あくまでこれは私の覚書なので、読む方いないと思うんですが…二度と忘れたくないことなんで、記憶にあるうちに書きますね。
なんの話を書くかと言うと、母の容態が急変してお葬式が終わるまでの話です。
1年前の今日。2017年。
母がこの世を去るまでの話。
明るく元気だった。よく笑う母が突然いなくなりました。
2017年12月13日 夜21時頃。
当時私は、実家から車で30分ほどの店舗で働いており、その近くで一人暮らしをしていました。
次の日が丁度休みと定休日で仕事終わりに実家に帰ろうかなぁと悩んでいましたが、仕事が遅くなってしまったので明日午前中に帰ろうと思い、友達とだらだら電話をしながらテレビを見ていました。
1時間くらいしてから父から電話が入ってるのを見て、友達との電話を切って父に電話をしました。
どうやら母が体調崩して寝込んでいるとのことでした。明日父は仕事なので一緒にいてやってくれ。とのことでした。母が寝込むなんて珍しいし、丁度帰るつもりだったからいいよ。と電話を切って、また友人と少し話をして過ごしていました。その一時間後、また父から連絡が入りました。
「母さんが危ないからすぐこい」
言っている意味がよく分かりませんでした。
熱出て寝込んでいるだけでしょ?
ふわふわした気持ちのまま病院へ駆け込む。まるでドラマのワンシーンを演じているようでした。
母がいました。
一体何が起きてるのかなんて想像もしたくありませんでした。
母の顔はパンパンに膨らみ、私の顔を見て涙を流していました。私も涙が止まりませんでした。
その後の先生の話は…正直頭に入れたくもなかったです。脳梗塞。脳の1番大事な血管が破裂してる。母の意識はもう戻らない。
その瞬間、妹は倒れました。
どんな時でも冷静にものを考える妹が倒れたんです。
異常事態。
どうしてだ。祖母の介護、祖父の介護を何年も続けてきた母がどうしてこんな目に遭わなければならないの?むしろ、これから楽しいことが沢山あるはずなのに。父と楽しく過ごすはずなのに。今年も伊勢神宮に行ってきたじゃないか。来年は出雲大社に行くんでしょ?本当に神様を呪いました。
父と母はお見合い結婚ですが、本当に仲のいい夫婦です。昨年、父が定年になって初めて2人で伊勢に行ったんです。写真はあまりないけれど、楽しかったとしきりに話していたんです。
そんな母は病室に運ばれた母は…もう意識はなく。ただ眠っているだけでした。話すことも出来ません。
病室にいた全員が。きっと状況なんて分かりたくもなかったし、横たわってるのは人形で、母は違うとこにいるのでは?とさえ思っていました。
ただ、手を握ればいつも通りの母の手で…近づけば大好きな母なんです。
そして、そんな母を見つめる父は…いつも大きいと思っていた父が小さく見えました。
毎日、1回はなんで?と呟いていたと思います。
いや、何回呟いたか覚えられないくらいです。
父がとにかく心配でした。きっと娘の私には分かりえない感情だと思い、深く聞くことは出来ませんでしたが…。
私と妹は一旦家に帰りましたが、正直二人とも眠れていません。とりあえず1人で寝るのが嫌で2人一緒にコタツで寝てました。
2017年12月14日
長い1日で。落ち着かない1日でした。
この日は脳に水がたまるので、脳圧を下げる手術を受けました。脳圧を下げることでどうなるかは未知数でした。
手術終わりの母は、腫れが引いていつもの母の顔に戻っていました。少し安心。
この時点では余命は分かりませんでした。
この時に父と今後の話を少しずつ進めているところでした。
落ち着いたということで、妹と気晴らしに近所のショッピングセンターに買い物へ。
そんな時に、父からすぐ戻れと連絡。
2人でバタバタ戻ると…
先生から診断が下りました。
「脳死です。脳幹が機能していません。」
一瞬理解が出来ず、ただ震えることしか出来ませんでした…母は、ただ息をしているだけなんだ。
話すことも笑うことも一生ない。
説明を聞き終わったあとはもうただただ、涙が止まりませんでした。体の力が一気に抜けて立っていられなかった。おそらく、人生で1番泣いた日。
いとこにかかえられてとにかく泣いた。
母のお母さん。おばあちゃんの顔を見ることが出来ませんでした。父のことを考えると吐きそうでした。
なんでなんだ。母さんがなんでこんな仕打ちを受けなきゃいけないんだ!!母さんがなんか悪いことしたのかよ!!そう思わなければやっていられませんでした。
その日の夜は、父を休ませたくて私が病院に泊まりました。病院に泊まるのは初めてで怖いかと思ったのですが、不思議と怖くはなかったです。
たまに看護婦さんも来るし、何より気がつけば母が息をしている事が嬉しいと感じていたからかも知れません。
そうそう、この2日間は色んな人が来てくれたんです。母が20代の頃から務めている会社の社長さん、母のお友達。その度に、母の心拍は上がっていました。きっと嬉しかったんだろうな。
皆がワイワイ集まってくれるのが。
面白かったのが、私といとこ(北斗担)が2人で現場トークをしている時も心拍上がってたのがツボでした。突っ込むために起き上がってほしいって思ったぐらいでした笑 きっと呆れていただろう笑
12月15日
もう二度と目を覚ますことのない母。
もう休んだら?と思ってしまう自分と、いや、奇跡が起きて目を覚ますかもしれないと思う自分の葛藤でした。
日に日に足が紫になっていく母がいて…もう覚悟しないといけないのかなと思い始めていました。
なんでこんなことになった??
一体この3日間で何回繰り返したんだろう。
家族3人含めて、親族全員そう思っていただろう。
実は、こうなる1か月前に、祖父の1周忌で全員集まっていた。
「次はおじいちゃん三回忌だね」
まさかこんな直近でしかも予想しなかったことで親族が集まっているなんで誰も思わなかっただろう。
お昼になってから、看護師さんから母の呼吸が浅くなっていると言われた。
ここで、担当医から提案が。
延命の話です。
もしもの時、人工呼吸器を付けて母を生かすかどうか。
悩みましたが、そこまでして母は生きたいだろうか。管に繋がれて生きたいだろうか。
出した結論は NO でした。
自然に逝かせてあげよう。
15時ぐらいにはおしっこが出なくなりました。
朝から心拍も薄くなり、ずっと心拍を見る機械の音がなっていたのですが…なる回数も多くなってきました。
そんな母でも皆が話しかければ心拍数も上がりました。
17時45分
皆が帰って家族3人になった時、その時は急に来ました。
もう終わりが見えているかもしれない。
看護師さんの意見も聞き、皆に戻ってきて貰いました。
親族が見守る中。
母は静かに旅立ちました。
苦しむことなく静かに。
皆が戻ってくるまで、母は待っていたんだと思います。
「ご臨終です」
ドラマのような告知があり…
一生分泣きました。
もうこれで泣くのは最後にしようと思いながら。
父が無言で抱きしめてくれました。
この世で1番愛してる人が自分より先にいく。辛くて苦しくて泣きたいのは絶対に父だったはずなのに。
そこからはとにかく。父の代わりになろう。
やれることはやってあげよう。
それしか思っていませんでした。
お寺の連絡。お葬式の手配。
喪主挨拶もやりました笑(さすが元放送部)
母を家に帰す準備をして、家に帰ると泣き腫らした叔母(お父さんのお姉ちゃん)がいました。
名古屋に住んでいて、たまに遊びに来てくれる大好きな叔母です。
母と叔母は仲が良かったです。
こんな関係理想だなぁといつもおもっていたぐらい。
普段は4人暮らしだった我が家に、人が沢山いました。
葬式屋さん…実は母の知り合いの方で、1年前のおじいちゃんの時も大変お世話になった方。
お互い顔を顔を合わせた瞬間何秒か無言でした笑
そりゃあそうでしょうね…。
葬式屋さんって何回もお世話になる人じゃないし…。
ご住職。
おじいちゃんの一周忌までは、毎週のごとく母に会っていた方で、電話した時も「え?誰が?」を何回か確認されました(;´∀`)
こちらも想定内。
母を知る人に会ってみて思ったのが、母はとても愛されてました。いや、今も愛されてます。
母さんが帰ってくる時、近所が物々しい雰囲気になり、近所の人が沢山お参りに来てくれました。
そこからは実は忙しくてあまり記憶がないんです笑
ただ、不思議なことが。
みいにも顔を見せたくて、みいをそっと母さんの枕元に置いたんです。
しばらく母さんの横に付き添っていました。
状況…分かってた?
みいは、母に1番懐いていました。
彼女なりに、何となく分かってたかもしれませんね。
やっぱり火葬場はきつかったな…。
最後の着火ボタンは親族が押すんですけど、父親に押し付けられそうになったから3人で押しました。
骨になった母を最初に見たのは父でしたが、あの時の父の顔。一生わすれられないと思う。
とにかく虚しくて、しばらく頭から離れなかったのは事実。
あれから1年です。
今でも実感はないし。
皆がお母さんとあれしたこれしたの話は正直羨ましい。
後悔ばっかり。
ここまで読んでる人居ないと思うけど、皆さんお父さんお母さんほんとに大事にしてください。
いなくなってからではなんにもしてあげられませんから。
後悔ばっかりもしていられないから、母さんが生きられなかった分。生きます。