多くのブロガーさんが、今日の山羊座の満月について語っていますね。
今回のテーマは『手放す』だそうです。
この手放す…について、このところ考えさせられることが多くありました。
つい先日(6月28日)、縁切り寺と言われている鎌倉の東慶寺 に行きました。
『縁切り』って、『手放す』の非常に強い表現ですよね。
よほどの強い意志を持って自ら手放します!っていう…
この縁切り寺に行った理由は、
どんなに心を尽くして供養しても成仏することを拒み、子孫の足枷になってしまう先祖との縁を断ち切るためです。
因みにこの件は、私の家のことではありません。大切な人やそのご家族の幸せを願って、その人と一緒にお参りに行きました
一部の…とはいえ「ご先祖様との縁を切る」ということには、多少の迷いはありました。
でも、私がその人のご先祖を供養して祈っているときに観音様が現れたので、その事象についてある方に相談したところ、「水月観音様が救いに来て下さっている。」と教えて下さって、東慶寺に縁切りのお願いに行くと良いことを教えてもらったのでした。
私は、観音様が救って下さるのは亡くなった人の魂だと思ったのですが、
この場合、
悪縁を断つことで、生きている人のこれからの人生がより良くなるための救い…ということのようです。
先祖との縁切りは特殊な例ですが、
親子・兄弟・親戚などの血縁でも、その人の人生に悪影響を及ぼす相手との繋がりは容赦なく切ればいいと、私は日頃から思っています。
縁切り宣言まではしなくてもいいけれど、近しいが故の甘えや甘やかしは中毒のようなもの。
自覚することも断つことも難しいけれど、離れること、逃れること、手放すことでお互いが自立することこそが本当の愛なのではないかと…厳しいですが、それも愛のあり方なのではないかと思うのです。
動物は、子供をいつまでも抱え込まずに乳離れさせ、巣立ちを促し、時には牙を剝いて追い出してでも自立させるのに、人間にはそれがなかなか出来ない。
形はいろいろあるけれど、愛する者を手放すことで、その人が自分の人生の中心に立つことが出来、
自分も自分の人生の中心に立って、魂が望む生を全う出来る…そう思うのです。
仕事だから、役割だからと、休息を取る間もなく働いて身体を痛めつけていないか?
家族や友達の面倒を見過ぎていないか?
先回りして手を差し伸べて、子供の失敗する体験を奪っていないか?
自分への枷が強すぎてはいないか?
人のことを心配し過ぎていないか?
自分を犠牲にして他者に尽くしていないか?
苦しい状態でありたい人、不幸を選びたい人を、自分のエゴで救おうとしていないか?
手を放さないでいてあげることが善行だと決めつけていないか?
見捨てることを恐れていないか?
…等々
それ、本当に必要ですか!?
私自身や周りの人々に起こっている、このような現象を見せつけられている今日この頃。
手放すことについて、深く考えさせられています。
散々考えて、それさえも手放すときが来ているのか?
改めて、
今日の山羊座の満月は『手放す』がテーマということでした。
ポイポイッ!
![NG](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/042.gif)