私がフランス語教室で最初に出会った先生は、若いフランス人女性でした。


日本の純文学をこよなく愛して来日し、フランス語教師として、翻訳家として、女優として、料理人として…いろいろな職を掛け持ちしながら日本で充実した生活をしていたその先生は、年齢や性別、身分など関係なく、誰とでも親しくなれる、不思議な魅力の持ち主でした。


その先生の講座は新規の入門クラスで、10人ほどの生徒でスタートしました。

とても熱心に、優しく楽しくフランス語を教えてくださって、生徒たち(40代~60代のマダム&ムッシュ)はみんな先生のことが好きでした。


1年近く経って、生徒たちがたどたどしいながらも短い文のフランス語を読み書きできるようになったころ、

先生は韓国人の彼氏が出来たラブラブと、私達生徒に報告してくれました。

そして、それからまもなく、先生はその男性と結婚することになりましたベル


とてもいい先生だったので、お別れするのは残念でしたが、みんなの大好きな先生がお嫁に行くというおめでたいことだから、喜んで送り出そうと、生徒達でお祝いのパーティを開きましたカクテルグラス


『どこでも生きて行ける』

そのとき先生が残していってくれた言葉です。


先生は、母国語のフランス語の他、日本語、英語、イタリア語、ドイツ語、を操る才女で、韓国人の彼と付き合い始めてからは、韓国語も出来るようになっていました。

何処の国へ行っても、フランス語を教えながら、どこででも生きていけると思うの。だから、母国を離れても、大好きな日本を離れて彼のもと(韓国)へ行っても、自分の能力を活かして生きていける。」

そう語る若く美しいその人の澄んだ瞳は、強い意志と希望に輝いていました流れ星


きっと、韓国で幸せな家庭を築きつつ、職業人としても自立していけるのだろうなぁニコニコと思いました。


その後、半年、1年後くらいに先生から近況報告のメールが来ました。

最初はフランス語教師としての仕事に恵まれずに英語を教えることになったり、労働条件の良くないところで働かざるをえなかったりと、しばらくは苦労したようですが、

徐々にフランス語を教える場を広げて仕事も軌道に乗り、もちろん、素敵な旦那様に大切にされて幸せに暮らしている…とのことでした音譜


それにしても、

あの素敵なフランス人女性は、日本で暮らしていて、日本人ではなく韓国人の男性に見初められて韓国へお嫁入りして…って、日本の男はいったい何をしていたんだ!?

…と、軽い愚痴を肴に、フランス好きなマダム達の女子会は続いたのでしたワインビール


どこでも生きていける…

そう、自信をもって言える人は、日本人には特に少ないんじゃないでしょうか?


歳や性別など関係なく、自分の能力を伸ばす努力を続けていることと、少しの勇気を持つことで、私にも、そして誰にでもそれが出来るように思います。