陽子は、佐々木家のリビングから聞こえる笑い声に耳を済ませた。
カーテンの隙間からそっと覗くと、テーブルを囲んで家族が談笑しているのが見える。
奥さんは手作りの料理を運び、旦那さんは子どもたちと楽しそうに話している。
ーーーなんて幸せそうなのかしら。
陽子は自分の家のリビングに目を向けた。
テーブルの上には、昨夜食べたコンビニの弁当の容器がそのまま置かれている。
夫はソファでスマホをいじり、子どもたちはそれぞれの部屋にこもったまま。
家族が顔を合わせることすら減ってしまった。
「…はぁ」
ため息をつきながら、陽子はふと考えた。
ーーーどうしてうちはこうなんだろう?
佐々木家と比べてしまう。
隣はいつも家が整い、家族の会話が絶えない。
奥さんは明るく気配り上手で、夫婦仲も良さそうだ。
「隣はいいわよね、家族みんな仲良くて」
以前、そんな言葉を夫にこぼしたことがあった。
「そんなの、外から見てるだけじゃわからないだろ」
夫は新聞をめくりながら、そっけなく言った。
「でも、いつ見ても楽しそうよ?」
「それは、外向けの顔かもしれないぞ」
ーーーそんなわけない。あの笑顔は本物よ。
けれど、その考えが揺らいだのは、数日後のことだった。
夜10時を過ぎた頃、陽子がゴミの整理に外に出ると、佐々木家の前に黒い車が停まっていた。
運転席にはスーツ姿の男が座り、助手席には佐々木さんがいた。
ーーーえ?
驚いて立ち止まると、佐々木さんが降りてきて、運転席の男に向かって小さく頭を下げた。
男は何か言葉をかけ、佐々木さんの肩にそっと手を添えた。
「…!」
その瞬間、家の玄関が開いた。
「どこ行ってたんだ?」
佐々木さんの夫が立っていた。
険しい表情で佐々木さんを睨んでいる。
「ちょっと、友達と会ってただけよ」
「その男は誰だ?」
「会社の同僚よ。送ってもらっただけ」
「またかよ…」
夫の低い声に、陽子は思わず息をのんだ。
「俺が遅いのをいいことに、好き放題やってるんじゃないのか?」
「なにそれ、あなたこそ最近帰りが遅いくせに。」
「仕事だ」
「本当に?」
佐々木さんの声は冷たかった。
「あなたのスマホ、最近ロックの番号変えたわよね」
「お前こそ、やたらと外出が増えたな」
「…疑ってるの?」
「そっちこそ」
二人の声が静かにぶつかり合う。
ーーーこんなの、全然幸せじゃない…。
陽子は足音を忍ばせて家の中に戻った。
心臓がドキドキしていた。
いつも完璧に見えた佐々木家。
けれど、その裏側には、陽子の家と同じようなすれ違いがあった。
ーーー結局、どの家も同じなのかもしれない。
リビングでは、夫がまだスマホを見ている。
陽子はそっと隣に座った。
「ねぇ、明日、久しぶりにみんなで夕飯でも食べない?」
夫は顔を上げ、少し驚いたような顔をした。
「いいけど…どうした急に?」
「ちょっと、思うことがあって」
夫は不思議そうにしながらも、「まぁ、たまにはいいな」と微笑んだ。
ーーー隣の家を恨んでばかりいても、何も変わらない。
まずは、自分の家から。
陽子は静かに、そう決意した。