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夫はフランス人、膵臓癌になりました (ワイン畑の中の3人家族)

フランスで出会い、嫁ぎ、娘が生まれて7か月、夫が膵臓癌になり、2020年4月に旅立ちました。闘病の記録として始めましたが、その後の日々の生活や想いも綴っていこうと思います。

9日々があっという間に過ぎました。

ワイナリーの仕事は朝7時からだったのが先々週から更に早まり朝6時からになりました。
日差しが強いので仕事的には涼しい朝に始めて昼早く切り上げるのは体に優しいです。

ただ1歳になったMを朝5時半から義理両親に預け続けるか、nounou(ベビーシッター)にお願いするか、悩んでます。

ブドウ畑はかつてないスピードの成長らしいです。3週間程。

先週からはÀccolage アコラージュというぐんぐん伸びてきたツル(新梢)をガシッと上に向くように(横にぼうぼうに広がらないように)固定する作業が中心です。

2018年は確か私の誕生日6月11日に始まりました。早まってますね。
夫のワイナリーでやりました。
勢いよく、強くてしなやかで160cmの私の目線より高く伸びてるツルもある中で緑の海を泳いでる感覚でした。

7〜9人くらいで東京ドーム6個分強。

ワインって、ワイルドな仕事だなぁと感じたのを覚えてます。

体力もスピードも求めつつ、夫はこういう作業をきっちり行う事を厳しく徹底してました。

懐かしい。
夫のワイナリーではワインの畑の仕事など技術面は夫、販売や事務・経理系は義理弟、と役割分担出来てました。

その夫がいなくなって、義理弟は大変に違いありません。
それは理解してるのですが、残念ながら相続も絡み諸々重なって彼と私とは今ギクシャク。

夫を失って、何とか夫に近づきたい私。
ワイナリーに何らか関わっていたい。

義理弟からすると厄介な私とM。
私達がいなければ相続先は彼と彼の息子だったのに。
相続の件で良くない方の本性が見えました。

同じ敷地内に家があるのに気まずい、
心が辛い。

そしてようやく木曜日から徐々に私達の家に帰る試みをしてます。
夫が入院してる頃から義理両親の家に来てもう2ヶ月も経ちます。
義理弟は義理両親にとっては息子。私達が上手くいかないのは辛いでしょう。
そういう心苦しさもあり、これをきっかけに家に帰ってみる事にしたのです。

家に帰るのは夫の不在を痛感して悲しみで崩れてしまいそうで、怖かったのですが、

帰って見ると階段でも、テーブルでも、どこにでも夫のいた感覚があって

「静かだな。」という感想です。

「いないんだな」、という寂しさと「いたんだな」、という温かさが両方。

部屋にいると、もしかしたら癌も治療も何もなかった頃に戻ったんじゃないか、
そこにいるんじゃないか、
なんて思ってしまいたくなる。

帰って来ないかな、
また会いたいな。

M大きくなったよ。
私はこれからどうすればいいの?

家に帰り、目を逸らしてきた悲しみと現実に少しづつ向き合う事になりそうです。

義理弟との問題もあり、
友人と義理家族は「ワイナリー(夫の)は考えないで新しい人生を始めた方がいい。」
と言います。

たぶん、正しい事を言ってるのかもしれません。

でも、心はロジックではない。
夫のワイナリーに固執してるのではなくて、
ここを離れるという気持ちには、今はなれません。


4月7日にはパリの病院に行って
5月20日にMの誕生日祝おうって言ってたのに。
Mが歩けるようになったらワイン畑3人で歩くの楽しみにしてたのに。

4月4日に叶わず息を引き取ってしまった。

フランスの田舎で現実を受け入れられない自分がいます。
どうする事もできない。




突然ですが、

夫の闘病の記録がきっかけで始めたブログ。
ここでは沢山の事を教わって、暖かいコメント頂いて、励みになるブログも読ませて頂いて、助けて頂きました。
本当にありがとうございます。

元々のテーマが分散して来てしまいました。

これから書くのは闘病の分野ではないな、と気が付きました。
残された者としての立場、フランスやワイン、子育てになっていくのかもしれません。

もし過去の記事が誰かの何らかの役に立つかわからないのですが、なれば幸いです。

今癌と闘ってる方、抗がん剤治療頑張ってらっしゃる方、その側で支えてる家族の方、遺族の方の幸せを心から祈っております。

本当に誰もがちゃんと治療を受けられて、いい先生にかかって、新しい治療が開発されて、

一粒でも涙が減って欲しい。

急ですが想いを述べさせて頂きました。