゲー!」と言うアホンダラー丸出しの感動を原動力に、バリバリ働き始めました。


当時は、週休制の時代ですから、月曜~土曜まで働いて、日曜は休みでした。残業がある日もあったので、月収は十五万円前後あったかと思います。

気分は大金持ちでした。


日々、働くことにビビりまくっていたオレですが、半年の契約期間を迎えようとした時に「更新をしてくれないか」と言う依頼を受けました。特に目立った功績を残したわけではありませんでしたが、特に休んだりすることもなく出勤していたので、会社的には新人を雇って一人前になるまでの時間を考慮すると、既存メンバーを更新させる方がお得と考えていたのかも知れません。まぁ、当時のオレにはそんな考えには及びませんでしたが、何か「自分の存在が認められた」ことに、ひとつの安心や安堵感を感じました。そして、もう数ヶ月契約を延期することにしました。


その後、オレはフリーターとして数多くの職場を経験しました。ひとつの会社の中でも、異なる支店で働く職場もあったので、トータルでは30箇所以上で働いて来たのではないかと思いますが、最初のバイト先は、その中でも最王手でした。


今思っても、言動のひとつひとつや、会社としての取り組みが一流だったなと思い起こされます。そんな会社で働くことの再スタートを切れたのは、オレにとってとてもラッキなーことでした。まぁ、その後の勤め先は超有名企業であっても、中身は(今で言う)「ブラック企業」だったところもあります。


こう言った経験は、後々、オレ自身が職場で新人教育担当者になった時に役立ちました。最初にどう言ったことを伝えておかないと、誤解を招くことになるのか? 「分からないことがあったら、なんでも聞いてね」と言っておくだけでは、決して「わかっていない人」は質問しに来ないことなど・・・過去の自分の体験が、「何かを伝えるには何が必要なのか?」を教えてくれました。


もちろんその方法はひとつだけではなく、Aパターンを試してダメならBパターンを試し、それでもダメならCパターンを・・・と言う、伝える側にもそれ相応の「動き」が必要であることに相違はありません。そして、「伝える」と言うことに、最初に取りかかっていたのは「音楽」でした。


オレは、二十二歳になった年の八月に関西から東京に移り住みましたが、その後、間もなくしてノドをひどく痛めました。最初の内は、話すこともままならないほどでした。音楽の道を目指すために東京に出て来たのに、出て来た途端に唄えない体になってしまった・・・まさに絶望でした。


「なんのために、ここまで突き進んで来たんだ・・・!?」


生きて行く意味を見失い、これからどうすれば良いのかわからなくなっていました。


その答えが、二十年近く経ってはいましたが、職場での新人教育を通して見えた気がしました。「すべてムダではなかったんだ!」「あの時、働くことに怯える体験をし、あの時、絶望するほど落ち込む体験をしたからこそ、そう言った点に気づいてあげた上で、伝えられる何かがオレにはあるはずだ!」と、過去の失敗が、今の自分の行動の根拠になって行ったのです。


中学生の時立ち読みした、ある本の中に、向いている職業として「教育者」がありましたが、勉強も出来ないオレにはあり得んな」と思っていましたが、落ちこぼれだからこそ出来る伝授法もあるのだと、その時理解しました。