先週、テレビで放送されたジブリ映画をふと思い出した。


「もう終わりだ…美しくなかったら生きていたって仕方がない…」ハウルの動く城の一節。


癇癪を起こして自身に呪いの魔法をかけて、ドロドロデロデロの腑抜けになったハウルの言葉が今の私には刺さる。

刺さったのは「美」への拘りではなくて、その後の部分。

「○○くなかったら、生きていたって仕方がない」という気持ちは私の潜在意識にもある。

潜在意識どころか、困ったことに信条として、堂々と顕在意識にもある。


私の場合、

優秀じゃなかったら、

世の中に貢献出来なかったら、

役に立たなかったら、

他者を助けられなかったら、

与えてあげられなかったら…

生きていたって仕方がないーーーっ!えーん

って、内心思っちゃってますガーン

(自分に対してそう思うだけで、他人にそんなことは求めません。)


あー恥ずかしいアセアセ

こんなこと思ってて恥ずかしいチュー

○○くなかったら…なんていう条件付けなんて必要無いのに、

ただ在るだけで充分生きる価値があるのに、

社会とか他人とか、自分の外側のことなんて考える必要は無いのに、

そんなことは(頭では)知っているのに。


知識を上書きして長らく静かにしていたエゴが、つい先日の学びがきっかけになって改めて目を覚まし、目下大暴れ中爆弾


生まれる前か、生まれた後の幼い頃か、

きっと自分で自分に『責任』という条件魔法を掛けたのだろう。

忘れていても、ことあるごとに勝手に発動する厄介な魔法をもやもや


今週、まゆのま家では、

11日㈬に武藤先生のサードアイ活性講座

12日㈭に和音先生のアロマセラピスト講座がありました。


以下は私の備忘録を兼ねています。


サードアイ活性講座の中で、私は『責任』というキーワードに強く反応し、それが超感覚を使うことを拒絶する一因であることに気付きました。

カウンセラーとしての責任、

元医療従事者としての責任、

公的な資格を持っているが故の責任と制限。

親としての責任、

妻として、嫁としての責任…。


前日の気付きを踏まえ、

アロマセラピスト講座では、さらにその責任ということに対してセラピーで内観していくと…


「嫌だヤダやだーっ!えーんと、

ひっくり返って手足をバタバタして抵抗している肉体としての自分がいました。それはおそらく私のエゴ

エゴの背後には、

清浄で静寂な漆黒の闇がどこまでも拡大して全てがある、全てがわかる領域がある。

エゴは、

「意識体だけの自分になって、

自分の意識でもあり、他の全てのを含む源に帰りたい。」と言う。


肉体は意識体(源)と分離しているわけてはないよ?

常に共に在るんだよ?

いつでも繋がっているよ?

…と諭しても、

「知っている。でも繋がれない。繋がり方を、感じ方を思い出せないショボーンといじけて背を向ける困ったちゃんな私のエゴ。


「責任」をテーマに私が引いたカードもアロマも、

もう実っている。受け入れて。

変容が起きる。あなた自身が常に神である。

癒しが起きる。自分を許して。

と語っているけれど、エゴが受け付けない。

我ながら、本当に頑固なエゴだもやもや

セラピーが終わらないのでさらにカードとアロマを引く。


決着をつける時です。翼を広げて羽ばたけるよ。

それでもうずくまって「飛べないよ。」と駄々をこねるエゴのそばには、

優しい微笑みを浮かべた女神が愛のギフトピンクハートを携えてずっと寄り添い、

大きな翼の天使が肩に手を置く。


ここまでのセラピーで決着がつかないので、次のセッションに向けてメッセージを求め、

もう一枚引いたカードは『瞑想』。


あ〜もう!このところずっと、いろんな人から「瞑想するといいよ♪」というアドバイスをもらっていんだった。また出たよ「瞑想」えー


「瞑想って、嫌いなんですよねぇ。思考を消すって無理です。」

と私がいうと、和音先生は「一つの香りを嗅ぐだけでも瞑想になりますよ。」と教えて下さいました。

あ!それなら私も出来るルンルン


目覚めたエゴを宥めるため、自分を癒やすため、サードアイを開くため、上と繋がりやすくするために…

そして、古い魔法を解除するためにも、香り瞑想を実践してみようキラキラ