昨日、近所のママ友の家の前で、40代マダム3人が、他愛ないおしゃべりに華を咲かせていました。
近くに住んでいるのに、近頃滅多に会わなくなったよねぇ、私達・・・。
子供達もそれぞれ違う学校に進学したし、母親の方も仕事を持つようになったり、生活がそれぞれ違うものねぇ・・・などなど。
しばらくそんな話を続けていると、その家のおばあちゃんが出先から帰ってきました。
軽く挨拶だけして、また3人で話しの続きを始めたところ、なんだか背中に『かまって欲しいビ~ム』を感じて振り返ると、そこにはまだおばあちゃんがいて、待ってました!
とばかりに私を捕まえて話し始めました。
あっ!・・・捕まっちまった
そうなるとまぁしょうがない。気の合う同年代のおしゃべりは、あとの2人に続けていただいて、私はこのおばあちゃんのお相手をすることに。
すると、最初こそ機嫌よく話していたおばあちゃんが、だんだんと私のことを責め始めました。
「なんで近頃、うちには顔をださない?」
「高校生になったお宅の娘の制服姿を、まだ見せてもらってない。」
「今は、休みの日に子供が家にいると邪魔だなんて言ってるけど、そのうち子供の方が家を空けるようになれば、あんたなんか心配で引き止めるに決まってる。娘に干渉しまくるに違いない!」
「あたしも母親にそうされたし、今は同居の娘や孫たちのことを1日中心配しているんだから、あんただって絶対そうなるよ!!」
・・・あのぉ・・・なんで私が怒られるの?
なんで自分と他人が同じだって決め付けるの
と、“素の私”は思いつつ、なんとなくこのおばあちゃんの言葉の裏の叫びが聞こえてきました。
『誰も私を訪ねてきてくれない。頼りにしてくれない!』
『小さい頃に面倒を見てきた、自分の孫と同じように可愛がってきた子の成長を私も見たい…関わりたい!』
『自分は未だに娘に執着しているのに、他所の母親が子離れしようとするのが許せない→自分のことも許せない。』
『自分が母親からされてきた過干渉を、今、自分も繰り返している。断ち切れない。だから、他人もそうなるに違いない。自分は悪くない。』
・・・なんだかそう訴えているように感じました。
そして、「老いたのだなぁ…」と思いました。
近くにいると、いつまでも元気で頼りがいがあった昔の姿のままのイメージを押し付けているけれど、少し離れて、改めて向き合ってみると、確かに10年分歳をとったのだと感じました。
足腰が弱って行動範囲が狭くなり、親しかった隣人と会う機会が減る。
孫達は成長して思春期に入ったころからはあまり口もきかない。
娘世代は子育てが一段落してそれぞれの今に合った生活を始めている。
そういう中に取り残されて、歳だけ重ねてしまうと、世界がどんどん狭くなって、寂しさが募り、解消されない寂しさはやがて怒りに変わってしまうのかもしれない…おばあちゃんの言動から、そのように感じました。
立ち話のついでではなくて、このおばあちゃんの話は一度ゆっくり聴かなくてはいけないかな?と思いました。
確かに、子供が小さいころは、親子共々お世話になったし、この一家と我が家は家族同然のお付き合いをしていたわけだし・・・。
何もたいそうなことではなく、ただその人に向き合って、真剣に耳を傾けることで、小さな恩返しができるのなら