ロンドンオリンピックが閉幕しましたね。
日本人選手のメダル獲得数が多かったことも素晴らしいですが、何よりも日本に限らず各国の選手たちの闘志に心揺るがされた日々でした。
たくさんの感動をありがとうドキドキ


ところで、

この『感動する』ということを人として当たり前の情動だと思っていませんか?
それがどうも、そうではないようなんですよひらめき電球


一時期マダムたちの間で大流行だった韓流ドラマの「冬のソナタ雪」とか、

かつて大ヒットした映画「タイタニック」など、何度見ても涙・涙の大感動ビックリマークの代表とも言えるこれらの作品映画
あるいは、子供の頃に本読んだりアニメで見たりして馴染みの深い児童文学「小公女」や「フランダースの犬」などなど、

多分誰もが認める感動的なストーリにすら、あまり感動しない、もしくは「お涙頂戴的な話は大嫌いむかっ」というへそ曲がりさん(否!クールな人)も、少数ながら存在します。


これは、感動することが良いとか悪いとかいうことではありません。
ただ、人によって感動の度合いが大きく違うという事実。


さて、この感動の大きさの差というものは、いったいどこから生じるのでしょう?

生まれつきの性格の違いでしょうか?
運命学とか占いなどで考えれば、「持って生まれた性格だから…」と片付けてしまうのが手っ取り早くて治まりがいい。


でも、これを心理学で考えると、後天的に作られた性格ということになるようです。


例えば、
赤ちゃんが笑ったとき、自分の顔が見えませんから、抱っこしてくれている母親(を代表する他人)が一緒に微笑むのを見て、『笑うニコニコ』という筋肉の動きやそのときの情動を自分のものとして理解します。

長じて、子供がとても喜んでいるときとき、お母さんも一緒に喜んでくれた…
子供が何かを頑張って達成感に浸っているとき、お母さんがそれを褒めて喜んでくれた…などの経験。

人は、他人という鏡を見ることで自分を知る…
それは、鏡像段階という大切な育みの時なのです。


自分の思いを相手が一緒になって感じて、同じように表情や言葉や動作に表してくれるという経験で、自分という存在、自分の心の動きというものを理解してゆくのです。


そういう経験が欠如すると、あまり感動しない人が出来上がります。

それは、必ずしも悪いことなのではありません。
あまり感動しないということは、裏を返せば常に冷静でいられるということです。
他人の情動に巻き込まれて一緒に溺れてしまうことがないという利点があります。

冷静でいられるかわりに、みんなと一緒に熱くなろうぜっ!!みたいなことは苦手な場合が多いようです。


そんなクールな人、私は結構好きですが…にひひ


子供にとってはどうでしょう?
嬉しいときに一緒に喜んでくれる(母なる)人がいた方が、感情も表情も豊かに成長するということは、それがない場合よりも有益なのではないでしょうか。



こんな光景を目撃したことがあります。


小さな女の子女の子が、お母さんと夕暮れの公園にいました。
女の子は、「お母さん!夕焼けが綺麗だね!音譜」と、嬉しそうに言いました。
そう話しかけられたお母さんは、こう言いました。
「そんなの綺麗じゃない!プンプン
険しい表情をしてそう言い放ったお母さんを見上げて、
女の子は驚いたような、悲しいような、複雑な表情をして黙ってしまいました。

…このお母さん、辛いことでもあって余裕が無かったのかな?と、大人なら想像して受け流すことが出来ます。
でも、子供はどうでしょう?
喜びの感情を向けた母親(鏡に映る自分)は、怖い顔をして感情を否定をした…


通りがかりの知らない親子のやり取りでしたが、忘れられない光景でしたガーン



母親だからといって、いつも適切に子供の感情表現を受け入れてあげられるとは限りません。気分の波に勝てないときもあります。
でも、感情を否定される言葉や表情を向けられた子供は、その度に混乱します。
そういうことが多くあると、感動することを怖いと思い、やがて感動すること自体を止めてしまうでしょう。


『感動する』ということは、人間に生まれつき標準装備されてはないのです。
母親を代表とする保護者、周囲の大人が、子供の感情に寄り添って、一緒に表現することで徐々に芽生えてくるものなのです。


子育て中のお母さんにお願いです。
どうか、子供の笑顔を無視しないで受け止めて、そして返してあげてください。
子供の感情表現にきちんと対応してあげてください。
赤ちゃんや子供たちが欲しいのは、経済的な豊かさではないはずです。
欲しいのは、お母さんとの度重なる感情のやり取りです。

家事や仕事で忙しくて時間が無くても、子供の感情(喜怒哀楽)の表現に応えてあげてください。
そして、豊かな感情をプレゼントしてあげてくださいねプレゼント